日々是無常。(直リンク禁止)
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2006年03月14日(火) そういや友人に法学部卒の子がいたけど彼女ならこの辺の事情詳しいかちら。

昨日の日記で私情も交えて怒りに任せた文面になっちまいましたが、そこからなんも学ばないのもバカみたいなので、ちと冷静になってから『人身事故が具体的にどのくらいの影響を人に及ぼすか』つーのを真面目に考えてみた。
ここでいう人身事故は、便宜上『電車の人身事故』に限定する。車と人や、車同士の事故とは、加害者被害者の分け方がちょっと勝手が違うので。


さて、電車に人がはねられると『人身事故』という表現で表され、電車は止まり、時刻表のダイヤは大幅に崩れて電車に乗っていた人や乗ろうとしていた大勢の人に迷惑がかかる。さらにぶっちゃけ死体の回収や事故現場検証となれば、そのために必要な職員も駆り出される。大体のケースで電車が運転を再開するまで正味40分くらいらしいが(ちなみに昨日のは1時間を越えた。死体の回収にでも手間取ったのかなあ。)、その間客は駅や電車の中で立ち往生、中には他の電車に振り替え運送してもらう事も考えられる。その手間やストレスは一人当たりも相当なもんだけど、この時の被害者は数千人、いや数万人かもしれない。都会じゃ3分に1本電車が来るのも当たり前、そうすると単純計算で電車が30分止まると電車10本分の人が各駅に溢れかえります。当然そんなに入りきらない訳で、実際は他の路線やバス、タクシーに頼るのが一般的か。

仮にこの時通勤、通学で振り替え運送の電車やバスに1万人が頼り、一人平均1000円の交通費を定期券以外で出費を余儀なくされた場合、仮にもし彼らが加害者に『弁償しろ!』と訴えたら、コレだけで賠償金1000万円です。さらに、労働できなかった時間の休業補償などが賠償の範囲として認められる可能性もありうる。実際はそこまで厳しく取り立てる人のケースは聞きませんが、不況のあおりで今後無いとも言い切れない。特に人身事故のせいで大事な仕事に支障をきたしたとか、一部の会社や社員が訴訟を起こす時代が日本にも来るかもしれん。
さらに。鉄道会社の側からすると、電車が止まって客に逃げられればウン百万ウン千万の大損害、人をはねた電車に血が付いてれば洗わないといけないし(ほっとくと見栄えが悪いだけじゃなく、錆びる。)、車体が凹んだり傷付いたら修理しないといけない。当然電車の車体のみならずレールも然り。修理ならまだしも、総取替えとなるとその費用はハンパじゃないだろう。自動車なら一台100〜300万円(高級車だともっとするが割愛)。じゃあ、電車一両って……いくらだ???まあ数100万〜1000万ってところか(憶測だけど)。


するってえと………。大まかに考えて、だ。人身事故で加害者が賠償しなければならないのは、

・鉄道会社からの損害額の賠償(多分コレだけでウン百万円)
・電車の車体のクリーニング代、場合によっては修理代か買い替え代
・レールのクリーニングないし修理代もしくは買い替え代
・死体撤去の為に必要になった人の人件費と機材の使用料
・ひょっとしてひょっとすると事故のせいで足止めくらった被害者から訴訟起こされたらその賠償金


全部払ったら千万単位の金額になりそうです。ヘタすりゃ、億。まあ多分全部は請求されないで1000万くらいが上限だろうと思うけど。



ところで、この場合の『加害者』って誰?…って事ですが。
もしその人身事故が、誰かが誰かを故意に突き落としたりした殺人事件なら当然犯人が加害者になりますが、飛び込み自殺だった場合、自殺した人が加害者にあたります。そりゃ死んだ人とはいえ、大勢の人に被害を及ぼしたのは飛び込んだ人ですから、責任は取らないといけません。たとえ本人は死んでも、遺族にその責任を取る義務がまわってきます。民法896条によれば、死亡者の親族は死亡者の財産を相続するのだが、相続は「債務も含めて」するのであって、死亡者が賠償責任を果たしてなければ親族に賠償責任があります。。遺産だけもらって借金は知らないなんて甘い事は通用しません。遺族にとっちゃ身内を失ってショックな上青天の霹靂弱り目に祟り目だろうけど、世間は待ってはくれない。
じゃあ遺族は賠償金の支払いで家庭崩壊しろって事ですかと言われそうだけど最後の手段がある。民法915条の相続放棄といわれるもので、責務からは逃れられますが、当然「財産」は持ってかれます鉄道会社(この場合)に。

平たく言うと、電車に飛び込んで自殺すると
死んだ本人は他人に迷惑かけまくった上、罪人並みに呪われる死に方をし、
その遺族は多額の賠償金で家計が破産、ヘタすれば家庭崩壊、
被害者はやり場の無い怒りがストレスになり、
人を目の前ではねてしまった電車の運転手は多分その光景がトラウマになり、
鉄道会社は客に逃げられ大損害。



誰も救われませんね。



…私も精神科にかかっている人間。死にたくなる気持ちは過去に体験したからわかる。(自殺はしなかったがな。)仕事を替えようかと悶々と悩んだり、孤独感に押しつぶされそうになってどうしても辛い時、寂しい時、せめて逢えなくても声だけでもいいから聞かせて…と電話をかけたのに携帯が通じなかった時とか、電話がダメなら、と携帯メールで「今夜話がしたいから電話してもいい?」と必死の覚悟で伝えたのにあっけなく「忙しいから。」と断られた時とか、まさに八方ふさがりで『絶望』でした。でもドクターとの固い約束を守って、自傷行為も自殺もしなかった。それだけは自分を偉い!と言える所だったと思う。

死ぬ事を真面目に考えてしまう時というのは確かにある。
でも、死ぬのだけは待って欲しい。人間いつかは必ず死ぬ。あと100年経ったらココにいる誰も多分もう生きてない。
死ぬのは、今でなくたって出来る。でも、生きる事は、死んだら最期二度と出来ない。後でやっぱり生きたい、もう一度生きたいと思っても、死んでからではどうにもならない。

生きるんだ。

死にたくなったら、死ぬ前にせめてここをクリックして覗いて見て欲しい。
特にこのページには、生きる事を勧める理由のヒントがあります。


年が明けてから、希死念慮が自分の中に見られなくなった事に、ふと気付いた緑川でした。以前は喜怒哀楽の哀しか無かったなあ。哀哀哀哀つうか、無気力、哀、無気力、哀って状態だったんよ。


緑川 志信 |MAILHomePage

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