無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年06月07日(土) なんだか盛り沢山な日/映画『腰抜け巌流島』/DVD『怪獣大戦争』ほか

 ホントは今日は出勤してほしいと頼まれてたのだが、そうそう休日出勤ばかりしていたら、カラダが持たないのである。
 もともと休みなんだから、休んでなんの悪いことがあろうか。
 というわけで、朝寝をするつもりが、目覚めたら七時。なんか数時間寝ただけで起きちゃいました。カラダがやっぱり仕事人間になってるのかなあ(それはないない)。


 DVD『怪獣大戦争』、コメンタリーは土屋嘉男さん。
 もちろんこの映画にはX星人の統制官として影の主役を演じていらっしゃるのだが、コメントは「俳優、土屋嘉男伝」といった内容で、デビューから黒澤映画への出演、例のUFOの話と、いやまあ、面白い話がいっぱい。もちろんそれらの多くは黒澤明関連の本や土屋さんのご著書などにも紹介されているものではあるが、やはり「語り」を交えられると一味違うものを感じる。
 土屋さんのデビューのきっかけが太宰治からの「君は俳優になりなさい」の一言だったというのは初耳だった。こういう重要なことが自伝に書かれてないとは思えないから、多分私は読みおとしていたのだろう。「ほんとはあの人が俳優になりたかったんだよねえ」という太宰評はいかにも的を射たものという印象だ。

 実のところ私は、土屋さんのお名前を知ってからも、『地球防衛軍』のミステリアンや、この『怪獣大戦争』のX星人の統制官が土屋さんだとは長らく気付かないでいたのだ。黒澤映画の利吉や森半太夫が、別の映画で宇宙人とは、あらゆる役を演じるのが役者の仕事だとは言え、あまりにイメージが違いすぎたためである。「あんなお面かぶって顔の見えない役をやるなんて」という周囲の揶揄は当時からずっとあったようだが、土屋さん自身が「やらせてください」と本多猪四郎監督に頼みこんで出演することになったという話を何かで読んだときには、涙が出そうになった。怪獣映画をバカにしないで出演してくれる役者さんは、今でこそ増えはしたが、当時は珍しかったに違いないのである。そのあたりのことも今回のコメンタリーで語られている。

 土屋さんのご著書にも書かれていることだが、私が大好きな、黒澤さんと本多さんにまつわる一エピソード。黒澤さんが土屋さんに語ったという、本多さんについてのコメントである。
 「猪(いの)さんの映画って、怪獣が襲ってくると、みんな大八車引いて逃げ出すだろ。でもそれをちゃんと交通整理してる警官がいるんだよねえ」
 「監督ならどう演出しますか?」
 「そりゃ、警官は真っ先に逃げるよ。……でもね、あれは猪さんの良心なんだよ」
 近年のゴジラ映画にどうしても飽きたりなく感じるのは、この「良心」の欠落にあるのではないだろうか。

 あと、「統制官の演技はシェークスピア風」だとか、「X星語はドイツ語やイタリア語っぽいものの中に芥川龍之介の『河童』語を混ぜた」だの、「ニック・アダムスは撮影中ずっとダイエットしていて、しょっちゅうズボンを上げるのがくせになっていた」とかいうこぼれ話はどれも楽しい。しかし、あの賛否両論甚だしい「ゴジラのシェー」の発案が土屋さんだとは知らなかった。土屋さんファンの身としても、いくらなんでもそれはちょっとどうかと言いたいような、「でも土屋さんが言ったんならなあ」と弁護したいような、痛し痒しの心境である。
 土屋さんももう76歳である。『ゴジラVSキングギドラ』に出演したあとは、Vシネマや『水戸黄門』のゲストなど、数作の出演作しかない。お年を考えれば無理のないことではあるが、東宝、次のゴジラにでも出演依頼をしてくれないだろうか。


 しげから、急ではあるが「よしひと姉様、また泊まりに来るよ」と聞いたので、こりゃ今日は夜更かしになるだろうと、昼のうちに仮眠。
 練習を終えて、夕方、しげ、よしひと嬢を連れて帰宅。ちょうど、『腰抜け巌流島』をBSで放送中だったので、主役の宮本武蔵役の役者を指して、「これ誰だかわかる?」と聞いてみる。
 「……どこかで見たことあるような気はするんですけれど」
 「森繁久彌だよ」
 「……ああ、言われれば」
 昔の映画の方に馴染んでいると、今の爺さんの森繁の顔の方が「老けたなあ」としか私には思えないのだが、やはり若い人には昔の顔の方が「若いなあ」になるのだろう。つくづく自分が年を取ったと感じることである。
 と言ってる私も、佐々木小次郎のヒゲを生やしてない大泉滉のつるんぺたな顔には違和感を感じてしまうのだが。大泉滉は子役時代の『風の又三郎』のときの美少年ぶりと、『赤影』のアヤシイ宣教師との間にギャップがありすぎて、私の中ではその間がミッシング・リンクになっているのだが、これはちょうどその間を埋めるものか。
 しかし当時の森繁、飛んだり撥ねたり、よく動いているものである。
 ナンシー関さんは、まず確実にこのころの森繁映画を見てはいなかっただろうが、見た上で貶すなり批判なりをしてほしかったと思う。そうすれば時代観察としての意味以上のものが書けたと思うのだが。

 食事は諸岡のロイヤルホストで。
 よしひと嬢、口内炎が出来ているので汁ものは避けたいと言っていたのに、グラタンやシチューを頼む。やっぱり「いたた」と涙を流しながら食べていたが、そうなるとわかっててどうして目先の欲にとらわれるか(^_^;)。
 しげと私は、定食メニューを。最初しげは「スパもほしいし、これもあれも」と悩んでいたが、結局メニューを一つだけに絞る。最近、ようやく「我慢すること」を学習したようである。
 食事をしながら雑談をしていたのだが、そのうち、ホームページのコンテンツの話になる。よしひと嬢に、イラストを何か描いてもらえないか聞いてみたのだが、最近しばらく描いていないとか。
 「『名探偵コナン』は描ける?」
 「あの絵はちょっと……」
 しげが「他力本願」と突っ込む。でも私が描くとこいつは「自画自讃」と文句をつけるのだ。どうすりゃいいんだ。
 『名探偵コナン』を批判してることについても、しげの舌鋒は厳しい。
 「なんでそんなにトリックに拘るの? まずはストーリーじゃん」
 「トリックにだけ拘ってたりしてないよ。プロットもストーリーもキャラクターもチグハグだし、まず殺人の動機が一番いい加減だって言ってんだよ」
 「でも口を開いたらすぐに『ミステリーとして』って言うけど、読者は『面白いかどうか』だけで、いちいち『コナン』がミステリーかどうかとか考えてないって」
 「それはそれでいいんだよ、オレが『ミステリーとして』っていうのは、その言葉を使えば他の細かいめんどくさい説明をしなくても通じる相手がいるからで、『話が面白いかどうか』って意味でなら同じなんだし。だいたいおまえは『コナン』面白いの?」
 「ひまつぶしに読むのにはちょうどいいよ。けど、読みながらいちいち『ああ、この事件のトリックはこうで、犯人は誰だな?』とか考えないよ。アンタの読み方って、物語を読んでるんじゃなくて、『クイズマニアがクイズを解く』見方になってるじゃん」
 「そういう描き方をあのマンガがしてるからだよ。『ミステリーとして』読まれることを意図してることがはっきりしてるのに、ファンがみんなそこんとこは無視して、新一の蘭への愛がどうの、平次の和葉ヘの愛がどうのって、そんなとこだけ見てるほうがよっぽどおかしいよ」
 「……そんなに好きなん?『コナン』が」
 「好きじゃなきゃ、単行本41巻全部買って、特別編も19巻まで全部買って、映画も毎年必ず見に行って、ムックまで買ったりせんわ!」
 ……いや、自分で言っててもバカだと思う。そりゃ、わかっちゃいるのだ。
 私は『コナン』の話のチャチさや既成作品からのパクリの多さや、ミステリそのものに対する作者の志の低さにばかり腹を立てているのではなく、どちらかと言うとファンサイトを開いてる腐女子の「ものの見方の狭さ」の方に憤りを感じていたのだ。
 でも、更によしひと嬢から聞いたのだが、『コナン』のヤオイ本というのもちゃんと存在してるようなのである。
 「誰と誰だよ。小五郎とコナンか」
 「いや……大坂の方にいるじゃないですか」
 「……平次とコナン? ああ、いや、平次と新一か」
 「いえ、平次とコナンで」
 「コナンと? 攻めはどっち?」
 「コナン君のほう……かな?」
 イカレてるとしか思えないが、考えてみたらこんな話をまだ日も落ちてないのにロイヤルホストで堂々と喋ってる我々もそうとうイカレているのである。
 他にも、海外作品の翻訳がどれだけ雑か、などといった話など、多々。
 よしひと嬢、「久しぶりにたくさん喋った」と言ったけど、そんなに彼女の会社は、コミュニケーションの少ないところなのだろうか。 


 帰宅は9時。しげは昨日の夜に出勤してから、丸24時間寝てないので、もう限界が来ている。風呂の準備だけを何とかして、寝床に転がりこんでキュウ。
 せっかく時間があるので、よしひと嬢に、まだ見ていないという黒澤明のDVD『天国と地獄』を見せる。
 10時を回ったころ、愛上嬢から電話が入る。ラクーンドッグさんのメアドを聞きたいということだったのだが、生憎私は知らない。しげは寝こけて起きてくる気配がないので、困っていると、よしひと嬢が教えてくれた。明日の練習のことで鈴邑君が連絡を取りたがっていたそうである。
 愛上嬢、「あとで遊びに行っていいですか?」と言うので、どうぞどうぞと答える。私も夜更かししてお相手できるのは土曜の夜くらいのものである。
 『天国と地獄』の終盤のころ、愛上嬢来る。本が山積になっている部屋に三人は、少々どころか大変手狭なので、何とか椅子を空けてそこに座ってもらう。愛上嬢は、黒澤映画を見るのは初めてだとか。地上波のテレビじゃ黒澤映画を流す機会も少なくなっているから、それも仕方のないことか。
 見終わったあと、よしひと嬢、感極まったように「面白かった……。久しぶりに面白い映画を見た……。『マトリックス』なんて見ても仕方ない。キアヌはカッコよかったけど」と呟く。どういう比較の仕方なんだか、よく分らないが気に入ってはいただけたようだ(^o^)。
 そのあと、『天国と地獄』のメイキング、押井守実写作品の一部などを見せたころには時計は1時を回っている。「さすがにもう寝ないと」とよしひと嬢は寝床に引き上げ。
 愛上嬢もしばらくパソコンで私の日記を見ながら笑っていたが、じきにご帰宅。予想外に賑やかなサタデーナイトになったことであった。

 チャットを覗くと、鍋屋さんがせっかくトンデモ本大賞に行かれたことを書き込みされていたのに、待ちぼうけをくらわせてしまっていた。申し訳ないことである。金・土・日の夜は、必ずしも顔を覗かせられるとは限りませんので、そのへん、ご了承願います。m(__;)m



 『時代劇マガジン』vol.3(辰巳出版・1260円)。
 あっ、2号買った覚えがないのに3号が。これだから本屋には足繁く通わないとって思うな。
 特集は『魔界転生』と『あずみ』だけれど、キャストインタビューなんかはあまり面白くはなくて、これまでの山田風太郎映像化作品コンプリートの方が資料的に読んでて面白い。やっぱポルノ映画化がほとんどなんだなあ。さすがに小学生のころにそんなのを見るのはムリなんで、ほとんどが未見。かと言って、これから博捜して見るというのも(^_^;)。
 ここ数年、映画でコンスタントに時代劇が作られるような状況が生まれたおかげで、こういう雑誌も生まれる。時代劇ファンとしては嬉しいのだが(あのね、80年代のその年に見た時代劇が『里見八犬伝』だけ、なんて状況から考えたら今は天国ですよ)、それでも時代劇が本当に面白かったのは、戦前から戦後の昭和30年代までだったんだよなあ、と、この雑誌を読んでるとつくづくそう思う。新旧の映画紹介が載っているから、比較しちゃうとどうしても「昔の作品の方がよかったよなあ」と思ってしまうのだ。
 快楽亭ブラックさんが、『傑作時代劇文豪列伝 陣出達朗の世界』と題して片岡千恵蔵主演の「遠山の金さん」について語っているのだが、
 「千恵蔵の金さんとテレビの金さんの決定的な違いは悪役の知能だ」
 「遠山の金さんシリーズがすばらしい法廷ドラマであることがわかる」
 「『はやぶさ奉行』と『さくら判官』がお勧め」
 と、何だか「我が意を得たり」な意見が綴られていて嬉しくなる。
 普通、キャラクターのイメージは最初に出会った役者のそれで決定づけられてしまうとはよく言われるが、言っちゃなんだが、そりゃドラマを見ることもできないアタマの悪い連中の言いぐさじゃないかって気がしてくる。私も「金さん」に出会ったのはテレビ版の中村梅之助版が最初だが、そのあとで片岡千恵蔵の映画版金さんを見たら、それ移行の金さんは全て消し飛んだ(ついでに言えば、水戸黄門も月形龍之介を見ちゃうと他のはどうにもねえ……)。
 年に何作も作られていたプログラムピクチャーなのに、ドラマの「密度」が違うのである。

2002年06月07日(金) 野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』
2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか



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