無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2006年01月07日(土) まだまだ書き足りないが/舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』

 長いような短いような、結局年末年始のタノシミをことごとく潰してくれた入院生活も今日でやっと終了である。
 本当だったらなあ、年末は上京して「イッセー尾形とフツーの人々」の舞台に参加するつもりでいたんだがなあ。何日も喉の痛みと咳が止まらなくて、鼻血がとめどなく出て、食ったものをゲロゲロ吐いて、腰が抜けて歩くのもツライ状況になって、かかりつけの病院に駆け込んでもロクな検査をしてくれなかったので別の総合病院に行ってみたら有無を言わさず緊急入院させられたのである。精密検査をしてみたら中性脂肪は1500(通常は100以下)、ヘモグロビンA1Cは12.5(通常は5.8以下)、血糖値が500近くあったので(通常は110以下)、医者の話によれば「昏睡寸前」だったのだそうだ。ほっときゃマジで死んでたかもしれないのである。
それが、インスリンの点滴を打ったり、食事制限して運動して、まあ私自身も努力はしたつもりだが、中性脂肪は95、血糖値が85まで下がったのだから、医者も「こんなに早く回復するとは思いませんでした」とびっくりするほど。おかげで10日退院の予定が三日早まった次第である。
 けれどこの病院、看護師がいい加減で入院中は連絡が行き届かず、検査やら栄養指導やら糖尿病教室やらの予定がコロコロ変わって、かなり右往左往させられたのだった。正直、こんなんじゃ医療ミスもしょっちゅう起こってるんじゃないかと疑われるほどで、二度と再入院はしたくないのである。まあ、アバウトだったから、運動療法に看護師が付き添うこともなく、コースを外れて本屋に行ったりしてもバレなかったし、消灯時間後もあまり見回りが来ないので、テレビを見ることもできたりして、気楽に過ごせはしたのだけれど。
 でも病院としてはこんなに管理体制がデタラメなんじゃろくでもないと言われても仕方がないよな。

 病院での最後の朝食は七草粥。
 テレビでちょうど「最近は七草粥を作る家庭も少なくなって、七草を言える人も殆どいなくなりました」なんてニュースを放送している。昔は七草粥を食べない家庭なんてなかったから、本当に誰でも暗唱できていたのだが、イマドキは世の中馬鹿ばっかに成り果てているから、下手すりゃ七草を「しちぐさ」とか読みかねない。私なんぞは幼稚園のころから「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ これぞ七草」と呪文のように口にして覚えていた「常識」なのだが、これも言えないというのなら、若い人の持っている「常識」というのはいったい何なのか。モー娘。のメンバーを全員言えることか。
 しきたりとか伝統とか、そういうものの中には確かに旧弊で因循なものも多々ある。しかし、「災厄除け」という迷信的なタテマエはともかく、七草粥が、まだ名のみの春の時期に採れる野草をうまく調理して栄養価の高いものとして食膳に供することができるようにしたものであるということは、先人の季節の生活に密着した知恵の産物であり、決して簡単に捨て去ってしまってよい習慣ではないと思うのである。
 モノを知らないだけならそりゃきちんと教育してくれなかった親や教師や環境のせいに責任を転嫁することもできるが、いったん知識を提供されても「そんなもの知らなくてもいい」と馬鹿であることに開き直ってりゃあ、「馬鹿の中の馬鹿」だともっと蔑まれるだけである。そんな端から見ていて恥ずかしくてたまらなくなるマネなんかしてないで、少しはモノを知ろうって努力をしてみろよと言いたくなるのは当然の帰結だろう。上から見下ろしたようなモノイイほするんじゃないよとお叱りも受けそうだが、言いたくなるんだよ、あまりにも馬鹿だから。
 でも、世間は、そんなこと言ってもわかんないくらいの馬鹿ばっかりになっちゃってるから、私の文句も所詮は愚痴にしかならないんだけどね。

 迎えに来た妻が、テレビカードの残りを換金し忘れて家と病院を2回も往復したり、というドジは踏んだものの、九時には無事に帰宅。帰る間際にも運動はしていたので、風呂に入って汗を流す。病院の風呂より狭いが、くつろぐのはやっぱり自宅の風呂だ。
 メールのチェックなどをするが、正月早々からスパムも何件か。以前に比べればかなり減ってはいるけれど、鬱陶しいことは鬱陶しい。テレビを点けると、下関駅が74歳のジイサンに放火されたとのニュース。放火未遂の前歴があり出所したばかり、「腹が減ってムシャクシャしたので火をつけた」という、イカレてることがハッキリ分かる例。だから刑務所放り込まれてる時点で、こいつは外に出したらなんかまたやるって分かるだろう。いくら刑務所が満杯だからって、簡単に外に出しすぎだ。
 江戸の昔なら火付けは死罪だったんだが、どうして今はこんなに刑が軽くなったかね。一歩間違えれば何十人と人死にが出る危険があるんだから、これって立派な殺人未遂ではないの。どうせ老い先短いジジイなんだし、看守が黙ってりゃバレないからこっそり首締めとこうよ。90になっても絶対またやるぞ、このジジイ。



 夕方から、博多座で舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』。
 テヴィエ役は市村正親。アニメファンには『ジャックと豆の木』のジャック役で有名。ってそこから入るか(笑)。最近では『砂の器』で妙に芝居の濃い劇団主宰者役を演じていたが、一般的には当代随一のミュージカル役者として評判の高いこの人の演技、私はあまり買ってはいない。『探偵スルース』や『デモクラシー』といったストレート・プレイでは、その口跡の明確さや派手な仕草がかえって災いして、どうしても芝居が不自然に見えてしまっていた。ミュージカルならばそういった欠点は目立たないかと思って今回の舞台はかなり期待して見に行ったのだったが、やはり「臭さ」が先に立ってしまっている。結局、この人を「演技派」と呼ぶのは間違いだろう、という印象をまたまた強くしてしまったのであった。
 困ったことに、私は、1986年、森繁久彌がテヴィエを演じた全盛期の『屋根の上のバイオリン弾き』(「ヴァイオリン」は「バイオリン」だったのだね)を帝国劇場で見ている。「翻訳劇の日本化に最も成功した例」と評された初代版と比較されれば、分が悪いのは必然である。市村正親も決して手を抜いているわけではないのだろうが、森繁のあの「絶妙の間」には遠く及ばない。去り際に妻ゴールデに向かって「クソババア」と小声で捨て台詞を残して逃げて行くタイミングとセリフの速さ、これが市村は森繁よりも0.5秒ほど遅い。しかしこのほんの遅れが「命取り」になる。
 森繁版では帝国劇場内は大爆笑の渦に包まれていたが、市村版は「そこそこの笑い」しか生まれてはいない。それは殆ど役者陣の「間の悪さ」に起因している。森繁版『屋根』が成功したのは、この芝居に従来のいわゆる「翻訳劇臭さ」が感じられなかったおかげなのだが、それは森繁以下の役者陣が、浅草軽演劇の俗っぽいくらいの「間」を導入し、この「外国劇」をあたかも戦前からの人情喜劇のように「見せかけ」て、「日本化」することに成功していたからである。「ホームドラマ的な要素が強調されたため」と評する演劇評論家は多いが、それもやはりこの「下町的な間」が生み出した効果なのだ。これがなければ、翻訳劇によく見られる「わざとらしさ」ばかりが目立つのも当然である。
 更に言えば、ラビ役を演じた益田喜頓の不在、これはあまりにも大きい。今回、ラビを演じているのは青山達三という人だが、笑いが取れるべきところで殆ど客を笑わせることができなかった。間が悪いのみならず、セリフの解釈を殆ど間違えまくっていたからである。のほほんとした口調ですっかりボケているのではないかと見せかけて、村人たちに離村の決意を促す要となるセリフのみは重厚かつ理性的に語るあの緩急の妙、これは他の俳優にはちょっと無理である。今思い返せば、森繁版は益田さんのために「見せ場」を増やしてさえいた。
 まあ、役者たちも演出家も、「翻訳劇の日本化」などには全く気を配ってはいなかったのだろう、ということは見当が付く。それは、メインテーマである『陽は上りまた沈む』が、森繁版では日本語歌詞で歌われていたものが、原タイトルどおり『サンライズ・サンセット』と「英語に戻されていた」からである。しかしそうなると、この物語は所詮は我々とは縁もゆかりもない「ユダヤ人の物語」でしかなくなり、登場人物たちに感情移入することが困難になってくる。
 父親テヴィエが娘たちの結婚に反対するのはユダヤ教の「しきたり」に彼女たちがことごとく背くような結婚を望んだためだが、これをそのまま舞台にかけても、ユダヤ教徒でも何でもないごく普通の日本人にとっては、まさしく「他人事」でしかないのだ。日本人に感情移入させるためには、そういう宗教的な部分を「薄め」なければならない。その配慮が今回の舞台にはあまりにも足りなかったのである。
 じゃあ、誰に森繁の跡が継げるかって言うと、そんな役者はいるわきゃないんで、現実的には市村さん程度で我慢するしかないんだけどね。歌は名曲揃いだから、役者に多少難があっても退屈するほどではないのが救いと言えば救いか。



 マンガ、六道神士『エクセル・サーガ』15巻(少年画報社)。
密かに「またアニメ化してくれないかな、エルガーラとか宇美ちゃんとか巨乳キャラ増えてるし」とか考えてるそこのキミ、夢から早く覚めて現実に戻りなさい。
 それはさておき(何がさておきだ)、蒲腐博士の本名ってジークスだったんやね。あそこへはウエストの焼肉店以外、殆ど足を踏み入れたことはありません。天神でも外れの方にあるんだもの(何のことかよく分からない人のために簡単な説明。このマンガの舞台は福岡で、キャラクターの名前には全て福岡の地名ないしは建造物の名前が付けられてあるのです)。更にイルパラッツォが福岡征服のために開店した「新しくできた駅前の量販店」というのはヨドバシカメラのことで、これでようやく福岡住民にとっても「カメラはヨドバシ、カ・メ・ラ♪」のテーマソングがポピュラーになりました。ライバル店の「ベター電気」(「ベスト電器」だよ)が「感じの悪さに拍車がかかってる」ってのもマジな話で、これまで地元で殿様商売してきたツケが回ってきた感じですね。私もベスト電器には段々足を運ばなくなりました。
 えー、それからどうしてドカベンが出てくるかって言うと、水島新司がソフトバンクホークスファンだってこともあると思うけれど、社会人野球クラブチーム「福岡ミサキブラッサムズ」の監督がドカベン香川伸行だという関係があると思われます(ちなみに総監督は森口博子)。
 本筋と無関係な話ばかりで申し訳ない。まあ、戻ってきたエクセル、絶対六本松の返信だよなってことで。あとコメントすることないんか(笑)。

2005年01月07日(金) キネ旬ベストテン発表/『3年B組金八先生 新春スペシャル』ほか
2003年01月07日(火) 顔のない時代、歌のない時代/『全日本ミス・コンビニ選手権』(堂高しげる)ほか
2002年01月07日(月) 食い放題に泣く女/『エンジェル・ハート』2巻(北条司)ほか
2001年01月07日(日)  ああ、あと三日休みが欲しい(贅沢)/アニメ『人狼』ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)