おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ
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2005年06月06日(月) 蓮池薫訳『孤将』読了

 8時出勤。今日も今日とて新人いじり(いびりじゃないよ)先輩風をビュービュー吹かせまくる。
 5時過ぎに退社して医者による。
 帰宅後エアチェックすると「水滸伝」の後番組が「西遊記」(無論夏目雅子版)であることが判明。やりー。ビデオ予約残しといてよかったよ。早速見ようと思ったが上述書を読みたいので明日まで我慢。

ニュースで御覧になった向きも多かろうが本書訳者の蓮池氏は北朝鮮の拉致被害者。おかげでずい分話題になったがそのタイトルを聞いた時から渋れるものを感じた。
 新聞で詳細を確かめると、やはり主人公は朝鮮二大英雄(もう1人は伊藤博文を暗殺した安重根)の1人、文禄・慶長の役の折、日本海軍の制海権をたった一人で妨害し、朝鮮軍を勝利に導いた海将軍・李舜臣を主人公にした歴史小説。
 おそらく海軍史上彼に比肩する人物はネルソンくらいだろう。かの東郷平八郎をして「自分は李舜臣には劣る」と言わしめた天才である。
 彼の凄みはどこにあるか。亀甲船(装甲艦)に着目し、これを中核に据えた艦隊を編成して日本艦隊を撃破すること数十度、という点も確かだが、同僚・元均提督の嫉妬を買い本国に召還され(朝鮮では人の恨みを買うこと事態が不徳の罪に問われた)、はては白衣従軍(一兵卒として戦い罪を購うこと)を命じられている間に元均指揮下の艦隊は壊滅。再び提督にかえりさくも全く戦意の無い明からの援軍に足を引っ張られ続ける始末。そして日本軍総引き上げの日、最後の襲撃を陣頭指揮し、銃弾に倒れるという劇的な最後。およそ外にも中にも敵を抱え込んだその姿は「孤将」の名こそがふさわしい。

 実は李舜臣は私も一度書いてみたいテーマであって、うちにも彼の伝記は日韓そろって4.5冊ほどある。私の構想としてはこの巨人の内面をのぞき見ることなく等身大の英雄として描くために彼の副官を創作し、この人物を話者としてドラマを進めるつもりだった。

 ところが本作の著者金庸はなんと李舜臣の一人称で本作を書き上げている。いわば世界海鮮史上最大の巨人の体内に入り込むことにチャレンジしているのである。(はたして英文学にはネルソンの一人称小説はあるのだろうか?)

 一人称歴史小説は難しい。何しろ視点が固定されるため戦場を鳥瞰的に見渡すことが許されない上に常に英雄と称される人物の生身の姿を描かねばならない。一歩間違えば英雄が腹のそこからの人間離れした英雄になったり、もしくは卑近な俗人に引き落とすことになる。

 本書はその難関に見事成功している。主人公は女の股座に塩辛のにおいを感じ、息子の死に号泣するまごうこと無い人間である。上記のようなあたり一面的だらけの状況で真の敵は敵に生身の人間を感じてしまう己の弱さを感じてしまう(作中の表現で言えば「刀で切れない敵)自分自身の信念の揺らぎである。その上で「戦死」することを「自然死」と言い切る真の戦士でもある。そして彼は真の戦死でありたがために常に敵を求めて前進を続ける宿命を背負う。その「自然死」に至るまで。

 この二つの人格にリアリティを与えているのはトリビアルなまでに視覚的な風景描写・心情描写であろう。戦場には常に硝煙と血と死臭が立ちこめ、戦勝後は兵士達は塩漬けにした生首から滴り落ちる体液にまみれながら飯をかき込む。兵士達の傷口には蛆が沸き、李舜臣の体にはしらみがたかる。読者をまさに400年前の戦場にタイムスリップさせてくれる。
 
 まさに圧巻された一冊。ただ気になるのはこれ本当に蓮池さんが訳しているのか?彼は韓国語には堪能でもこれほど見事に日本語を操ることは出来るのか?まあ名前貸しだけでゴーストライターが訳していても一向に構わないから蓮池ブランドを最大に生かしてこの出版不況の日本に朝鮮の歴史小説の名作がじゃんじゃん翻訳されることを望む。 
今日の一行知識
○6月6日はロールケーキの日。その形状に由来。


べっきぃ