「メディアとポリティクス−戦争報道の現在」,『さぼうる2』,映画『KILL BILL Vol.2』,告白の続き

 神保町の東京堂で「メディアとポリティクス−戦争報道の現在」という問題提起と報告の会。
講師は『日刊ゲンダイ』の二木啓孝、フォトジャーナリスト綿井健陽、フリージャーナリスト吉岡忍の3名。

私は受付と本の販売もやることになり、一部話が聞けないところがあった。予想を上回る参加者で、椅子が足りなくなる。

綿井さんは昨日イラクから帰国したばかり。
人質事件から続く自己責任論に見られる日本のムードと空気に驚いたという。
「自己責任という言葉はない。行動に責任があるのは当然のこと。自己責任論をいう人は人質に何を期待しているのか?謝ってほしいの?」
「『これからは人に迷惑をかけません』と言ってほしかった」などと書いている新聞もあって呆れた、と言っていた。

吉岡さんは「自己責任論をいう人が人質に何を期待してるのかといえば『死んでほしかった』」。

二木さんは「自己責任ではなく自業自得と言いたいのだろう。迷惑をかけられたくない。3人の救出に20億円かかったというが国民一人当たり16円。20億はオフィシャルな数字ではないが、ドバイの最高級ホテルに背広を着た日本人が50人ぐらいいて、ドンチャン騒ぎ。それが3人に事情聴取しに来た公安、警察。そら20億かかるわな」。

他メモより。
・スペインと同様の事件が日本で起こっても自己責任か?
・お上の言うこと聞くんだったら助けてやる、と言うのはおかしい。
・国家と私は対等なのに私の上に国家を置く日本人。
・戦争反対の側も政府と同じように言葉が単調になっていて、スローガンとレッテル貼りをしている。
・勝手に動く人、型にはまらない人を責めるいじめの構造がある。

最後に綿井さんが「やや自虐ぐらいでいいんじゃないか」と言ったのが印象的だった。

 スタッフの人たちと喫茶店『さぼうる2』でビールとおつまみ。いろんな話。
今の日本に『冬のソナタ』のヨン様のようなスターはいない、女もいない、とか。
日本はジェラスじゃなくてエンビー社会だ、とか。
映画の話、宮崎学さんの話、マイ・ニュース・ジャパンの話。

 映画『KILL BILL Vol.2』。1も好きではなかったが、やっぱり駄目だった。
前半寝てしまう。タランティーノは次に期待しよう。

 彼から誘われたことを教えてくれた友人に、彼のメールを転送してくれないかと頼む。

> まりちゃんの気持ちもわかるけど、私の信義則に反するので遠慮させてください。

> 正直なところ、第三者としてならともかく、当事者として他人の揉め事には関わりた
> くないというのが本音です。
> 彼のアドレスは受信拒否にしました。

と断られる。賢明な判断だと思う。
友人はこれですっきりしたかもしれないが、私は了解メールを送った後で疑問が湧く。

転送できないのは、私には読ませたくないやりとりがあるから?私が可哀想だから?
「二人だけで会いませんか」だったら別に転送したっていいじゃない?
「これはまずいだろう」って内容だから「信義則」って重い言葉が出てくるんだよな?

疑心暗鬼か。もううんざりだろうけど、友人を責めてはいない。
質問に答えたくなければそれでいい。

>  今回のことで、まりちゃんに嫌な想いをさせたことは申し訳なく思ってますが、
>  私自身もあまりいい気分ではなく、できればもう忘れたいので、
>  今後このことにあまり触れないでいただけると幸いです。

とお願いされる。

「今後触れないようにしてほしい、という気持ちはわかりました。
でも、約束は今はまだできないかも。疑問は残るし、また他に湧いてきちゃうかもしれないし。
拒否されたら話は成立しないから、嫌だったらすっぱり切って下さい。

ぐじゃぐじゃいつまでもスミマセン。」

と返信。なんか変だ。友人は悪いことをしたわけではない。私は被害者ではない。
でも「このことにはもう触れないで、すっきりしたから忘れましょう」って私が言う言葉じゃないか?普通。
そんなことないか?よくわからなくなってきた。
2004年05月01日(土)

抱茎亭日乗 / エムサク

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