きっと どこかで
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2006年07月04日(火) 遅い話題ですが・・運動会

小学校6年生の我が子達の運動会が5月にありました。もうだいぶ経ってしまいましたが・・。

我が子達の通う小学校では、6年生は、騎馬戦、組立体操を毎年していました。そして今年も・・。どれも、ユウには出来るのかなあ、と心配していたものばかりでした。運動会の練習は、5月の連休明けくらいから本格的に行われていました。前にも書きましたが、ユウは、4月からずっと体調がすぐれず、休みが多かったのですが、出席した日は、運動会の練習をする、と頑張って参加していたそうです。それは、去年からの担任の先生も驚くほどだったらしいです。それで、わざわざ、私のところへ電話で、「今年はユウくん運動会の練習頑張っています。今回は、他の皆と同じように接していきます。多少疲れることもあるかもしれないから、お母さんも気をつけてみてやってください。」との連絡がありました。

家でも、運動会の事を話す日が多かったです。組立体操には名前がついているのですが、双子のかたわれ、ケンと一緒に、「今日は○○の技をやったよな、お前どの場所なんだ?」と言った具合です。その話しぶりからも、やる気をだして頑張っている様子が伺えました。

そして迎えた運動会当日、今年は、私(母親)が観戦。お父さんは、やはり休みがとれず。それで、私おが例によってビデオを撮ることに。保存用という意味もないことはないけど、それよりは、我が家の場合は、見ていない人に見せる為に撮る、というのも大きな目的です。

担任の先生からは、「練習もぜひ見に来てください。」と言われていたけど、それはなかなか無理な話で、当日、我が子達の演技を見せてもらったのだけど、親の私から見ると、鳥肌立つくらい、頑張っているなあと思わせるものだった。

ほんとに、我が子の成長を感じた日でした。

ただ、その話を担任の先生に後日したら、早速、「でも、お母さん、まだ授業中に席につかずウロウロしている日もあるんですよ。」と言われてしまいました。せっかく、我が子の成長に喜んでいた私は、またそれで、現実に引き戻されてしまったのでした。ユウの事は、クラスの皆はどう思っているんだろう・・、という心配が常にあるんですけどね・・。

今年、実は、ユウのクラスで、役員を引き受け、学級役員をやっています。(ユウがじゃなくて、もちろん、私ー母親が、です。)

学級役員はクラスの連絡事などあると、担任の先生からの連絡を、一番に聞いて、他の人に回す、という役割もあります。

だから、連絡網を担任の先生が作成して、もらった時は、我が子の名前が一番にあるの、大丈夫なんですか?と聞いてしまいました。担任の先生の返事は、ユウくんも、クラスの一員なんですから、ご安心を、という返事でしたが・・。

ケンのクラスでは、既に、3回役員をしているけど、ユウの方では1回もしていなかったので、1回くらいはしてもいいだろう、と思って引き受けました。でもケンの時は、1年生から3年生までという低学年の時。ユウは6年生。なのに〜、ケンの時よりも、学校からの連絡など、きちんと届けてもらえるか、心配なのであります。していた役員も、ケンの時と同じ、学級役員なんだけどねー。

また、役員をするようになって、学校で声をかけてもらえる機会が増えました。人間って、ゲンキンなもんだなー、と思いました。

ケンと同じクラスで我が家によく遊びに来る子供がいます。その子のお母さんにも会いましたが、運動会当日、全く挨拶なしです。このお母さんは、もしかして、我が家に子供が遊びに来ていることも知らないのかな、と思いました。だって、最近は名札を付けるように言われているから、それを見れば、誰の親か、すぐわかるようになっているのに、です。

その子は以前、我が家に忘れ物をしたので、届けてあげました。そういうことも、全く知らないのでしょうね。まあいいです。知って欲しい訳じゃないから。話したくないならしかたないけどね。ケンの話によると、その子は、市営団地の子供らしいです。我が家は、一戸建です。そういうので、違いを感じているんでしょうか?私が子供の時は、相手がどんな家に住んでいる子供とか関係なかったけどね。それこそ、我が家は転勤族のせいもあり、借家住まいだったのに。

私が子供の頃は、親が、地元でも有名な会社の社長さんの娘さんと言うのが近くに住んでいて、遊びに来ていいよ、と言われたので、時々遊びに行っていました。お手伝いさんもいるような裕福な家で、遊びに行くとそのお手伝いさんが、お茶やお菓子を出してくれました。

私の親は、私が遊びに行く時は、おみやげを持たせてくれました。遊んでくれるお礼、とでもいったところでしょうか。

でも、借家住まいと言っても、私の父の職業は、立派なもので、その地域では、ありがたがられるようなものだったのです。だから、社長さんの娘さんも私と遊ぶ事を、親からも許してもらえたんだろうと思います。今思うと、よくそんな家に遊びに行けたなあと思います。それも、一人で行った事も、何回かあるんですから。(近かったので)

そしてそのお母さんというのも、優しそうな人だったのです。社長さんの奥さんと言っても、今思えば、えらぶったところのない腰の低い人でした。


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