都税事務所,映画『ブロークバック・マウンテン』,『おまた』,激論「オウム麻原裁判 控訴棄却決定について思うこと」


 都税事務所に税金を納めて、私の決算作業終了。
後はマイラブリー税理士君にお任せ。
間に合って良かった。しかし、来年度はどうなるのだろうか。
というかもう今年度が始まって2ヶ月経つのに、はてさて。

 映画『ブロークバック・マウンテン』。
ゲイのカウボーイの話と聞いて、大昔の事かと思ったら1960年代の物語だった。
この時代もアメリカの田舎では許されない愛だったのね。

美しい映画だけど、ゲイだから映画として成立する、男女の秘めた恋愛物語ならあまりにも普通な話。
背景もわかるし、本人たちも必死なんだけど、葛藤と衝突がぬるくてつまらん。
普通の恋愛なんて、つまんない。
でもつまらない恋愛だけで一生を終えてしまうこともある、たいていそういうもんだ、ということを教えてくれる映画ではある。

 花見の日程を聞きがてら『MILLIBAR』に行こうと思っていたのだが、止めて『シネ・リーブル池袋』から近い『おまた』。
おまた兄とお話。
映画について、夏の『おまた』開店10周年記念イベントについて、他いろいろ。

 友人Mからメール。オウム麻原裁判の控訴棄却決定について「まじめな話」。
(彼女は同じ内容をブログに掲載している。http://kobamiki.exblog.jp/m2006-03-01/#2892994

> 司法に関わる人間には、
> 争えるところまで争う、私たちの社会を支える法のルールに従って、
> すべてを踏んで最後まで行き着くために尽力する、職業的道義的責任があったと思
> う。
>
> 弁護団には、この裁判の持つこうした側面の認識がどれだけあったのだろうか。
> 被告弁護、という一側面やテクニックしか見えていなかったのではないのだろうか。
>
>
> 弁護団も、
> 利己的で幼稚な発想で動いて、結果、数々の事件を指示したとされる被告同様、
> 権利ばかりを主張して、その立場に付随する義務や自らがなすべきことへの意識が欠
> 落した、
> 非常に幼稚な集団だったように思えて仕方がない。
>
> 法にのっとった「形式」が、こんな皮肉な形になってしまうことを
> 司法関係者、特に、弁護士という立場にある人々は猛省すべき、って思わずにはいら
> れない。

私の返信。

「弁護団が悪い、というのは誘導・コントロールされた見方だと思うよ。
国家、裁判所は世論をそういう方向にもって行きたい、実際マスコミを使って
そういう風に見せよう見せようとしているわけだからね。

まあ、これを見て、と言ったら『真理ちゃんこそ偏ってる』と思われるかもしれ
ないけど、参考までに。

イベント概要
http://www.miyazakimanabu.com/lecturejudicial/000138.php

宮崎学さんの発言内容その1
http://www.miyazakimanabu.com/lecture/000144.php

内容その2
http://www.miyazakimanabu.com/lecture/000145.php

宮台真司さんの発言内容
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=330」

> 別に(偏っているとは)思ってないよ(笑)。
> でもさ、宮台さんのページと、宮崎さんのページ1(2はまだ読んでない)を読むと、
>
> 別に私の書いたこととぶつかる部分ないと思うけど(ざっと読んだだけだけど)。
> 思ってることはおんなじようなことで、
> ただ、私の場合は現状を前提にした視点で言ってて、
> 宮崎さんたちは、その現状である司法の抱えるそもそもの問題点、って視点で言って
> るだけじゃない?
>
> 私は、そうした問題点を否定してない(と思う)し。
> とはいえ、私の読解力と表現力に問題はあるかもしれない(笑)。

「とにかく吊るせ、とっとと吊るせじゃダメじゃん、というのは一緒。
原因は弁護団がそうさせたのか、裁判所・国家がそうしたくて無理矢理持ってっ
たと見るのか、が違う。と私は読んだ。
ニュースやワイドショウで報道されていないことに、その辺を見極める重要なポ
イントがあるのでは。」

> いやさ、どっちが原因じゃなくてさぁ、どっちもどっちなんだよ。

「あらそう。
『特に、弁護士』とあったし裁判所の暴挙の方にはあまり触れてなかったね。」

> だから、仮に、国家がそういう方向に持っていこうとしてるのであれば、
> 弁護団は、そうならないで裁判が継続する方向に尽力するべきだ、って思ったわけ。

「私はあの手この手で尽力していたと見ている。」

> 弁護って立場からの視点のほかに、
> 裁判を継続して最後まで完結させるって点にも、もう少し留意すべきだったんじゃな
> いかな、って思ったの。
> 主張ばっかりした結果の空中分解、って感じ。
>
> 別に、国家側に立って書いたつもりも全くないよ。

「私もそんなこと書いてないよ。」

> 弁護側「にも」やるべきことはあったはず、って思って、その部分だけ書いたつもり
> だけど。

「そうだね。その部分だけ、だったね。」

> 国家対国家とか、労働者と経営者とかさ、人対人も、とにかく、こういう違う立場の
> 両者のことって、
> お互いの立場からの主張は大事だけど、それだけを主張しあってたらダメ、って私は
> 思うので。

「そうですね。」

> 自分の取る道、自分のやり方が間違ってると思ってやる人はいないわけで、
> 疑いがないときほど(自分は間違ってないの気持ちが強いときほど)、自分の立場に固
> 執する。
> お互いが、それだけを持ってやりあったら、絶対うまくいくわけない。
> 信念を持ってやることは大事だけど、素人の口ゲンカじゃないんだから、
> 弁護士の立場で果たすべき任務の重要な部分に、
> 麻原弁護そのものだけじゃなくて、裁判の継続って意識も欲しかったって思ったの。

「それは十分持っていたと私は見ている。
そうじゃなくちゃ、やってらんないよ。」

> やり方があまりに子供っぽくて、裁判所に見切りつけられた、って感じがしたの
> (これは感覚的なことだから、ここつつかれても、これ以上言いようがないけど、
> そう感じたから、弁護側について書いたの)。

「『幼稚だ』と言うからには、どんな大人のやり方があったのか教えて欲しいとこ
ろだけど、それはまあいいや。」

> 裁判所に対しても、これは、
> 「ダメだ、こりゃ」的に見切りつけるとか
> 「あっそ。別にいいよ。そっちがそのつもりならこっちにはこういう手があるんだか
> らね」的嫌がらせ
> みたいなことして幕引くもんじゃないでしょ、とは同時に思ったよ。
> でも、相手がこういう手を使わないように、その点にも注意すべきだったって思った
> から、
> 弁護側についてああいう風に書いたんだけど。

「まあねえ。裁判所はなんでもあり、ですからね。
裁判所なんだから法的に真っ当な対応してくるはず、と思ったらダメってことで
すな。
裁判所にとっては弁護士なんて、虫けらみたいなもんよ。」

> ものを考えるに当たって、白と黒に分けて考えるのはわかりやすいけど、
> それだけじゃ、問題点は浮かび上がるけど、解決そのものにはならないと思う。
> 白と黒に分けられる両者は、良くも悪くも相手ナシには成り立たないんだよ。

「全く仰るとおりで。
白黒つけなきゃ気がすまないマスコミが問題点を浮かび上がらせても解決になら
ないし、誘導コントロールされた問題点が浮かび上がっちゃって。
司法もマスコミも受け手も幼稚で成り立つ日本社会よ。」

発言することは大事だと思う。
イベントに参加して問題意識を持っていた私としてはMのメールは嬉しかった。
しかし、なんでこうもワイドショウのコメンテイターやらニュースキャスターやらと同じ意見なのかが不思議。
Mがそんなにテレビに影響されているとは思えないし、自分の頭と言葉で考えていると思うのだが。

Mは、イラクで拘束された3人の若者に「救助の費用を負担させるべき」と言ったこともあって、私は「自己責任」論者かい!と驚いたことがある。(2004年4月26日の日記参照)

よくわからないけど、こういう話はM以外の友人たちとはあまりしないので、面白い。
2006年03月29日(水)

抱茎亭日乗 / エムサク

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