無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年01月23日(木) アニメの実写企画って……/『ロケットマン』4巻(加藤元浩)/『はじめてわかる国語』(清水義範)ほか

 宇多田ヒカルの旦那さんが映画監督デビュー……って、これが『新造人間キャシャーン』ってんだから、ちょっと意表を突かれたね。
 旦那さまの名前はダーリン……じゃなくて、紀里谷和明さんと仰るそうだが(すまんねえ、最近芸能ネタには弱いもんで)、小学生のころに『キャシャーン』を見て、「いつかこれを絶対に映画化するんだ!」と心に決めていたそうな。
 『キャシャーン』の本放映は昭和48年だから、現在34歳の紀里谷さんが見ていたとしたら、4、5歳のころで、「小学生のころに見てた」という記述に合わない。となれば再放送だろうが、そんなにしょっちゅうやってたのかな。
 でもなぜに『キャシャーン』?
 「ヤルッツェ、ブラッキン!」とか実写キャラに言わせるの?
 いや、それ以前に、客が着くのか、その企画。
 同じタツノコヒーローなら、まだ『ガッチャマン』の方が……とかなんとかどーでもいーことが頭の中を経巡ってるのだが、まあ、監督自身が「好き」と言ってるんだし、なぜかスポンサーも付いちゃったみたいだから、首を捻ったってしょうがないな。
 けど、これが「宇多田ヒカルの夫だから、何を映画化させても話題になるからいいや」ってな発想で決まっちゃった企画だったら、もしかして大変なことになってたかもしれないのだ。
 もし、『キャシャーン』以外のアニメを好きになって、映画化しようとしたら? 『破裏拳ポリマー』や『宇宙の騎士テッカマン』になってた可能性もあるかも知れない。『ドカチン』や『ハクション大魔王』実写版。誰が演じるんだ。大平透か。
 いや、タツノコ系にとらわれる必要はないな。
 『魔法使いサリー』実写版。演じるのはもちろん、宇多田ヒカルである。カブはえなりかずきを呼ぼう。よっちゃんは倉木麻衣で、三つ子は白木みのるをCGで三人に増やす。なーに、まだ子供で通るわ。サリーのパパは内藤剛志がいいな。トンガリヘアーが似合うと思うぞ。サリーのママは美輪明宏だ。おお、これは怖い!
 『ど根性ガエル』実写番。
 ヒロシは藤原竜也である。となれば京子ちゃんは前田亜季かというと、これはやっぱり宇多田ヒカルだ(^o^)。ゴリライモは松村邦弘。梅さんは役所広司。ヨシコ先生は吉岡美穂。ピョン吉は青空球児、もちろん声の出演ではなく、実写でシャツに張りついてもらうのである。
 『天才バカボン』実写版。
 バカボンパパは赤塚不二夫。ほかにいないだろう(^o^)。
 ママは宇多田ヒカル(こればっかりや)。バカボンは内山君(としか知らないんだが、下の名前なんて言うんだ?)。ハジメちゃんはクリスティーナ・リッチ(^o^)。
 『ガンバの冒険』実写版。
 ……全部ネズミじゃん。

 どうですか、こんなもんまで、「作るぞ」と紀里谷さんが言ったら作られちゃうんである(いや、ウソだけど)。でもいいのか、そんな企画の立てかたで。
 それにしても、サンスポのタイトル、「ヒッキー夫はアニメ実写版で映画監督デビュー」だよ。いくらなんでも「ヒッキー夫」はないんじゃないのか(^_^;)。


 咳止まらず。
 今日でもう三日連続で仕事を休む。……医者に行った意味ないじゃん。
 注射打っても薬を飲んでも全然状況が変化しないというのはいくらなんでもおかしすぎる。
 もう一度医者に行ったら、「エンショウを起こしてるのかも知れませんね」だと。
 ……何、円生。
 つまらんボケはともかく、肺炎ってことにでもなってたら、マジで入院じゃないの。とりあえず血液検査をしてもらって、とりあえず炎症を押さえる薬にかえてもらうが、果たしてこれが効くものやら。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ!』75巻(白泉社/花とゆめコミツクス・410円)。
 『パタリロ西遊記』と合わせれば、これで通産80巻。
 少女マンガとしてはもう最長不倒距離を達成することは間違いないだろうな。それにしても私もよくぞここまで付き合ってきたものである。なんたって10代のころから読み続けてるんだものなあ。たしか初掲載は昭和53年だっけ。
 ここまで時間が経っちゃうと、パタリロ自身は10歳のままだけれど、マンガの中の事物にはやはり時代の変化が反映してくるのである。『怪奇倩々女』に「オープンリールのテープ」が出てくるが、もう若い人は知らないのである。私が中学生のころくらいまでは、まだまだカセットテープよりもオープンリールの方が主流だったんだが。……多分、カセットテープも、もうじきなくなっちゃうんだろうなあ。
 初期は随分ハードでストーリーの骨子もしっかりしてたもんだったが、ここまで来ると落ちのつけかたもなんでもありである。
 『パタリロ娘』、CIAのヒューイットの久々の登場編で、女の子との付き合い方を知らないパタリロのために、タマネギたちは小間使いを募集することにする。その選定にヒューイットが呼ばれるのだが、王宮に入りこんでいたメイドは実は妖怪万年娘であった。ヒューイットはロリータ道の尊師の導きに従って、万年娘の妖術を破って倒す。
 ……って、これ、どういうストーリーなのよ。しかもロリータ道の尊師って……(^_^;)。


 マンガ、加藤元浩『ロケットマン』4巻(講談社/KCGM・410円)。
 前巻より、『トゥルー・アイズ』の情報員となった水無葉、この巻から「第2部」ってことになるわけだが、作品内容も陰謀アクションものから本格ミステリに移行したって印象。
 あああ、エピソード11、12の密室トリック、昔、私も考えてたやつだ。先に使われちゃったな……って、そのトリック自体はたいしたものじゃ無いんだけど。ちょっとひねった設定にしないとモノにはならんなあ、と思ってたんだけど、こういうふうに使ったのね。なるほどなるほど。
 うーん、困ったなあ。ミステリ仕立てになった途端、筋の説明もしにくくなっちゃった。けれど、『Q.E.D.』とはやはりちょっと違ったハードな設定が楽しめるシリーズではある。逆にハードな設定なせいで、葉みたいな世間知らずが情報員としてやって行けるのかって疑念が湧きはするけれど。


 清水義範(え・西原理恵子)『はじめてわかる国語』(講談社・1785円)。
 理科、社会科、算数、に続いて、ついに国語だ。これで完結になるのかな。サイバラさんの挿絵のラストも「いなくてもいい二人」って、清水センセとサイバラさんが無人島にいるし(^o^)。

 学生時代、国語が嫌いだった人で、清水さんの『国語入試問題必勝法』を読んで溜飲が下がったって人、多いんじゃないか。
 何たって、あの四択とか五択とか、ヒドイのになると七択、八択なんていう選択肢問題、見てるうちに「どれだっていいじゃん、長い文章のごく一部を読み間違えてたって、たいした影響があるか」って気になったこと、ありませんか。清水さんも書かれてたが、あれは「出題者の意図を読み取れるかどうか」で点が取れちゃうんであって、文章読解力とは何の関係もないのだ。
 選択問題の実例がいかに適当なものかってのを紹介してくれて、「ああ、オレが間違えたのはバカだったからじゃないんだなあ」と安心させてくれたのである。
 で、今回も清水さんは「国語入試問題必“敗”法」と題して、いくつかの「なにこれ?」って感じの問題を紹介されている。先に言っとくが、正解しても威張れる問題ではないし、間違ったからって恥じる問題じゃないよ。

 問 次の� 銑Δ諒犬涼罎如∋�実を述べている文には○、意見や感想を述べている文には×をつけなさい。

 � ,錣燭靴燭舛僚擦狠狼紊蓮△澆匹蠅凌∧�で覆われ、美しい花が咲き乱れているすばらしい星です。(�◆銑Δ泙任藁�)

 さて、清水さんはこれに「×」をつけた。私も同意見だ。
 清水さんは「サウジアラビアの砂漠はどうなる」とユーモアエッセイなのでわざとツッコミを入れているが、まあ、そういうところで揚げ足を取らなくても、「美しい」「すばらしい」という形容詞は感覚を表したものである。どう考えても「×」だと思うんだけど、これが正解は「○」なんだよね。
 なんでそうなるかというのを清水さんは推理するのだが、つまり「すばらしい」と論考するための前提となる「事実」が書かれているから、ということなんだそうな。
 えー、みなさま、納得されましたでしょうか。いや、しようがしまいが正解は「○」なんで、文句言ったって仕方がないんですけどね。でも、どうですかね、これを「×」にしたからって、論理的にモノを考えていくのに何か支障を来たすってんでしょうかね。しかもこれ、小学生用の問題なんである。こんな問題をコドモのころに解かされてたら、人間が歪まないか。
 清水さんはコトバの専門家である作家である。しかも教育大卒で国語教師の免状を持っている、というオマケまでついている(^o^)。でもこれが解けない。よく言われてることだが、作家が自分の小説が問題に取り上げられて、それを自分が解いてみようとしてみたら全然解けなかった、というのは笑い話でなく事実なのである。文学の解釈なんて、百人いれば百通りあるだろう。解釈をぶつけ合って考えた結果を採点するってんならともかく、自分の解釈をいちいち他人の解釈に従わせるののどこが学問だと言うのか。
 って、学問なんか学校じゃ教えてないんだよな、この国じゃ。

 ほかの章の紹介もしたいとこだが、キリがないので、サワリだけ。
 今回、これまでのシリーズと違って、特別ゲストが呼ばれている。あの『文章読本さん江』の著者、斎藤美奈子さんである。
 清水さんとの対談の中で、斎藤さんが「国語教育はなかば道徳教育ですから」と指摘してる点、国語関係者はちったあ肝に銘じた方がよかないか。「個性教育がどうのこうの」とか言っときながら、やってることは「優等生的作文の強要」じゃないのか。
 「チャップリンなんて私生活じゃロリコンオヤジじゃん」とかガクセイが書いちゃダメなんである。「ですます体」と「だである体」が一文の中に混在してちゃダメなんですのよ。「デタラメの効用」ってのをテンから認めないのだな。
 もちろん、「基礎が出来てこそ、デタラメも書ける。学生のうちは基本的な、正しい文章が書けるように勉強させるべきだ」って意見もあろう。
 ……けど、その「正しい文章」ってのを高校生、大学生になってもずーっとずーっと、書き続けさせられてるんだよ? 自由な作文ってのはいつになったら書けるようになるのよ。
 同じようなことを小学生のころから何十回も何百回も繰り返し書かされてたら、作文自体がイヤになるだろうに。

 最終章の「日本語は滅んでしまうのか」で、清水さんは、滅んだりはしないが、「美しい日本語から背骨を抜くようなことはしてはいけないと思う」と書く。「すみません」を「すいませ〜」とか発音するな、と言うのだ。
 ムリだよなあ、とは思うが、気持ちは分る。私もいい加減、レストランの「よろしかったですか?」攻撃には腹が据えかねているのだ。しげがちゃんと「よろしいでしょうか?」と言ってるのを聞いてるだけで、こいつは日本最高のウェイトレスだ、と思うくらいなのである。
 言葉は変わる。それは仕方がない。けれど、かつての言葉がどんなものであったか、それを知ろうとしない態度は、人をただの傲慢な人間に貶めることになる。

 清水さんが「歌舞伎と落語は民族の教養」と書かれているのを読んで、いつぞや岡田斗司夫さんが、「歌舞伎ファンはエリート主義に陥っている」という趣旨の意見を主張されていたのを思い出した。確かに、「若い人」の中には「こんなゲージュツを理解できる俺ってアタマいい?」とか勘違いしてるアホもいるかもしれない。……アナタね、昔の人なら、歌舞伎も落語も「庶民の誰もが楽しむ娯楽」だったんだけど、知らない?
 若い人にはホントにわからないのかもしれないが、ほんの30年ほど前までは、オトナたちの日常会話の端々に、歌舞伎の、落語のセリフが頻繁に引用されていたのだ。一時期、ガンダムオタクが何かって言うと「醜いものだな」とか「坊やだからさ」とか口にしてたみたいに(エヴァ世代だったら「逃げちゃダメだ」とか「あんたバカぁ?」かな)、「知らざあ言って聞かせやしょう」だの「こいつァ一分じゃ帰られめェ」だの、口にしてたんである。
 私だって、たまにこの手のセリフを使うことがあるが、こんなもん、いちいち「勉強」して覚えたわけじゃないよ。いつの間にか覚えちゃってたくらいに、世間に歌舞伎コトバ、落語コトバは氾濫していたのだ。
 ……昔、満員電車やバスの中を通りぬけようとして、「ハイ御免、ハイ御免」って言ってたオヤジもよくいたもんだけど、最近は全然見かけなくなったなあ。
ああいう人たちはどこへ行っちゃったのかなあ。
 歌舞伎や落語を基礎教養だと思ってる世代は、もしかしたら昭和40年生まれあたりを境に、途絶えてしまっているのかもしれない。

 これはもう、若い人たちへの「お願い」に近くなってしまうが、もっと「ホントウの」勉強をしてほしいんである。
 昔の本を読む。昔の映画を見る。昔の芝居を見る。
 今やたいして苦労しなくても、レンタルビデオやCSで、そういうものをいつでも見られる時代になっているのだ。
 学校なんかサボれ。週に一んちくらい休んだって落第はしない。今週は月曜、来週は火曜、と曜日をズラせば特定の教科ばかり休むって状況も回避できる。その方がずっと「自分の」勉強ができるぞ。
 成績が落ちたっていいじゃないか、偏差値高い大学に入ったって、今どきゃ就職できるとは限らないよ。

 ……なんかもーね、私らトシヨリのコトバがホントに通じなくなって来てるなって感じるのよ。これでも私、この日記の文章もできるだけ若い人に違和感ないようにね、固っ苦しいコトバ避けようって思いながら書いてんだけど、まだまだピンと来てないかなあって気がして……。(T-T) グスッ。

2002年01月23日(水) 風邪まで引いちゃったよ、どうすりゃいいんだ/『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(よしながふみ)ほか
2001年01月23日(火) ハードな日/『時の果てのフェブラリー』(山本弘)



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