CHILDHOOD'S END
遠江 椋



 子供の成長

最近、育児についてあまり深く考えたことがなかったので(え)、ここらへんでちょっと一考。
今思えば、昔は目が開いた!動いた!物をつかんだ!って毎日ネタの宝庫だったんですよね〜(^^;

現在、長男7歳6ヶ月、次男6歳4ヶ月、三男3歳11ヶ月。
(↑そもそも、この”○カ月”って書くことが久しぶり。ぷ)
長男は小学2年生、次男も小学1年生。

…ほんの十年前くらいは、自分もまだ子供だったんです。
それが9年前、婦人科受診の際に「子供ができにくい」と宣言されて。
「出来なきゃそれでいいじゃない」と避妊をやめて、その1ヵ月後に子供を授かり、妊娠。
そして、7週で流産。子宮内容除去術。
この事は今も鮮明に覚えています。
そしてその子が部分胞状奇胎だったことが分かり、半年の通院、そして再度の妊娠。


そして、長男が誕生。


あれからまだ7年ちょっとです。
間髪いれず次男が誕生し、年子兄弟にあわあわしているうちに三男誕生。
「大変でしょ?」って言われても、何が大変なのかを考える暇がない!ってくらい忙しかったんだと、今、思います。
飲んで泣いて寝て…しか出来なかった子供たちが、今では喜怒哀楽をはっきり伝え、学校という集団で生活をして、毎日を走り抜けています。
長男くらいになると、学校での出来事はもちろん、他人から見た自分のことや、クラスでの事件、生物や物理に繋がる疑問、日本語の解釈などなど、さまざまな事を話してきます。

「子供は生まれたばかりが一番手がかからなくて、かわいい」
こんな話を何度も聞きました。
それは、子ども自身の意思表示がとても少ないから。
泣くのは「不快」であり、おしりの不快感か空腹、あるいは病気、それだけを受け止めればいいから、ってことだと思います。
(もちろん、それ以上にあの”天使の微笑"が可愛いっ♪てこともありますが)
育てている真っ最中の親にしてみれば「なに言ってんの!?寝ることも出来ないし、意思も伝わらないのに、大変に決まっているじゃない!!」ってところでしょうか(笑)。

けど、最近の息子達とのやり取りで、こう言いたい気持ちがひしひしと理解できるようになっています。


彼らは、もう赤ちゃんじゃなくて、ひとりの人間だから。


人間である以上、意思があります。
たとえそれが幼いものだったにしても、確かな意思があるんです。
自分が行きたい方向、自分がやりたいこと、たとえそれが危険なことや他人に迷惑なことであっても、それが彼らの”意思”。
大人はそれが周りにどんな影響を与えるかを知っているから、頭ごなしに止めてしまいます。
けど、子供たちは納得がいかない。
やってみたい。


親だもの、他人に迷惑がかかるようなことはさせちゃいけないですよね。
けど、それは、言葉で制止しても、彼らの成長の糧にはならない。
まあ、それどころか私の話を聞かない。
言い方が悪いのかもしれません。
頭ごなしに叱らずに、理論をきちんと説明しないと…なんて事も聞きますが、説明の段階で走っていってしまう息子達。

私が親、失格なのかなあ…。
それとも、この子供たちを見て、守ることが、「子育ては大変で辛い」ってことなんでしょうか。

けど、例え息子達がどんな悪人に育ったとしても、私はきっと息子達が愛しい。
それだけは、自信をもって言えること。

善悪を伝えること、他人の気持ちを代弁してあげること、良い事をしたときにほめてあげること。
これだけしか出来ない母親だけど。
息子達は人の道を、しっかり歩いてくれるのでしょうか?
母はそれだけが心配です。

悪いこともいっぱいしているけれども、今は心の優しい子に育っていると思います。
言うことなんてなかなか聞かないけれど、それで彼らが色んな経験が出来るなら、親はそれを受け入れなければならないのかもしれません。
思ったよりもずーっと切なくて、辛くて、頭にくることも多いけど。


きっとあと5年10年経ったら、また私は違う悩みを抱えるんでしょう。
けどそれが親の醍醐味なのかもしれません。
「かわいい」だけの赤ちゃんがいた頃より、悩み事が多い今のほうが「味のある幸せ」なのかもしれませんね。

2006年07月29日(土)
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