今から8年前。
俺が20歳の時。
一緒に茨城に就職したAが、地元の海で死んだ。
夏に帰省して、地元の友達と海に行って、そのまま死んだ。
遺体は翌日の朝に浮かんできたという。
彼が死んだというニュースが流れた夜、茨城で仲の良くなったBが俺に電話してきた。
俺とAとBは3人ともが青森生まれで、遠く離れた茨城の地で仲良くなる事に時間はかからなかった。
Bは電話で話しをする分には、まだAが死んだ事を知らないようだった。
俺は頭の片隅で、第六感で電話してきたか? と思った事を今でも覚えている。
『相坂、最近どう?』
『ああ、今学校行ってるんだ。介護の。』
『へー。』
『Bは何してるの?今でもあの会社で働いてるの?』
『うん。まあね。』
『奴。死んだよ。』
他愛もない話を続け、久しぶりに話す柔らかい感じをぶち破る、俺の容赦ない一声。
そいつは驚き、これから青森まで来るという。
Bは携帯を握り締めた。
『相坂。』
『あ?』
『俺、Aの事、いつまでも忘れないよ。』
『・・・・ああ。そうだな。』
『俺、この携帯にAの住所とか生年月日とか、全部打ち込んだんだ。』
『・・・・は?』
『俺、いつまでも、いつまでもずっと忘れない。』
正直、俺は引いた。
・・・・・・キモチワルイ・・・・・・とさえ思った。
ここまで固執する、死んだAにすがるようなBを、俺は異質の目で見ていた。
なぜ、そう思ったのか。
なぜ異質の目で見ていたのか。
8年前の俺は、自分でもなぜそう思ったのか分からなかった。
ただ本能だった。
本能でそう思った。
俺は冷たい人間なのか、それともどこかズレてるのかって自己嫌悪になった。
あれから8年経った今。
実は今でも時々思い出す。
なぜあの時、そう思ったのかって。
これから生きていくうち、きっと何度も友人の死を見ていく。
それをいちいち記録に残す事が¨キモチワルイ¨と思ったのかも知れない。
今の俺はそう思う。
あの時、キモチワルイと思った原因は、そこだったのかも知れないって。
俺は、
俺がもし死んでも、キロクになんて残してくれなくたっていい。
時々思い出してくれるだけでいい。
あぁ、あんな奴がいたな、って。
キロクよりもキオクに残して欲しい。
俺はきっとBに対して、あの時そう思ったんだなって。
8年前の自分が感じた¨キモチワルイ¨は、きっとそういう事だったんだなって。
俺はキオクの方がいい。
いつか忘れる時がくるから。
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