無責任賛歌
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| 2003年03月07日(金) |
亡霊ふたたびみたびよた……/映画『Jam Films』/『魔法遣いに大切なこと』2巻(山田典枝・よしづきくみち)ほか |
ちょっと前にですね、「北九州博覧祭」というのがあったんですよ。 まあ万博のすっげえミニサイズなヤツなんですけど、そのメインキャラクターだったのが松本零士のマンガのキャラクターたち。松本さん、北九州は小倉の出身だから。CMじゃ野沢雅子さんや池田昌子さんが久しぶりに鉄郎、メーテルの声を担当して宣伝にひと役買ってたんですが、まあ、これが以前日記にも書いたことだけれどおおコケ。 もっと以前に、長崎ハウステンボスの「アニメワールド」って、「ワールドってほど広くないじゃん、小さな建物の中にガキ向けのアニメ造りの解説部屋があるだけのもので」って感じのミニシアターで「ここでしか見られない」松本アニメの新作が上映されてたこともあったけれど、ハウステンボスも倒産しちゃっいましたよねえ。 松本零士ブームが起きていたのは80年代真っ只中。端緒はもちろん『宇宙戦艦ヤマト』なんだけれど、「松本アニメ」としての人気の中心は『銀河鉄道999』。けれどこの劇場アニメ、コスト減のために普通のセルより小さいセルを使ったりしていて、作画的には荒れが目立っていて、コアなアニメファンの評価はかなり低かった。今でも思い出すけれど、当時私がいた大学の推理研の先輩が、『さよなら』のセルがまたもやミニサイズと聞いて、「ふざけんなよ、りんたろう!」と激怒していた。 で、『さよなら』の出来がもう蛇足以外の何物でもなかったから、これで松本アニメのファンがスゥッと引いていった。そのあとも松本アニメは『わが青春のアルカディア』(石原裕次郎の遺作(^o^))とか作られたけれど、もう誰も見向きもしない。それでも松本さんは「次は『エメラルダス』だ!」と怪気炎を上げたけれど、もうスポンサーがつかなかった(近年ビデオシリーズにはなったけどやっぱり作画はメタメタ)。 それ以来、ちょこちょこと松本アニメは作られているけれども、「原作の新作」が描かれることは殆どなく、たいていは旧作の焼き直し。しかも人気が出ずに打ちきりに合うものばかり。『銀河鉄道999』も『宇宙戦艦ヤマト』も(『ヤマト』などは前作が未完のままなのに時代をすっ飛ばした新作を描くというファンを舐めたマネを晒している)、掲載紙が潰れたあと、本人は描き下ろしで新作を描くとか言っときながら、そのまま音沙汰なし。
もはや、昔からの松本ファンで「怒る」を通りこして、松本零士が何をしようと「無視」するようになってる人も多いのではないか。 私などは作画レベルが低かろうが『999』のラストでメーテルと鉄郎のキスに涙した身だから(-_-;)、まだ未練があって、松本さんが新作の企画をぶち上げるたびに「頼むからもうやめてくれ、アンタの才能はとうの昔に尽きてるよ」と泣き叫びたい心境に駆られていたのである。
……ってところにもってきて、このニュースである。 「BSフジで、10月から松本零士の書き下ろしによる新作アニメ『銀河鉄道物』を放送する」 ……劇場版でプロローグだけ描いた『エターナルストーリー』の続きはどうなったんだよ。今度は『銀河鉄道999』の世界から25年が経過してはいるものの、鉄郎やメーテルは殆ど登場せず、全く新しいキャラクターとストーリーを展開させるんだと。あまりにも旧キャラのリメイクが多すぎたんで、ちっとは反省して「新作を」と考えたのかもしれないけれど、でもやっぱし「焼き直し」なんだよな。 松本零士のコメントがまたねえ、「『999』の中で描き切ってない部分があり、それをフィーチャーしたい」だってよ。同じこと『さよなら』ん時にも言ってたろうがよ。ボケたか松本零士。いや、「この『銀河鉄道物語』は、これまでの私の作品の中で、最もスケールの大きなものとなりますので、楽しみにして下さい」なんてことまで言ってるから、確実に誇大妄想に陥っちゃってるんである。もう老人はそっとしといてあげて、食い物にするのはやめてくれよBSフジ(ToT)。
アメリカ・ロサンゼルスで1981年に起きたいわゆる「ロス銃撃事件」。もう20年以上も経ったかと思うと信じられないくらい過去なんだが、三浦和義被告の無罪が確定する見込みだとか。 三浦さんが本当に事件の真犯人であったかどうかについては私は興味がない。当時、『週刊文春』の「疑惑の銃弾」シリーズを読んだとき(再録本でだけど)、恐らくはSFファンの誰もが感じただろう「これって、筒井康隆の『俺に関する噂』じゃん」という感想を持った。 事件当時、知り合いに「あの報道はないよなあ」と言ったら、「じゃあお前は三浦が犯人じゃないって言うのかよ」とトンチンカンなことを言われて、まさしく「ニュースが価値を決定してるんだなあ」と怖い思いに駆られたものであった。松本サリン事件の冤罪事件もそうだったが、マスコミも大衆も、自分の望む真実に近い報道を求めてるだけなんで、実は「真実の報道」なんてものはハナからないがしろにしているのである。 この国のマスメディアが始末に悪いのは、彼らが語り大衆が需要している「報道」もまた「物語」であり「虚構」に過ぎないのに、それがあたかも「真実」であるかのように錯覚している点である。「情報」が嘘に過ぎないことを自覚してるヨソの国との情報戦に負けちゃうのは仕方がないんだよなあ。 文芸春秋の雨宮秀樹社長室長は、「残念の一語に尽きるが、『三浦事件』が『なかった』ことを意味していない。殴打事件で三浦被告の懲役6年が最高裁で確定していることを忘れてはならない。人権に配慮しつつ闇に隠れた犯罪を明るみに出す役割を今後とも続けていきたい」と発言。 ……悪いけど、その「闇に隠れた」って部分が「予断」なんだよな。正義派を気取る人ってさあ、不正が横行して何の告発もされてないのをやたら憤るけどねえ、その背景にある心理って、たいてい「自分らだけ美味しい思いしやがって」って浅ましい根性に過ぎないんだよねえ。社×党の辻元某が(^o^)不正を追及する立場を標榜しといて、自分もやっぱりセコいちょろまかししてたのでもわかるでしょうに。みんな「バレなきゃ何やってもいい」と本音では思ってるくせに、「上手くやった」ヤツをやっかむってのはあまりにみっともなくないか。 最初に書いた通り、私は三浦さんが本当に誰かを雇って奥さんを殺したのかどうか、その真実に興味はない。「真実はいつも一つ!」と思いこんでる連中に対して嫌気がさしてるだけなのである。
終日、雨ふり。 今日も晩飯はマクドナルドのドライブスルーで、てりたまバーガー。おぜぜがないのでしげのオゴリである。 「なにがすいいと?」と聞かれたので、「昨日と同じでいいよ」と言ったら、「てりたま」は買ってくれたが飲み物は付けてくれなかった。昨日は「QOO」もおごってくれたのに、オゴリが続くと段々とそのオゴリ度が低くなっていくのである。 経済的な妻なことである(←もちろんホメ言葉ではナイ)。
公開終了が本日の映画『Jam Films』。 なんだかズルズルと見るのを引き伸ばしてたのは、時間が合えばしげと一緒に見に行こうと思ってたからなんだが、結局しげは全然興味を示さなかった。 買っといた前売券がもったいないので、そぼふる雨の中、天神の外れのKBCシネマまで。前にも書いたが、ここ、ミニシアターと言えば聞こえはいいが場末の名画座みたいな雰囲気で、ちょっとうら悲しい気分になっちゃうのでちょっとばかし行きにくいのである。
オムニバス映画には二種類ある。 一つは一人の監督がいくつかの短編を映像化するもので、和田誠の『怖がる人々』や石井輝男の『ゲンセンカン主人』『ねじ式』などがこのパターン。オムニバスと呼んでる人は多いけれど、厳密には連作短編集的な色彩が強く、「乗合自動車」としてのオムニバスとはちょっとニュアンスが違う。けれど映画としては一人の監督が統一感を持って映像化するから、秀作、傑作も生まれてくる。 もう一つは、複数の監督がそれぞれ短編を監督する場合で、これは洋画のオムニバス映画に多いパターン。『世にも怪奇な物語』とか『トワイライト・ゾーン』とかね。日本映画でも『明日を作る人々』や『嘘』、『バカヤロー!』などの例があるけれど、洋画に比べると全然少ない。監督の作家性に拘る日本人は、このパターンを嫌うのかもしれない。だって、どうしても他人のものと比較されちゃうからねえ。で、実際に殆どの場合、中に数本は駄作が混じっちゃうのだ。 アニメの『ロボットカーニバル』なんて、単品で見たらそれぞれがそれなりに見られる作品だったんだけれど、ズラリと八本も並べたもんだから、どうしてもマオラムド監督の『CLOUD』と北久保弘之監督の『明治からくり文明奇譚』の日本が傑出して見えた。
で、『Jam Films』は後者のパターンなんだけれど、やっぱりそれぞれの作品がお互いの足を引っ張りあってるんだよなあ。タイトルはジャムセッションの謂なんだろうけれど、やっぱいきなりだから音が合ってないよってなもんで。 全体的なレベルが低い中でマシなのが何本かあるって感じなのがちょっとねえ……。 � �the messenger』(監督・北村龍平/主演・魚谷佳苗) 廃墟のビルを訪れる黒いコートの女。彼女の首には刺青が。それは「メッセンジャー」の印。待っていたギャングの男に、彼女が告げた言葉は……。 オチはまたもや恥ずかしげもなくビアスの『アウル・クリーク』。パクリとまでは言わないでおいてやる。ちょっとだけ工夫があったからね。でも無意味な工夫だったけど。雰囲気だけ作ったってねえ、アイデアが貧困だとかえって一人よがりにしか見えないのよ。 �◆悗韻鷆漫戞粉篤帖�篠原哲雄/主演・山崎まさよし・篠原涼子) 買い物帰りに他人にぶつかられた売れないミュージシャンのあきお。そこで取り違えられた紙袋の中には、けん玉が入っていた。そして、そのけん玉の中には更に……。 なんか映画にしなきゃならんような話じゃないなあ。オチの意外性も全くないし。せめて篠原涼子が脱いでくれてたら(^o^)。 ��『コールドスリープ』(監督・飯田譲治/主演・大沢たかお・角田ともみ) フジオがコールドスリープから目覚めると、そこは木造の校舎の中。彼の周りを走り回っているのは奇矯な格好をした馬鹿たち。そこへ現れた一人の美女は、彼らがもともと人類移住計画のために地球から20光年離れた惑星に送られてきたクルーだと説明するが……。 飯田譲治、才能もないのにSF撮るな。「こういう馬鹿なオチじゃあるまいな」と思ったらその通りだったよ(-_-;)。小学生並のオチである。おかげで筒井康隆の特別出演も白々しい。せめて角田ともみが脱いでくれていたら(寸前までは行くけど)。 �ぁ�Pandora 〜Hong Kong Leg』(監督・望月六郎/吉本多香美・麿赤児) 足の水虫に悩む眉子。彼女は秘伝の薬を求めてある街の裏路地へ。妖しい男の奨める「秘密の治療法」とは……。 足フェチにはたまらない一本だろうな。吉本多香美、全く脱がないけれど、アノ時のスラリと伸びた足と、声と表情は最高だ(まあ、えっち)。ギャグとスケベが融合してる点は、七本中一番面白いし、なにより「映画」になっている。でも欲を言えばもちっとだけ色気のある女優さんに演じてほしかったかな。 �ァ�HIJIKI』(監督・堤幸彦/佐々木蔵之介)。 マンションの一室、ライフルを持った男が、女と妊婦、少女の三人を人質にして立てこもっている。窓の外からは男に懇願する母親の声が聞こえてくる。テーブルの上にはなぜか山盛りのヒジキ。やがて女はヒジキに関する物語を語り始める……。 最低の一本。ただひたすらにつまらない。11分が長いことといったら。字幕のギャグも失笑を買うだけ。堤幸彦、一から出直せ。 �Α�JUSTICE』(監督・行定勲/主演・妻夫木聡) 英語の授業中、東条が、校庭をぼんやり眺めているうちに、ハードル走をしている女子の「ある法則」に気がつく。彼女たちの履いている赤、青、緑のブルマには実は本人たちも知らない秘密が……(^o^)。 惜しいなあ。これが半分の長さだったら、超傑作になっていたのに。こういう一発ギャグ的なネタは短く、キレよく行かなきゃ。 �А�ARITA』(監督・岩井俊ニ/主演・広末涼子) 丸っこく、羽が生えていて、一見、子供のイタズラがきにしか見えない不思議な生き物、「ARITA」。主人公の女の子には、目に触れる全ての紙の上に、その「ARITA」が見える。でも、友だちのノートにはARITAがいないことを知って、女の子は思う。「ARITA」って何?、彼女はついに、ARITAのいる紙に火をつけてみるが……。 設定は面白い。「ARITA」のデザインがいかにもラクガキっぽいのも雰囲気出してるし。 初め、女の子のナレーションだけで、その姿を見せない演出も気が利いている。でも、映画としては、そのままずっと、女の子の顔を見せないままで通した方が絶対によかった。どうせ出すなら、なぜ脱がさん(脱がねーって)。 それと、ラストのセリフはシメとしてはあれしかない感じではあっても蛇足。でもほかの作品に比べると、これがずっとずっとマシな出来なんだよなあ。
帰宅して、風呂に入りながら、神坂一『スレイヤーズすぺしゃる20 ミッション・ポシブル』(富士見書房/富士見ファンタジア文庫・546円)を読む。 疲れていたのか、ウトウトして、風呂場の床に本をポトンと落としてしまう。 慌てて水を切り、タオルで拭き上げたが、なんだか微妙なふやけ具合だ。 風呂場で本読むのやめようかなあ、眠たくなるし、ホントに寝ちゃうし、のぼせたり風邪引いたり、あまり体にいいことないんである。 でもやっぱり、時間が勿体ない気がしちゃうんだよなあ。メシ食ってる時間、どこかに出かけるまでの時間、電車に乗ってるときも歩いてるときも、その間に本が読めたらどれだけ時間がおトクか、なんてことをついつい考えてしまうのだ。さすがに外を歩きながら本を読んでいると電柱にぶつかるのでたまにしかやらないが。 けれどこの本、ちょっとふやけたからって、また500円ちょっと出して買い直したいほどじゃないしなあ。ううむ、どうしたものか。
……と、中身の感想、なんにも書かなかったけど、『スレイヤーズ』はただもう『スレイヤーズ』だから(^o^)。 あ、なぜか今回、ナーガが登場しませんでした。もういい加減で時間をワープさせてアメリアと会わせてやれって思ってんの、私だけじゃないと思うがなあ。
マンガ、山田典枝原作・よしづきくみち作画『魔法遣いに大切なこと』2巻(完結/角川書店/ドラゴンコミックス・779円)。 ……20年前だったら、確実にこういう純真無垢で汚れが無くって前向きでピュアでイノセントなマンガにハマってたに違いないなあ。……って、今に至るもついこんなのを買ってしまうというのは、まだ私の中にそういうものの「残滓」があるってことなんだね。 なんつーか、『ほしのこえ』に感動してしまう自分の中の自分を恥ずかしいと思いながら、それを捨て切ることもできないで、何とか理屈をコネ回して誉める手段はないものかと模索するような往生際の悪さと言うか何と言うか。結局、「ああそうだよ、オレ、こういうのが好きなんだよ、悪いか、クソ」と開き直っちゃうしかないんだが(^_^;)。 でもまあ、主人公のユメみたいなヤツって、現実にいたら確かに鬱陶しいだけなんだよな。
魔法遣いに偏見を持っているタクシーの運転手がいる。ユメたちが魔法遣いだとわかると、「オレは魔法遣いに騙されたことがある」と怒って、乗車拒否をする。ユメは「魔法遣いのごどを全部悪いやづみだいな偏見持づんでねぇ!!」と反駁。その運ちゃんのために、長距離移動したがっている心の客を探してやる。ところがその客はタクシー強盗。運ちゃんは刺されて全治2ヶ月の重症を負う。 ユメはショックを受け、失踪する……。
あー、物語の展開上の「ご都合主義」を私はあまり咎めないんですけれどもね、こういう「設定そのもののいい加減さ」には白けちゃいますね。 あの、魔法遣いに人の心が読めるのなら、「長距離移動したがってる」気持ちだけがわかって、そいつの「強盗してやろう」って気持ちがわからないのって、おかしくないか? まあ、ユメの魔法自体が未熟だからってことなんだろうけれど、じゃあ、熟練の魔法遣いなら、犯罪のし放題ってことじゃない? 魔法が現実社会で認められてるって設定にあちこち「ほころび」があるのが、どうにもこのマンガにノレなかった一番の原因なんだよなあ。 アニメも一回見て、その「ピュアなアニメ作ってますよ」って姿勢にアタマ抱えちゃって続き見る気起きなかったし。やっぱり魔法ものはコメディーにしなきゃねえ。
2002年03月07日(木) ヤァ〜クソクしたジィ〜カンだけがカァ〜ラダをすり抜けるゥ〜♪/『ヒカルの碁』16巻(ほったゆみ・小畑健)ほか 2001年03月07日(水) 優しい妻ごっこ/『てきぱきワーキン▽ラブ』6巻(竹本泉)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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