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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月20日(火) 湯浅憲明監督、死去

 今年一番の猛暑。どこぞでは39.5度を記録したとか、40度を越えたところもあるとか。
 福岡でも、街を歩くとあちらこちらで、体力のない女子供や老い先短い老人が熱中症で倒れ伏している(嘘)。

 こういう暑い日には訃報があるんじゃないかと危惧していたら、やっぱり「昭和ガメラ」の湯浅憲明監督が物故。でも亡くなってたのは6月14日のことであった。死因は脳梗塞。享年70。
 発表がここまで遅れた理由はよく分らないが、「葬儀は近親者のみでおこなった」と記事にあるから、多分、ご本人のご遺志だったのだろう。
 「昭和ガメラ」シリーズが終了して30年以上、テレビの『コメットさん』や『刑事犬カール』『ウルトラマン80』などから数えても何十年もの間、映画、ドラマから離れていたわけだから(いやまあ、『コスプレ戦士キューティナイト』の監修とかあるけど)、実質的には引退状態だったのだろうが、不思議なことにそんな印象がない。なんだかつい最近も映画を撮っていたような気すらする。それだけ、私たち「ガメラファン」の心の中に、湯浅監督が「今も」生きていたということなのであろう。

 「私たち」と書いたが、40代以上で自分のことを「ガメラファン」だと自信を持って言い切れるファンがいったいどれだけ生き残っているのだろうか。「平成ガメラ」ファンではない、「昭和ガメラ」ファンの、である。
 東宝の「ゴジラ」シリーズに比べて、大映の「ガメラ」シリーズはどうしても後発ゆえの謗りを免れず、「ゴジラよりもガメラのほうが好きだ」と言えば、かつては(今でも)いっぱしの特撮ファンから鼻であしらわれたものであった。いわく、「特撮がチャチ、金がかけられていない」「ストーリーが子供向け、子供騙し」「そもそもカメが空を飛ぶってだけでお笑い」……それを言うかな。
 ともかくゴジラシリーズに比べれば、子供向け路線が露骨だったのが「オトナ」から見れば「馬鹿馬鹿しい」と捉えられていたのだろう。なんたってガメラは「子供の味方」である。なんであんなドデカイ怪獣が子供にだけは味方をしてくれるのか、リクツを考えていけば確かにオカシイのだが、しかし、それを当時子供だった我々は別にツッコミもせず素直に受け入れていた。設定のチャチさに気付いていなかったのではない。チャチであろうと、その設定の魅力が子供たちの心を捉えて離さなかったのだ。テレビの特撮番組で、ピアノ線を発見して笑っていた子供たちも、ガメラには不平を言わなかった。ディテールに突っ込むのとはわけが違う。「子供の味方」であることを否定することは、ガメラの存在自体を否定することになる。自分の友達を否定できる子供など、誰がいるだろう?
 我々は『ガメラの歌』を、『ぼくらのガメラ』を、『ガメラマーチ』を本気で歌った。『ゴジラマーチ』は誰も本気で歌わなかったのにである(いや、一応こっちも歌いはしたけど)。

 ガメラは子供にしか分らない友達だった。もっと具体的に言えば、「孤独な子供」にとっての友達であった。ガメラシリーズでガメラの「友達」に選ばれる子供はほんのひと握りであり、それも子供たちのグループからはどこか外れた、「規格外」の子供たちである。核家族化が進み、「鍵っ子」が社会問題化していたあの時代、「村八分」な目に合っていた子供たちは多かった。怪獣ファン、アニメファン、そういう子供たちは確かにたくさんいたが、中でもガメラが一番好きだ!と断言できる子には、「のび太」のような「いじめられっ子」が多かったのではないか。その意味でガメラは「座敷わらし」と同じく、「ある特殊な子供にしか見えない」民俗なのである。我々は座敷わらしの伝承は失っていたが、代わりにガメラを得ていたのだった(今の子にとっては、これが「トトロ」あたりになるのだろう)。
 だからこそ言えることがある。
 オトナになって、「昔のガメラって、今見るとつまんないよね」と簡単に言ってしまえるのは、座敷わらしが見えなくなっているのと同義なのである。いや、大人になっても妖精の存在を信じているのはデンパさんであろう。私だって、別に「ガメラが本当にいてくれたら」なんてことが言いたいわけではない。オトナになって、夢見る心や純真な子供の心を失ったとか、そのことを憂えたり、童心主義を礼賛したいわけでもない。
 人間として作りあげられてきた自分、「文化」としての自分を、そんなに簡単に否定してしまっていいのか、ということなのである。

 「平成ガメラ」が復活した時、我々ガメラファンは喜んだ。“どんな形であろうと”、ガメラが再び見られる、こんな嬉しいことはないからだ。だから、物語がリアル路線に切り替わろうが、ガメラから背中のウロコが消えようが、ギャオス以外のライバル怪獣を一体も復活させなかろうが、「藤谷文子、子どもじゃないじゃん」と腹が立とうが、監督が「別にオレたちガメラファンじゃないしぃ」と公言しようが、脚本家が「『キングコング対ゴジラ』を参考にした」とライバルのコンセプトを持ち込もうが、特撮監督が「所詮カメじゃん」とのたまおうが、数々の暴言、失言について「我慢」したのだ。いやしくもプロである彼らは、不満を抱えつつも「カッコイイ」ガメラを現代に蘇えらせてくれたのだから。
 それでも彼らは、いったんは「許しがたい」暴挙に出ようとした。あのガメラのトレードマークである「回転ジェット」を「リアルじゃないから」と外そうとしたのである。それが会社の反対にあって渋々復活し、結果的にそれは平成ガメラ第一作で一番燃えたシーンになった。これがガメラファンの溜飲をどれだけ下げたことか。

 映画として、平成ガメラの方が昭和ガメラに比べてはるかに見応えがあるのはわかる。普通に特撮映画ベストテンを選べば、昭和ガメラは一本も選ばれなくても、平成ガメラはランクインするだろう。しかし、映画の完成度と、「好き」度、あるいは自分を作ってくれた何かに対する愛情度、感謝度とは、必ずしも比例はしない。特撮ファンが昭和ガメラシリーズで評価するのは、せいぜい『大怪獣ガメラ』『大怪獣決闘ガメラ対バルゴン』『大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス』までである。私も、特に映画ファンでない人に「面白いよ」と勧めるならギリギリここまでである。しかし、登場する子供たちが大活躍し、ガメラの窮地を本当に助けたのは、実は第四作の『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』以降なのだ。
 『バイラス』でスーパーキャッチ光線を反転させ脱出するアイデア、『ジャイガー』でガメラ体内の幼虫を退治するアイデア、どれもありきたりなもので今の若い人にはつまらないと感じられるかもしれない。けれど、我々が当時あの映画を見ていたとき、私たち「子供」は、確かにあの子供たちと「一緒になって」ガメラを助けていたのだ。

 唐沢俊一氏の『ガメラを作った男―評伝 映画監督・湯浅憲明』を読むと、湯浅監督はかなり計算高い人で、子供を主人公にしたのも、ゴジラの後発作品で二番煎じの謗りを受けつつも客を呼ぶための「策」であったことが語られている。こういう記述を見るとすぐに「商業主義」と非難する人も多いが、これはそういうレベルの話ではない。安易なキャラクター造形力では、たとえ子供を主役にしたところで、子供の共感を得られるものではないのだ。
 湯浅監督は決して子供を「無力な存在」としては描かなかった。大人では気がつかないちょっとした知識、感性、それだけでも充分大人顔負けの活躍を見せてくれること、いわば江戸川乱歩の小林芳雄少年や明石一太郎少年の末裔としての少年像を、そこに描いてみせてくれていたのだ(あのね、大人の知識持ってるのに姿は子供、なんてインチキとは違うんですよ)。
 いつもは、誰か好きな役者さんや監督さんが亡くなると、ネットをあちこち散策して感想を読んだりするのが常なのだが、今回はやめた。なんかねえ、半可通なオタクがヘタに昭和ガメラを「分析」して貶すのを見たりしたら、さすがに泣きたくなりそうだから。

 昭和46年、私は大映の倒産を学校帰りの道端で、友達から聞いた。
 ガメラがもう作られなくなることも。
 あの時の、友達の寂しそうな横顔と、目の前に広がる田んぼの何事もなかったかのような風景は、今も目に焼きついたままである。あの友達は、今もまだガメラファンだろうか。あの時の田んぼはとっくに潰れてしまっているけれども。
 ゴジラは何度中断しても、絶えることなく作られてきた。ゴジラファンは、ゴジラの姿形が変わっても、「やっぱりゴジラだ」と思って映画館に足を運ぶのだろう。けれどガメラは、やはり昭和46年のあの日以来、帰って来てはいない。今、あのガメラの背中に乗っているのは、きっと湯浅監督なのだろう。

2003年07月20日(日) もう今更ロリコン犯罪にも驚かないし/『バジリスク 甲賀忍法帖』1巻(山田風太郎・せがわまさき)ほか
2002年07月20日(土) 漫画映画復活!/映画『猫の恩返し』/『ああ探偵事務所』1巻(関崎俊三)/『美女で野獣』1巻(イダタツヒコ)ほか
2001年07月20日(金) 一人で見る映画/映画『千と千尋の神隠し』



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