無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年06月10日(火) 遠くなった人たち/『きみのカケラ』1巻(高橋しん)

 なんだかテレビのニュースは、「万景峰(マンギョンボン)92」の出航取りやめのことばかりである。
 いや、報道するのはいいんだけどさ、どうしてこう、拉致被害者の家族のデモとか、在日朝鮮人のインタビューとか、事件の全容を解明するのに何の貢献もしない内容ばかりなのかね。こちらの知りたい事実は全くって言っていいほど報道しないんだもの。もしかして、マジで何も知らないのかね? だとしたら、日本の報道機関の調査能力って、ゼロってことじゃん。「情けない」を通りこして、もう「あほ」としか言えませんな。
 しかもそのほんの些細な報道内容にしたところで、「拉致被害者の家族らは安堵の表情を浮かべ、在日朝鮮人社会には困惑が広がった」という具合に、「で、どっちの味方がしたいんや」と突っ込みたくなるほど無内容。平等報道のつもりかどうか知らんが、こんな電波のムダ遣いみたいなニュースばっかり垂れ流されてるとさあ、なんかイラついちゃってねえ。
 「北朝鮮の亡命技師が米議会公聴会で、『ミサイル部品の90%は万景峰号で3カ月ごとに運ばれていた』と証言した」。
 それはわかった。だったら、その万景峰号のどこにどう部品を隠してたのか、その可能性を検証することを報道陣はどうしてしない? 万景峰号の構造が分らない? 狭いところでも隠そうと思えば隠せる? そういうことじゃないんだよ、かつてその船に乗り込んだことのある人や、これから乗船する予定だった人に「政治的な意見」しか聞こうとしないその姿勢に、事実を検証しようなんて気がサラサラねーんだなってことが見てとれるから「バカかてめえ」って言いたくなるんだよ。
 結局、この船がホントに工作船であったかどうかということなんて、マスコミにとっては実はどうでもいいことなんである。こういう無内容な報道ばかり続けてるとさ、聞いてる方はもう、全く関心を示さなくなるか、あるいは白か黒か何の検証もしないで先入観だけで物事を判断するようになるか、どちらかになっちゃうんだけどね。そうなるともう、「相互理解」なんてのはほぼ不可能になる。まさかそれを狙ってるのか? マスコミさんよ。


 地下鉄のFカード、すっかり使いきってしまって、ホントはまた新しいのを買わねばならないのだが、いちまんえんなどという大金は今の私に出せる額ではないのである。それならば千円のでも三千円のでも、とりあえず買っときゃいいではないかと言われそうだが、そんな大金は今の私にはとても出せる額ではないのである(^o^)。
 だもんで、バスカードのみで博多駅まで遠回りして帰るのだが、これだともう、家に着くまで2時間近くかかる。全く、何でこんなめんどくさい職場に毎日通わねばならんのだ。
 もっとも、博多駅に寄れると、バス待ちの10分ほどの間に、立ち食いウドンが食えるという楽しみがありはする。久しぶりにコロッケうどんとかしわ握りを頼む。隣にいたサングラスをかけてちょっとお洒落な感じのおばちゃんが、偶然同じものを注文。「久しぶりにかしわ握りが食べられたわねえ。いつ来ても売り切れてるんだもの」と喜んでるのだが、その感想まで一緒(^o^)。
 ウドン屋の類にかしわ飯やいなり寿司を置いているのも、福岡の隠れた名物である。お握り=かしわという図式が擦りこまれてるので、実際、飛ぶように売れている。十回通って一回食べられるかどうかなのだ。
 しげとすれ違い生活が続いてる私の、これが今のささやかな楽しみであったりする。


 夜、こうたろう君改めグータロウ君が(たまに覗くかもしれない読者さんのためにしばらく併記しておこう)、いつもの朝の書きこみをしてなかったので、カラダの具合でも悪いのかと、ちょっと電話してみる。
 休日の「祭り疲れ」は残っていたものの、もう大丈夫だということで、ひと安心だったのだが、逆に昨日の日記の記述のことで心配され返されてしまった。全く、お互い心配しあってりゃ世話はないのである。
 まあ、心配してくれる友人がいるということはありがたいことである。もっとも、陰で私のことを中傷している人間がいるらしいことに対して、わがことのようにグータロウ君が立腹してくれるのは、ありがたいことはありがたいのだが詮無いことだよなあとも思う。
 誤解する人間は何をどう弁解したって誤解するものだし、一度仲がこじれたあとで自分が間違っていたと気付いても、人はそうそう素直に謝れるものでもない。謝ったところで、そこで仲が元通りになることはなく、しこりは残る。
 私自身は心底バカなので、何かトラブルがあった相手に対してもそういうしこりが全く残らないのであるが、残るタイプの人間にはそんなことはわかりはしないのだ。それが証拠に、私のことを中傷してた人たちは、とうの昔にそれが誤解だったってことは分かってるはずなのに、未だに何のリアクションもしてこないのである。自分に対する言い訳を考えるのに汲々としてるんではないかね。
 あるいは事実でないことを脳内変換して、あたかも事実であるかのように思いこんでいるのかもしれない。となれば、そういう人たちはみんな「触らぬ神」なんだわな。疎遠なままにしておいていいんじゃないの、と思うんである。


 マンガ、高橋しん『きみのカケラ』1巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 発売されてたのは随分前だったのだが、ようやく読了。
 高橋さんが体調を崩されて活動を休止しているようなので、2巻がいつ出るかは心許ないのだが、何だか本格的なSF作品になりそうな雰囲気なので、ぜひ再開してもらいたいものだ。
 副題に“LOOK FOR ONE PIECE.TO THE FUTURE OF YOURS.”(カケラを捜せ。君たちの未来のために)なんて書かれていると、どうしてもシェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』を連想してしまうが、実際、そんな感じの話である(^o^)。
 高い壁に囲まれ、降り続く雪にいつか埋もれて、死ぬことを待っているだけの狭い国。ヒロインの王女(ではあるが権限は既になく、奴隷扱いである)イコロには「笑顔」が欠けている。突然「落ちて来た」少年、シロには「痛み」や「記憶」が欠けている。その「欠けたカケラ」を探しに、二人は狭い世界から旅立っていく。
 二人を追う「戦族」の3人組が、まんまドロンボーで、「ヒトガタ」と呼ばれる「何か」を追ってきて……となると、その展開はどう見ても『ふしぎの海のナディア』なんだけれども、これは冒険モノの王道パターンなんだし、あまり目くじらは立てまいよ。
 しげにはまた、「また、高橋しんなんか読んで」と言われそうだが、こういう切なげ系なマンガに惹かれてしまうというのもアレですよ、私が昔なくしてしまったココロのカケラに対する未練なんだと思って(^_^;)、お目こぼし願いたいのである。

2002年06月10日(月) 騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか
2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか



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