イタロ日記

2017年09月28日(木) 【長崎】軍艦島(2)

いよいよ上陸!

金属製の桟橋から入るが、橋の上では撮影禁止。
(単に渋滞して危険だからなのか、理由は不明)



上陸後、左手。日本の気候だとすぐ草に覆われてしまうなあ




第一見学広場に説明パネルがある。


まず第一見学広場でガイドさんから注意事項等を含め説明がある。

こちらのツアーのガイドさんは大変に説明が上手く、簡潔なのに引き込まれる話し方をなさる。
元住民の方ではないようなので、常に勉強をなさっているのだろうとは思うけれど、何よりもまず島に対する思いが感じられる。



少し進んで、桟橋方向の右手を望む。


「荒涼とした」という言葉は誰が思いついたんだろう?
こんなに的確な言葉は無い。
鉄筋が剥き出しになったコンクリートの建物。
ぽっかりと黒く空いた窓は別世界に通じているようだ。



崩れ落ちたコンクリート




炭坑入口(パイプ状の足場が見える所)。
ここから海面下1000m以上の地点に潜り採掘していた




仕上工場(手前)と社宅30号棟(奥)




日本最古の高層アパート31号棟(左)、社宅30号棟(写真中央)
当時は最先端の設備を備えていた


すぐ上の写真、向かって左手の31号棟は、防波堤の役目もしていたそうだ。
海岸に面した壁面には内廊下を作り、緩衝地帯としていた。
天候が荒れると壁面の窓ガラスはその都度割れていたようだ。

大シケだと、号棟を超えて水が入るようで
「狭い島では凄く怖かったんじゃないの?」と思ってしまう。
特に私は閉所恐怖症なので絶対無理(笑)。
でも住民は慣れっこだったようで、屋上からみんなで高波を見ている写真も残っている。



とんびの声がとても印象的


私達ツアー客からすると『廃墟』という言葉にはワクワクする響きがある。

でもガイドさんによると
「休日には元住民の方もツアーに来ていることが多い。
 だけど、あえてご自分から住民だとは言わない。
 自分達の島が荒果てて『軍艦島』と呼ばれるのは辛いそうです。
 ここは住民の方にとっては、暮らしていた『端島』」
(※『端島』が島の正式名称です)

「島は今の技術では存続に莫大なお金がかかり、このままの状態で残すことはできない。
 いつか崩落していく。
 なので、みなさんが記録を残し、目に焼き付けていって欲しい」

とのこと。

なんだか後半の解説を聞いていたら泣きそうになってしまった。
ツアーが終わって下船後、心からの気持ちでガイドさんに「ありがとうございました」とお声をかけて頭を下げて来た。

なんでもそうだけど、他の方が先に勉強をして、わかりやすく伝えてくれるというのは有り難いことだなあ。



さよなら、またいつか!


崩落したとしても、ガイドさんの言う通り、誰かの記憶と記録に残る。

たとえ朽ち果てても「そこに暮らしがあった」っていうのは、どの国、どの時代でも素晴らしいことだと思う。


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