おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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| 2007年06月19日(火) |
藤田昌雄『写真で見る海軍糧食史』 |
大戦末期の軍艦を舞台にした直木賞受賞作・光岡明『機雷』の主人公はやるせない任務を食事にかこつけて八つ当たりするところから登場する。 あえていう。海洋冒険小説を志すものなら必読書であると。 私は大砲の口径だの機銃の盾の変更だのそんなことはびたいち興味はない。船という閉鎖空間で激務に耐える戦士たちにとっての唯一の楽しみである食事。これを知らずして海の男たちのなにがわかるというのだ。 船において「食」は正に命綱である。陸上のように地元で調達も出来ない。歴史上有名な海軍の反乱(英国のノアの反乱・ロシアの戦艦ポチョムキンの反乱・ドイツキール港の1918年の反乱)はいずれも劣悪な食事がきっかけになっている。 さらに軍艦ともなると戦闘と調理ということを同時に行うことも気にせねばならない。近い例だとフォークランド紛争の折にフィッシュ&チップス調理中の厨房にミサイルが命中、天ぷら火災が原因で駆逐艦が爆沈したという事実がある。無駄が作れない軍艦内でいかにうまく、いかに安全で効率よく栄養的にも優れた食事を配給することは軍の強弱にもかかわる問題なのだ。 さらに、どうしても科学に基づき合理的に割り切る必要のある海軍にあってその国の(地理的条件ではなく)民族性が露骨に現れるのが食事というジャンルだろう。軍艦の甲板で従者に七輪で食事を作らせていたサムライ士官たち。ある意味、海軍糧食史とは日本民族が西洋合理主義に直面し、消化し、自家薬籠中のものとしていった歴史とも言える。 脚気予防を食生活の改善に見出した海軍(この辺は吉村昭『白い波濤』に詳しい)では明治から洋食を取り入れたことは知っていたが、「軍隊に入れば白いお飯が死ぬほど食べられる」ことを楽しみにしていた水兵たちに不評だったのも周知の事実。そこで主食のパンの他に「嗜好品」として白米が支給されていたのははじめて知った。 何時ごろからいわゆる「金曜カレー」が導入されたのかもわかるし、大正時代には圧力釜が導入されて魚を骨ごと調理して栄養価のアップと食材の節約に努めていたのもわかる。夜間戦に備えて監視員にはビタミンA錠に加えていわゆる「ヒロポン」も配給されていたのもわかる。提督と水兵の食費が倍も違わないこと(無論食事環境や個人的な嗜好品の持ち込みなどの差は雲泥の差だが)も日本海軍の何事かを語っているといえる。特攻隊用に専門の機上食が開発されていたことははじめて知った。これ知らずして特攻隊員の真情の何がわかるというのだ。
でも仮想戦記なんてお子様ランチを読んだり書いたりしている連中はこんな本には見向きもしないんだろうねぇ。日本に海洋冒険小説が根付かんわけだ。
べっきぃ
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