無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2003年08月25日(月) 世代の違いってことじゃないと思うけど/『ASTRO BOY 鉄腕アトム』1巻(手塚治虫原作・姫川明)

 ここ数日、急に暑くなってきたけれど、何となくいかにも夏らしい楽しげなニュースがポツポツと。

 昨24日、神奈川県秦野市のマンションに独り暮らししていた84歳の老女を、77歳になる老女の義妹が、アイスピックで10ヶ所以上刺して殺して逮捕。
 77歳が84歳を。なんかこないだも似たような事件があったけど、最近のトシヨリはなんて元気なんだろうね。ムダな元気って気もするが。なんかね、イマドキの無気力な若者がすっかり霞んじゃう勢いだね。でもこのまま若いモンが負けちゃってていいものなのか。少しは巻き返しを考えなきゃいけないんじゃないのか。頑張れ若者。って何を煽ってんだか(~_~;)。
 でもねえ、どうしても何をそんなに焦ってたのかって思っちゃうよねえ。無理して殺さんでも、早晩ポックリいくだろう(おいおい)。よっぽど、あと数年が待てないくらい憎んでたのか、被害者が二百歳くらいまで生きそうな超元気な婆さんで、自分が死ぬ前に何とかせねば、とかなんとか考えてたのか。
 でも動機はまだよくわかんないみたいだね。犯人の婆さん、以前から周囲の人たちに「あいつ(被害者)が家をダメにする。殺してやる」とか公言してたっていうけど、別に一緒に住んでたわけじゃないみたいだし、何を言いたいのかよくわからない。婆さん、都営住宅に住んでいながら、近くの公園などに野宿することもしょっちゅうだったっていうから、ただ単にイッちゃってただけなのかも。熱帯夜だったからなあ。
 ……だったらさっさと医者に連れてきゃよかったんじゃないのかなあ。それをしなかったってことは、周囲の親戚とか、触らぬ神に何とやらで、傍観を決めこんでたんじゃないのかね。自分たちに累が及ぶくらいなら、誰か一人に犠牲になってもらって、さっさと逮捕されてほしいと願ってたのかも。勝手な憶測ではあるけれど、実際に「そういう人」って多いでしょ。


 もう一つ、同じく昨24日、東京都庁45階の第1本庁舎南展望室で、埼玉県在住のサラリーマン(27)が、突然隠し持っていた「文化包丁」を自分ののどに突き付けて座り込みを始めた。男は約1時間後、警察の説得に応じて銃刀法違反の現行犯で逮捕されたけれど、取調べに対して「インターネットのチャットで知り合ったヤクザの男の悪口を言ったのがバレて命を狙われている」「自分はカッとなると見境いがなくなる性格だ」などと供述しているという。見学客約60人は現場から避難してみな無事だった。
 これも状況がよくわかんないけど、その「ヤクザ」に本名とか住所とか教えたんですかね、この人。知り合ってプライバシーをすっかり知られたあとでヤクザだってわかった可能性もあるし、相手の身内に名うてのハッカーがいて調べられたってことも考えられなくはないけれど、まあ十中八九、ただの妄想ちゃいますかね。だって素直に警察に保護を求めりゃいいじゃないの。警察がアテにならないと思ったら夜逃げすりゃいいんだし。逮捕されるよりゃずっとマシだろう。
 つかもう、次の「自分はカッとなると云々」でもうこりゃ「ここんとこ暑い日が続いてたからなあ」としか思えませんがな。
 みなさん、クーラー病の心配もあるかも知れませんが、イッちゃうよりはずっとマシだと思いますからあまり外を出歩かないでじっとしてましょうね。

 
 仕事帰りに先日まで夏コミに出かけていたZUBATさんと博多駅で待ち合わせ、開田裕治さんとこの同人誌『特撮が来た!6』を受け取る。夏コミ行けなかったんで、それだけ頼んどいたのである。
 それからミスドでしばらく駄弁って、夏コミの様子やら何やら。
 「眼を悪くしなけりゃ行きたかったんですけどねえ」
 「行かなくて正解でしたよ、三日間ずっと雨だなんて初めてです」
 実を言うと、どうやら私や妻に関して唐沢俊一さんあたりにとんでもないデマを飛ばしてる人たちがいたようなので、そのへん誤解がないかどうか、お伺いもしてみたかったのである。ZUBATさん、災難ですねと言いながらも、販売中はお忙しいからお話はできないですよ、と仰る。それもそうか。でもまあ誤解はいつか必ず解けるものと楽観的な考え方をしているので、特に慌ててはいない。
 そのあたりから、今時の同人作家やネットの話など。
 「(プロになれるくらい)才能のある人たちが、狭い世界に閉じこもってるのはどうしてなんですかねえ」
 「そりゃ居心地がいいからですよ」
 ZUBATさんはご自身もずっとコミケに参加していらっしゃるので、私の同人作家たちに対する批判的な言質に対しては自然と擁護する形になる。それはもちろん構わないのだが、私の判断に対して「そうではない」と否定するのではなくて、「その通りだけれども、それでいいじゃないですか」という言い方をされるのが何だかしっくり来ない。プロアマを問わず、表現をする者は自分の作品を読んでもらいたいと思うものではないのだろうか。
 「仲間内の小さなコミュニティで読んでもらえればそれで充分じゃないですか。広く読まれて批判なんかされたくないですよ。だいたい自分の好きなマンガを貶されたってだけで怒り出す人間ばかりなんですから」
 昔、『もののけ姫』についてある女の子と話をしていて、「アシタカって、呪いは完全に解けてないよね。結局死んじゃうんだな」と言ったら、彼女が「私のアシタカの悪口言わないで!」といきなり叫んだことを思い出した。
 「でもそういう小さなコミュニティがネットで繋がっている今の状況はいいことだと思うんですよ」
 でもお互いを拒絶してるのなら、実質的には繋がってないってことだ。それのどこに意味があるというのか、どうにも理解に苦しむ。けれどそこで「もっと広い世界を見るべきではないか」なんて他人の家のドアをこじ開けるようなモノイイもしたくはないので、私のほうもただ首を捻るばかりである。
 「同人誌にしろネットにしろ、みんな自分の意見を言いたいだけですよ。人の意見なんて最初から聞く気ないんです。山本弘さんの掲示板見てれば分かるでしょ? 『煽りに反応するな』ってパソコン通信のころから言われてるのに、全然変わってないんですから」
 それは私も本当に不思議でしかたがなかったのだ。煽りとハッキリ分かる意見に対してどうして過剰反応する人間しかあそこにはいないのか。コトバが瞬時にやりとりされる普通の会話と違って、書き込みをするのには当然時間がかかる。その間に熟慮するということがどうしてできないのだろうか。
 「ネットはそういうものです。藤原さんは志が高過ぎるんですよ」
 そんなにたいそうなことを私は語ってるつもりは全くない。自分の言いたいことを言ったり書いたりすれば、批判される可能性があるのは当たり前だし、それは覚悟しなきゃなんないことだ。それは私にとっては高邁な思想でもなんでもなく、ただのコモンセンスとしての「常識」にすぎない。
 この「志が高い」という言葉にどうしても違和感を感じてしまうのは、それではまるでZUBATさんが「馬鹿に馬鹿と言ったって怒るのは当たり前でしょう」と聞こえてしまうからである。それって、全然身内の擁護になっていない。
 『トリビアの泉』を引き合いに出して、ZUBATさんはこうも言う。「うちの会社の若い子もあれ見てますけどね、知識を得ようとかそんなこと考えてないですよ。司会者の掛け合いがおもしろいから見てるだけです」。
 ますます「みんな馬鹿だけどそれでいいじゃないですか」と言ってるようにしか聞こえない。いや、馬鹿であることは全然いけないことではないのだ。人間はみんな馬鹿なんだから。でも、だからこそ人は自分の無知を恥じ、モノをもっと知りたいと思うものではないのだろうか。「学生のころもっと勉強しておけばよかった」と語るオトナは多い。上から押しつけられ詰めこまれた勉強は苦痛でしかないが、いったん解放された人の好奇心は、自然、快楽を求めるがごとく貪欲に知を漁り始める。実際、私の周りの人間はそういう人たちの方が圧倒的に多いのである。そしてそういう人たちと会話している方が、偏狭な世界に引きこもってる人たちと語り合うより、ずっと楽しいと思うのだが。
 ZUBATさんは、ネット上で私が人や作品を批判すること自体、「言葉がキツイですよ。相手は怒るのは当然じゃないですか。なんでそんなことを全世界に発信するんですか」と仰るのだが、批判と悪口の区別がついている人なら、私の言質が全然キツクなんてないことはおわかりだろうし、普通、この程度のことで怒ったりはしないものである。
 いや、仮に口汚い悪口だって、怒る必要は全くないのだ。繰り返すが、ネットに何かを書くという行為は、自分が批判に晒されることを覚悟するということでもある。私ももちろんその覚悟で書いているし、岡田斗司夫さんも唐沢俊一さんも日頃からそう公言されているし、掲示板が荒らされる覚悟で運営を続けている山本弘さんもそうだろう。と言うか、そんなのはプロアマ問わず、モノを書く上での基本的な心構えなんであって、高い志でもなんでもない。実際、私はどんな悪口書かれても全く腹が立たないが、別にそれは私の人格が高潔だからではない。それが「常識」だからである。「そうでない人もいる、というのも事実でしょう」、と言われるかもしれないが、事実だろうが何だろうが、常識的な判断を非常識な方に摺り寄せる必要は、普通はない。
 正直な話、批判されて怒るというのはただの傲慢ではないか。まさしく「おれの意見を聞け!」と思ってるだけで、回りに迷惑かけてるだけである。
 冷静になって考えてみれば、ネットで作品の批判してる人間だって腐るほどいるのだ。ZUBATさん自身も映画を見て「あれは面白いつまらない」ということを全世界に発信している。それこそ「ネットはそういうもの」なのである。批判を笑い飛ばせる余裕もないのなら、ネットにモノを書くことって、苦痛にしかならんと思う。

 例えばこれ読んでもZUBATさんは怒ったりするのだろうか。「これは書いちゃ誤解を生じるなあ」という部分はしっかり省略している。それを読み取って頂ければ、この文が悪口でもなんでもなく(批判ですらない)、単なる疑問だということはご理解頂けると思うのだが。
 も一つ付け加えとけば、私的な付き合いでウソとか追従を私ゃ言いたかないんですよ。そんなもんで小さな幸せ守ったって自分が淋しいだけですから。
 もちろん、記憶に従って書いているから、事実の誤認、意味の取り違えがあればいくら訂正を入れていただいても構わないのだけれども。


 マンガ、手塚治虫原作・姫川明漫画『ASTRO BOY 鉄腕アトム』1巻(小学館/てんとう虫コミックススペシャル・510円)。
 なんと、“アニメ版”『アトム』のコミカライズである。手塚治虫のマンガ原作がちゃんとあるのに、どうして? と怒ってる手塚ファンもいるんじゃないかな。でも、前の二度目のアニメ化のときも手塚治虫自身がアニメの設定に合わせたリメイク版『アトム』を描いているのである。もしも手塚さんが生きてたら、きっとまた今度のアニメに合わせたリメイクをしたに違いないのだ。要は中身が面白いかどうかで判断すりゃあいいこった。
 けど、アニメ版よりずっと色っぽいぞこのアトム。マツゲなげーし、おメメキラキラだし、全体的にクネッとしてるし。いやまあ私はウランのほうがやっぱりいいけれども。
 ストーリーもアニメと基本設定は同じでも、いろいろ変えているところが多い。アトラス死なねえし(つか、ハカイダーになっちゃってたね)、電光、破壊されて電子頭脳だけになっちゃうし。それでアニメより面白くなってるかっていうと、たいして、としか答えられないんだけど。
 でもこういう珍品にはやっぱり眼を通しておきたくなるものなんですよ、はい。

2001年08月25日(土) 夢は宇宙/『なつのロケット』(あさりよしとお)ほか
2000年08月25日(金) 唐沢本の感想書けなかったけど面白いぞ/『垂里冴子のお見合いと推理』(山口雅也)ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)