無責任賛歌
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| 2006年02月04日(土) |
筑紫は国のまほろば/映画『ギミー・ヘブン』 |
『ウルトラマンマックス』第32話「エリー破壊指令」宇宙工作員ケルス登場。 最終回も近いマックス、シリーズ締めくくりを感じさせるエピソードが散見するようになってきたけど、今回のがアンドロイド・エリーをフィーチャーするラスト・エピソードになるのかな。私はかなりこのキャラクターを気に入っていたので(ヘアースタイルを除いて)、名残り惜しい。「そんなに女の子が好きか」とどこぞから声が飛んで来そうだが、私ゃ男なんだから女の子が好きなのは当たり前である。男の子を好きだったら、まあそれはそれで今は何でも自由な時代だから後ろ指差されるようなことでもないのだが、一応、私はノーマルなんである。もちろん女の子だけに限定されるわけでもなくて、熟女だってドンと来いだ。実際にドンと来てくれることなどないのだが。 なかなかマックスの話にならんな(笑)。
宇宙工作員ケルス(小田井涼平)のプログラム侵入によってコントロールされ、UDF破壊のためのミサイル発射誘導装置にされてしまったエリー(満島ひかり)。エリーはダッシュアルファで逃亡し、ベースタイタンも強制閉鎖されてしまった。ダッシュドゥカでエリーを追ったコバ(小川信行)だったが、ケルスに対峙した彼にUDFの非情な命令が下る。「エリーを破壊せよ」……!
第7話で登場した宇宙工作員ケサムの同僚(笑)による再地球侵略計画編。ケルスがケサムの名前を出されて、「あんなやつと一緒にするな」と自分の方が上であることを強調するのは、死神博士と地獄大使の関係のような、魔王デカンダと流星鉄仮面のような。譬えが古くて悪いねえ(笑)。イマドキこれをやられると、途端にドラマが安っぽくなるので、やめて欲しいんだけど。どうも『マックス』はエピソードごとの出来のムラが激しくて、今回はちょっとマイナス面の方が目立つ。 DASHの機能が殆どエリーに一任されていたために、機能不全に陥ってしまったのは。まあそれだけエリーが優秀だってことだし、ドラマの展開上、仕方がないことではあるのだが、それにしてもこれまでにもしょっちゅう宇宙人に侵入されたり、電波妨害を受けたりと、防衛機関としてはなんか弱すぎる印象が強くて、いくらなんでもちょっとどうかなと思うのである。ココは「ペットロボット」って設定なんだけど、ホントにただのペットでまるで役立たずなのか? ケルスはケルスで、簡単にDASHにアジトを強襲されてしまうし、最後の手段がエリーを人質に取るというチンピラヤクザなみのやり口で、これでどうして「ケサムより上」と威張れるんだか。 だいたい、ケサム編の続編なら、フィーチャーすべきはケサムと「いい仲」になりかけたミズキ隊員(長谷部瞳)であるべきで、前編とのつながりが、ミズキがちらっとフラッシュバックでケサムを思い出すだけってのは、何のための続編なんだ、と首を傾げざるを得ない。つまりはこのエピソード、コバとエリー、ケサムとミズキ、そしてトリのケルス対マックスと、ドラマが分裂しちゃってて、整理が付いていないのである。つかさー、この話、「もう予算がないから、以前使った着ぐるみリフォームして、ついでにエリー活躍編にできない?」って注文で作られたんじゃないかって気がするぞ。いくつもの要求をこなすためにツギハギになっちゃったって印象が強いのである。 まあ、現在の円谷プロの実力を考えると、毎回秀作ばかりというわけにいかないのも分かるんだけれど、これがエリーのラスト・エピソードだと思うとねえ(死ぬわけではない)、ラストの笑顔がやっぱり素敵だっただけにねえ、もったいなくってねえ。 で、いよいよ来週はバルタン星人登場、飯島敏弘脚本監督作品だ。飯島監督は一端現役を退いたあと、復帰した後は作るものことごとくアマアマな作品ばかりなんで、そんなに期待しちゃいないんだが、飯島さん以外にバルタンを任せるわけにもいかないしねえ。まだ最終回じゃないから、シメじゃないだけいいと考えるべきかね。
昼食の後、運動療法を兼ねて近所の板付遺跡を散策。 立春の日に古代のまほろばに思いを馳せるというのも何となく意義があるような別にどうでもいいような(笑)。弥生式土器の最古のものが発見された遺跡として知られ、それはおよそ紀元前900年。讖緯説(しんいせつ)に基づく神武天皇即位よりもはるか太古に博多の民は筑紫平野のあちこちに集落を作っていたのであって、庶民の歴史は天皇家より古いのである。そもそも人間の伝統はどこかの家一つを過剰に持ち上げずとも創世のころより連綿と続いているのだ(またこれも誤解を受けたらいかんから書いとくけど、別に天皇家をないがしろにしていいと言いたいわけじゃなくて、ウヨクやサヨクのように過剰反応する既知外と一緒にするなと言いたいだけだ)。 それはさておき、休日とは言え、地元に古代史や考古学に興味がある人間がそんなにたくさんいるとは思わず、資料館もどうせ無人だろうと高を括って入ってみたら、確かに客は私一人だったのだが、観覧者の記帳記録を見ると、今日だけでもう十人ほどが来ていたのだった。しかも博多区民だけでなく、東区あたりからもやって来ている。意外に人気があるんだなあとビックリする。 受付にいた館員さんも、ちょうどヒマだったのか、私がそう広くもない館内を見て回るのに一緒に付いてきて、展示物についていちいち解説をしてくれる。 「これは、弥生人の足あとです。実際に残されていたものを石膏でかたどったんですよ。床にあるのもそうです」 なるほど、床には24、5センチほどの足あとがふらふらと出口に向かって塗られている。 「親指が随分、外に向かって離れてますね?」 「ああ、それは田んぼの中で踏ん張っているからですよ。昔ははだしで、履物はなかったんです」 なるほど、展示物を見ても当時の衣服は再現されていても履物はない。靴や下駄はなくても草履みたいなものはあったかもしれないが、少なくとも野良仕事で使うことはないだろう。現代人の発想だと、どうしても藁靴くらいは履いてたんじゃないかと思ってしまうところだ。 村の側溝を掘り返したその地層を壁に貼り付けているのを見ていると、館員さんがまた近づいてきて、「ここに青銅器がありますよ」と、土の中の出っ張りを握ってみせた。展示物が剥がれるんじゃないかと心配するほどだったのだが、館員さんは気にもしないで、勝手に解説を始めてしまう。 「弥生時代にはまだ青銅器はありませんからね、これはその時代には側溝はもう埋められて、ゴミ捨て場になっていたということなんですよ」 つまりこの村が存在した期間も、土器の材料の科学的分析やそんなことからほぼ確定できるということである。その青銅器は何の道具だろうなどとちょっと疑問に思いはしたのだが、ヘタに質問などをしてしまうと解説攻めに遭いそうだったので(笑)、適当なところで資料館は引き上げて、遺跡の方に回る。 発掘された広い敷地は公園のようになっていて、近所の人たちにとってはちょうどいい散歩コースだ。村の周囲がぐるりとかなり深い側溝になっているのは、用水のためもあるが外的からの防衛のためもあるのだろう。土手は切り立っていて足場はかなり悪く、ちょっとバランスを崩したら、側溝の下まで転げ落ちてしまいそうである。打ち所が悪ければ大怪我をしそうな感じだ。私には多少高所恐怖症の気があって、ベランダの手すりから下を見下ろすとクラッとなることもしばしばなのだが、不思議なことにその上に立ってもあまり怖いという感じがしない。高いと言っても、空中に放り出されるわけではなく、転がり落ちて行くイメージガ想定できるからだろう。本当に転がり落ちたりはしないよう、充分気をつけて、携帯で写真を撮る。あとでミクシィにアップするためである。こちらの日記は写真をアップできないのがネックだね(できるのかもしれないがやり方が分からない)。 村の中には、竪穴式住居が二十戸ほど再現されている。いくつかの家の中には実際に入ってみることもできる。中は正直、とても広いとは言えない円形の空間で、せいぜい四畳半程度しかなく、真ん中に穴が掘ってあって囲炉裏のようになっているので、脇で寝ようと思ったら、膝を曲げて横になって寝るしかない。しかしそれも弥生人の生活の様子が想像せられて、こういうのが好きな人にとってはたまらない魅力だろう。しばらく中で木の株の椅子に座ってのんびりしてみたが、外はかなり寒かったのだが、中はだんだん暖かいように感じられてきた。茅葺の屋根には今朝の雪がまだ残っていたが、中までその冷気が染みこんでくることはない。雪や暴風程度では吹き飛ばされないほどの頑丈さはありそうだった。子豚もこれなら狼から身を守れそうである。 運動のために来たのに、骨休めに来た感じになってしまった(苦笑)。でもまあ、いかにも立春らしくていいかなとも思う。
夜、シネ・リーブル博多駅で映画『ギミー・ヘブン』を見る。
ある大企業の会長が、自宅の豪邸で殺害された。現場には奇妙な文様の血痕が残されていたが、それが何を意味しているのか、捜査員の誰にも理解することはできなかった。その家の養女・麻里(宮��あおい)は幼いころに両親をなくし、施設で育てられていたのだが、これまでに三度、富豪の養女に貰われ、受け入れ先の親がみな謎の死を遂げるという奇妙な符号を見せていた。しかし、どの事件においても犯人は挙がっており、麻里が嫌疑を受けろことはなかった。 自分が感じたり見たりしたものが他人と違う感覚を伴って脳にインプットされてしまう「共感覚」の持ち主、葉山新介(江口洋介)は、相棒の野原貴史(安藤政信)と組んで、インターネット上で盗撮サイトを運営していたが、ある日、ある女の一室に仕掛けていたカメラに異変が生じているのを発見する。女は失踪し、そのベッドにはあの「文様」と同じものがマーキングされていたのだ。それはかつて人々を自殺や殺人に駆り立てた伝説のネット犯罪者「ピカソ」が残していたマークだった。 新介と貴史は女を探す過程で、河川敷の排水溝で倒れている少女を発見する。それは殺人事件の直後に失踪していた麻里だった……。 先に断っておくが、この映画は基本的に観客をかなり限定してしまう映画である。いや、実際は別に限定はしていないのだが、昨今は映画の見方に関して素養のない人間がゴマンと増えてしまっているので、「この描写はなぜ存在しているのか」、また逆に「この描写はなぜ存在しないのか」がまるで分からなくなつているのだ。特にこれは、「本格ミステリー映画」である。ネットの感想などを見てみると、この映画に批判的な意見を述べている人間は、軒並みこれがミステリーだということに気付いていない。 「全然怖くない」なんて意見はホラー映画と勘違いをしているし、「これこれこういう描写がないから分かりづらい」なんてのは、それを描くとトリックがバレるからわざと隠しているのである。あまりにも馬鹿意見ばかりに出会うので、ああ、日本にミステリーは全く根付いていないのだなあとまたまた悲しい気分にさせられてしまった。 『名探偵コナン』のようなミステリーとして見れば箸にも棒にも掛からない作品が人気を呼ぶのも所詮はキャラ人気でしかないし、横溝正史の原作小説の中では出来の悪い方の『犬神家の一族』や『八つ墓村』の方が映像化の頻度数が高いのはムード優先でミステリーとしての完成度など二の次にしているからだし、本格ミステリーの歴代ベストテンに選出されるような傑作が殆ど映像化されていないのも、結局は「そんなものを作っても一般の観客には何が何だか分からない」からである。 これも何度も例えに出していることだが、八百屋に行って「肉が売ってない」と腹を立てるのはまさしくお門違いというものである。『ギミー・ヘブン』への批判も殆どが的外れであって、ではこの映画をどのように鑑賞するのがマットウであるか、ということが問題になるのだが、これを説明するためにはトリックから何から内容を全てネタバラシしなければならないので、それは不可能なのである(ネットで堂々とネタバラシしてるやつも、そのへんの素養がないやつばかりだから、微妙にネタをバラし損なっているのが笑える)。 でもそれをしたからと言って、もともとミステリーの素養がない人間には何を言っているのか、そもそもそれがどうして問題になるのかはチンプンカンプンであろうし、ミステリーが「分かっている」人には言わずもがなである。つまり書くこと自体に意味がないのだ。 だもんで、結局言えることは、「ミステリファンならぜひ見なさい」ということだけである。隔靴掻痒を感じているのはあなたより私の方なんだから文句は言わないように。 でもよー、何が馬鹿かって、この映画を配給してる松竹やらアートポートが一番の糞馬鹿でね、パンフレットのあちこちで(それこそイントロダクションで!)、犯人とトリックをバラしまくってるんだよ。パンフ先に読んでこの映画を見た客は、そりゃ何が面白いんだか分からないだろうよ。私には事前にパンフは読まない習慣があったからよかったけどね。
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