無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2007年01月06日(土) 去勢された人々/映画『パプリカ』

切断遺体:頭髪、胸部など切り取る
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070106k0000m040161000c.html

> 東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)方で長女の短大生、亜澄(あずみ)さん(20)の切断遺体が見つかった事件で、亜澄さんの遺体から頭髪と胸部、下腹部が切り取られていたことが分かった。死体損壊容疑で逮捕された次兄の予備校生、勇貴容疑者(21)は胸部などについて「流し台のディスポーザー(生ごみ処理機)で処分した」と供述している。性別などの判別を困難にする工作と取れる半面、激しい恨みを示す行為ともみられ、警視庁捜査1課は理由を追及している。(後略)

 連日、この事件についてばかり書いているようだが、毎日のように新事実が発覚しているので仕方がない。前日の日記でも予感していたことが当たった形になっているが、やっぱりこの兄、妹の一部分を切り取ってたねー。
 「流し台のディスポーザーで処分した」というのはまず間違いなくウソだろう。妹さんの一部は現在、兄の立派なウンコとなり果てた、そういうことである。

 ここまでの状況が判明すれば、これが「なじられてカッとなって衝動的に殺した」事件などではないということは馬鹿でも理解できると思うのだが、新聞が未だに慎重すぎるほど慎重に、「性別をごまかすためか」とか「激しい恨みか」とか、あえて一番思いつきやすい想像を避けているのは失笑ものである。どんなにきれいごとで済まそうとしても、事件の陰惨さは隠しようもないことだと思うのだが。
 小学生じゃあるまいし、チチやナニを切り取っただけで性別がごまかせるなんて思うか? ただの恨みでその部分だけ切り取るか? 兄妹でなければ、こんな遠回しな表現はしないと思うが、近親相姦のタブーがこんな形で現れるというのも現代人のモラルのいびつさを象徴しているように思える。
 このニュース、毎日新聞以外にはどこにも掲載されていないようだ。ガセという可能性もあるけれど、他社は報道を控えたんじゃないかね。

 ニュースは子供も見る。だから控えた。そういう言い訳も成り立ちはするのだが、それが表現の規制の本当の理由ではないということは、この国に長く住んでいる人間ならば当然、気が付くことだろう。
 即ち我々は、社会的に去勢されているのである。

 去勢された社会の、去勢された人々によって作られる報道は、性に関する事件については、自然、「捏造」にならざるを得ない。
 いつものように無意味な「動機探し」は今回も識者とやらを中心に行われることだろうが、それとても肝心な部分は適当に回避され、「心の闇」という便利な表現の中に収束されていくのだろう。

 しかし我々は認識すべきである。ゲームや同人誌等でも、兄妹相姦ものは巷に溢れかえっている。別に識域下の問題に還元せずとも、我々は兄妹が血縁である以前に生物学的な男女であることを充分に知っているのだ。これは人間の暗部ではない。人間の本質である。
 これを唾棄すべきものとして目を背けることは誤りである。タブーのために表には現れていないが、近親相姦は現実には案外頻繁に起きている出来事なのだ(どうして私がそんなふうに断言できるかということについては追求しないように。答えはしないから)。
 あなたがそれを身近に感じていないとしたら、それはただの僥倖なのである。信じないというのなら、それはあなたの勝手である。

 あなたは兄だろうか、妹だろうか、あるいは兄妹の親だろうか。そのいずれかであるならば例外はない。みなさんの間に肉体関係が結ばれていないとしたら、それは、単に文化的慣習によってそれが回避されているというだけのことに過ぎない。
父親が娘を犯さないのは、息子が母親を犯さないのは、兄が妹を犯さないのは、それが「家族」なのだという概念の元に抑圧されているからである。即ち、家族は家族であるだけで常に崩壊の方向に向かう要素を内包させているのだ。
 その事実を前提としない「家族復活論」がいかに現実性に乏しいか。きれいごとの報道に単純に誘導されない知性を我々は取り戻さねばならないと思う。そうでなければ、我々はいつまで経っても去勢されたまま、未熟な性を持て余し、コントロールできないまま暴発を待つだけの危険な社会の中で生き続けていかねばならなくなるのである。


 シネリーブル博多駅で、映画『パプリカ』。

 原作 筒井康隆/監督 今 敏/脚本 水上清資、今 敏/キャラクターデザイン 安藤雅司/美術 池 信孝/音楽 平沢 進/制作 マッドハウス/製作 パプリカ製作委員会 (マッドハウス, ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)/配給 ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント

 声の出演 林原めぐみ(パプリカ/千葉敦子)、江守 徹(乾精次郎)、堀勝之祐(島寅太郎)、古谷 徹(時田浩作)、大塚明夫(粉川利美)、山寺宏一(小山内守雄)、田中秀幸(あいつ)、こおろぎさとみ(日本人形)、阪口大助(氷室 啓)、岩田光央(津村保志)、愛河里花子(柿本信枝)、太田真一郎(レポーター)、ふくまつ進紗(奇術師)、川瀬晶子(ウェイトレス)、泉久実子(アナウンス)、勝 杏里(研究員)、宮下栄治(所員)、三戸耕三 (ピエロ)、筒井康隆(玖珂)、今 敏(陣内)

 ストーリー
 パプリカ/千葉敦子は、天才科学者時田の発明した、夢を共有する装置DCミニを使用するサイコセラピスト。
 ある日、そのDCミニが研究所から盗まれてしまい、それを悪用して他人の夢に強制介入して悪夢を見せるという事件が発生するようになる。
犯人の正体は、目的は。そしてこの終わり無き悪夢から抜け出す方法は……。

 『富豪刑事デラックス』『時をかける少女』『日本以外全部沈没』、そして『パプリカ』と、昨年は「筒井康隆イヤー」と言ってもいいくらいの筒井作品の映像化は大盛況で、これなら筒井さんも生活は安泰であったろうとホッとしている。
 なんせ筒井さん、何年か前のエッセイに「生活水準を維持するためには俳優を続けるしかない」旨のことを書いてらっしゃいましたからねー。筒井作品が読まれないなんてことは、格差社会よりも北朝鮮危機よりも憂慮すべき事態だと、本気で思ってる次第なんですよ。
 若い連中で、「活字なんてつまんない」とか糞馬鹿なこと言ってるやつは吐いて捨てるほどいるのだ。もう、はっきりと「お前ら人間じゃねえ。どーぶつだ」と言ってやった方がいいんじゃないか。それが言えないのは大人が自信なくして現実逃避してるだけだと思うぞ。

 それはさておき、『パプリカ』である。
 サイコダイブを題材にしたSF作品は数多いが、妄想ツンデレ(笑)少女が精神治療を行うって設定のものはそう多くはないと思う。『GS美神 極楽大作戦!』にも似たようなエピソードがあったが、『パプリカ』とどっちが先だったろうか。
筒井SFのヒロインと言えば、真っ先に思い浮かぶのが『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』の火田七瀬だが、パプリカのキャラクターは間違いなくその延長線上にある。
 テレパス七瀬は男性の意識、無意識を覗き、精神破壊を行うが、これは逆説的な「癒し」であった。七瀬シリーズ書かれた時代は、精神治療が一般化していなかったから、七瀬は強制的に男性の心に入り込まざるを得なかったわけだが、パプリカは違う。
 パプリカは既に男性から求められている。男性の好む容姿を持ち、ツンデレ属性まで持ち合わせ、ストレートに患者を夢の中でカウンセリングして抑圧を開放し、癒しを与える。男はパプリカの意のままだ。
 しかも物語の中で、最終的に癒されるのは典型的なデブオタ・時田である。
 これではちょっとオタクに媚びすぎてるんじゃないかという気もしないでもないが、つまりは世の男性はそれくらい、現実の女に幻想を持てなくなってしまっているということなのだろう。
 オタク的コミュニケーション不全は、自意識を過剰に拡大させ、妄想を肥大化させる。その結果、理想の女性像は現実と極端に乖離し、もはや自らの妄想の中でしか性的快楽を得られなくなる。工夫がないくらい単純に、幼児退行を起こし、パプリカになでなでしてもらうことを求めることになるのだ。
 物語の中で、「夢の女」という泉鏡花の小説のタイトルが漏らされる。パプリカは、まさに理想のアニマとして、オタク男子の夢を叶えるためにそこにいるのである。

 そう考えると、この声優のキャスティングは実に興味深い。
 究極のオタク・時田は古谷徹だ。アムロ・レイがメカオタだったことを覚えているアニメファンは多かろう。時田の夢の中の仮の姿はブリキのロボットであったが、いっそのことガンダムもどきのモビルスーツにしてしまえばよかったのにと、本気で思った。時田の幼児性を考えれば、その方が自然ではないだろうか。
 そしてパプリカは林原“アヤナミ”めぐみである。その符合についてはもう説明するまでもない。彼女は今回、再び「巨大化」してくれたが、巨大女フリークのフェティシストたちは、「あの爽快なシーン」にきっと狂喜したことであろう。江守徹、もって瞑すべし(笑)。

 『パプリカ』は徹頭徹尾、男性論理によって成立しているSFである。女性から見れば「男ってこんなに幼稚なのか」と驚かれるかもしれないが、深層意識まで大人である男などは存在しない。男はみんな死ぬまでマザコンである。
女性もまた、男の正体はこんなものだと諦観して、白馬の王子様などいないと理解してもらいたいものだ。

 七瀬シリーズで男性の単純な欲望を描いたように、『パプリカ』も男の幼稚な夢を描き出す。
 その潔さが小気味よい。男もまた、自分の正体や弱点が暴き出されてしまったことに腹など立てず、幼稚でもデブでもオタでも、天才でさえあれば、たまにはいい女をゲットできると夢想していればよい。
 つまり、天才でないあなたは、ナベブタで妥協することである。
……そういうお話なんですよ、『パプリカ』は(笑)。

2005年01月06日(木) 触んなきゃできない演技指導なんてない/『金魚屋古書店』1巻(吉崎せいむ)ほか
2003年01月06日(月) 食えないモノを食う話/『名探偵コナン 揺れる警視庁1200万人の人質』/『ジャイアントロボ誕生編』(伊達憲星・冨士原昌幸)ほか
2002年01月06日(日) 言えない話と男の優しさと英語落語と/『西岸良平名作集 蜃気郎』1巻(西岸良平)ほか
2001年01月06日(土) ああ、今日は土曜か。今気づいた(^_^;)。/映画『ビッグムービー』



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