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無責任賛歌
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今日も残業、しげはまたもや駐車場待ちである。予め残業になるとわかってりゃ連絡も出来るが、たいてい突発的なのでしげには堪えてもらうしかない。でもしげのストレス、確実にたまってきているようで、無意味に「あんたのせいやけんね」と絡んでくるのが最近のしげの日課になってるのである。 今回は10月12〜14のPPP初合宿の模様を報告。 12日12時に集合。まずは買出し。主に酒。酒、酒。 高速に乗る前にご飯。そこで飯炊き係のハカセより衝撃の報告! *(「ハカセ」とは穂稀嬢のこと。三平方の定理もコロンブスの大陸発見も知らないくせに、なぜか高校を卒業出来たが、本人曰く、「成績なんて悪くても先生を○○○て、○○○○しちゃったら簡単ですよお」。日本の教育の未来は暗い) 2日目夜は飲み会の予定。だが、つまみを「本当の」おつまみしか用意してないとのこと(例:ちくわ、きゅうり・・・)!! 全員(主に私と姉さん)怒り狂う。 「酒飲むのにつまみだけだと!?」 「やっぱバーベキューでしょう!!」 「俺たちゃ食うよ!?」 急遽スーパーへ。肉を買う。 そして出発。 *(「姉さん」というのはよしひと嬢のこと。メンバー中、一番のオ・ト・ナである。全く、彼女がいなかったら、ウチの劇団どうなってることか。 今回、メンバーは山間のコテージみたいなところでキャンプしたのである。つまり、予め食材を買っておいて、そこで調理をすることになってるのだが、その買い出しを脳味噌にシワのない穂稀嬢一人に任せたのだ。無謀である。穂稀嬢、「一人頭、八百円ですみましたよ〜」とか脳天気なコト言ってたらしいが、二日間、酒とツマミだけで過ごせると思ってたのだろうか。これが男に貢がせて自分は働かない女の感性と言うものであろう) 高速を1時間くらい走って現場へ。 山道ではひと山越えるまでいっこも信号がありませんでした。 目的のキャンプ場へつく。 簡単に片付けとかしてさっそく台本読み。 不穏な台詞に隣のコテージの人が何事かと時々こっちを覗いてたらしい。 *(「不穏な台詞」というのは私の書いた第一稿のこと。「殺す」の「殺さない」のっていろいろ書いたからなあ。いきなり山間でそんなこと喋ってたら、確かに通りがかりの人には「不穏」に聞こえるだろう。隣のコテージとは結構距離も離れてたそうだが、芝居の練習なので、声が響いていたと思われる。窓からこちらを覗く人々を目撃していたのは円谷くん。彼は今回出番がないにもかかわらず合宿に参加した。いろいろあって、今は寂しがりやさんらしい) よるめし。やきそば。 大変なことが発覚。油がない・・・。何とかして食った・・・。 *(私「油買い忘れてたのかよ」。しげ「うん」。どうやら水で食ったらしいが食えないわけじゃあるまい。表現が大袈裟なのである。) 夜。練習してから就寝。 寝つけねぇ・・・。 姉さんはいつもの通り即寝。 *(しげのメンタリティは小学生でストップしているので、旅行になると興奮して眠れなくなる。結局合宿中は殆ど寝てないそうだ。逆に「どこでも寝れる」がよしひと嬢の特技だが、こちらはこちらで無防備過ぎると思う) 明け方ハカセとごろちゃんのイチャつき声がうるさくて目覚める。が、根性で寝る。 ハカセ、見境無しはやめろ。 *(「ごろちゃん」というのは円谷くんの愛称。野口五郎に似ているからである。ここだけ読むと、円谷くんと穂稀嬢がいかにも仲がよくて、朝っぱらからナニしているように見えるが、実際はこの二人、恋人同士でもなんでもない。単に無駄話をしていただけだそうだが、二人とも口調がイマドキの若者言葉で、しげは聞いててイライラしたのでこんな書き方をしたのだそうな。故意に悪意で書いてるのである。これはいくらなんでも誤解を招くぞ、ということで注釈。でも穂稀嬢が見境無しなのは半分事実だ) れんすう。 走ったり腹筋したりする。 あさめし食ってまたれんしゅ。そのうち、『自分はなぜ芝居をするのか』なんてまじめな話とかする。あんまウチらしくないか? *(劇団ホームページの方、最近閑古鳥が鳴いているので、掲示板に、塩浦嬢が「みんな芝居する気あるの?」と書きこんだのがきっかけと思われる。私もたびたびしげたちには苦言を呈してはいるのだが、どうも反応が無い。それぞれに「やる気」はあるのだろうが、それが学芸会レベルじゃあ、お客さんは増えていかないと思うが。別にイデオロギー云々を言いたい訳ではなく、客を呼べる芝居を作るってどういうことかを考えなきゃ、というレベルの問題なのである) ひるめし食ってれんすうしてるところにラクーンドッグさん合流。 今回の客演快く受けてくださる。助かった・・・。 なんで、本物キャストで初読み合わせ。 いろいろ意見交換。 *(ラクーンさんはネットで知り合った演劇仲間。前回の公演にも下働きして頂いた。脚本は当初、「女三人で」という依頼であったが、とてもじゃないが今の彼女たちの演技力ではメリハリのつくものになりそうもなかったので、「男がほしい」とムリヤリ脚本にねじ込んだのである。ラクーンさんが引き受けてくれなかったら、最悪の場合、東京のこうたろうくんに台本送って、公演当日ライブでやってもらおうかとまで考えていた。一応台本の検討はマジメにして、女性陣の配役なんかを相談した模様である。) 夜めしは待ちに待った飲み会&バーベキュー。 焼き、食い、ひたすら飲む。 バーベーキューが終わっても室内に入りまだ飲む。 結局6時間くらいはやってました。 眠い人から順次風呂入って寝ました。 布団入ってからもまだ語ってたけどね。 *(体重また増えたろうなあ。演技に響かないのか) 3日目朝。残った食材をとにかくチャーハンにして食う。 そして出発。 いったん基山パーキングで落ち合い、次回の再会を約束して別れた我々であった。 *(私「材料余ったんなら持ち帰ればよかったじゃん」。しげ「とにかく食うことしか頭になかった」。やっぱり食欲魔人である。でもこういう「合宿」を通じてメンバーの結束が固まるのならええこっちゃ) 文化庁が、昨日15日、日本の現代文学を海外に普及させようと、今年度から始める翻訳事業の対象として、作家27人の作品を選定。選考に当たった委員は、田辺聖子氏、福田和也氏ら5人。「外国人に一定の評価が見込まれる」という選考基準で選んだそうだけれど、さて、その「外国人」というのがいったいナニジンを想定してるんだかね。それに外国人に「評価してもらう」ために翻訳するんじゃ意味ないでしょ、とも思うのだが、とりあえず、そのラインナップは面白い。 ▽芥川龍之介(作品未定) ▽石原慎太郎 わが人生の時の時 ▽内田百�痢〔重咫ξ構臚�城式 ▽岡本綺堂 半七捕物帳(第一巻) ▽獅子文六 自由学校 ▽島田荘司 占星術殺人事件 ▽曽野綾子 天上の青 ▽樋口一葉 たけくらべ・にごりえ・十三夜 ▽宮本輝 錦繍 ▽山田詠美 ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背骨 ▽逢坂剛 斜影はるかな国 ▽大岡昇平 武蔵野夫人 ▽大佛次郎 赤穂浪士 ▽梶井基次郎(作品未定) ▽川口松太郎 しぐれ茶屋おりく ▽北方謙三 檻 ▽小島信夫 抱擁家族 ▽末永直海 百円シンガー極楽天使 ▽永井荷風 腕くらべ、または「ボク東綺譚」(ボクはサンズイに「墨」) ▽夏目漱石 坊っちゃん ▽長谷川伸 日本捕虜志 ▽林芙美子 浮雲 ▽藤沢周平(作品未定) ▽山田太一 異人たちとの夏 ▽夢野久作 ドグラ・マグラ ▽横森理香 ぼぎちん バブル純愛物語 ▽吉行淳之介 夕暮まで ははは、この中で読んでるの、作品未定を除けば、岡本綺堂、島田荘司、樋口一葉、大仏次郎、永井荷風、夏目漱石、夢野久作、吉行淳之介と、これだけしかないや。林芙美子と山田太一は映画版ですませてる。小島信夫は確か大学の課題にあって読んだ気もするが記憶にない。いかに私の知識が偏っているかかが丸わかりなのだが、偏見を省みずにものを言うと、やっぱりどうしたって注釈つけなきゃピンと来ない作品が圧倒的に多いんじゃないかってことだ。 誰の小説だったか、海外で紹介された時に、本文中の女性の形容で「浅丘ルリ子のような」という表現が、「ブリジット・バルドーのような」と翻案されたことがあった。この場合の浅丘ルリ子は、もちろん日活時代の純情可憐な時期のイメージである。それがまたなにをトチ狂ってBBになっちゃうかね。まだしもオードリー・ヘップバーンに比定してくれたほうがマシだった。 ことほどさように日本人の感覚の翻訳は一通りではないのだが、まあやらないよりやったほうが面白いし、個人的には島田荘司と夢野久作が海外でどんな評価を受けるのか気になるところだ。『占星術殺人事件』は、ミステリとして評価してもらうなら、アレはちょっとなあって出来なんだけど。『ドグラマグラ』の「スチャラカチャカポコ」なんて擬音、そのまんま訳すんだろうなあ。 マンガ、スタジオファンタジア原作・田代琢也作画『ナジカ電撃作戦』2巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・540円。 アニメの方は終わっちゃったけれど、マンガはちゃんと続いているのは嬉しい。絵はそんなに上手くないし、パンチラもマンガだとたいしてインパクトはないのだけれど、リラがやっぱりかわいいからいいのだ。 この「人の手によって作られたがために人間的感情に乏しいロボット(あるいはそれに類するもの)が、トンチンカンな行動をしつつも次第に感情を手に入れて行く」というパターンは、もちろんSF作品には随所に見られていてルーツをたどることすら難しいのだが(ピグマリオンにまで行っちゃうしね)、この手の話を特に好んだのは日本人であるように思う。 『撰集抄』「西行於高野奥造人事」に、高野山に篭った西行法師が、孤独に堪えかねて、反魂の秘術を用いて人間を作ったが、それは心のない人間だったために置き捨てた、というエピソードがある。私はこの話を最初、諸星大二郎の『妖怪ハンター』最終回「死人帰り」で知ったのだが(作者本人が気に入らなかったらしく、現在は同シリーズから削除されていて読めない)、その話を聞いてすぐに思い浮かべたのは言わずと知れた手塚治虫の『鉄腕アトム』であった。 天馬博士がトビオを作ったのも息子を亡くした「孤独」ゆえであったし、成長しないトビオをサーカスに叩き売ったのもヒドイ話だったが(昭和初期まではサーカスにいる少年少女はみんな売られてきたのだという都市伝説があったんですよ)、もとネタをこの西行のエピソードにおいていることはまず間違いのないところだ(『フランケンシュタイン』はもっと後だしね)。 この、人造人間が一旦人間に捨てられる、という過程を辿ることは意外に重要ではないかと思う。西行の作った人間モドキは打ち捨てられたままであったが、日本のテレビアニメに登場するロボットたちは実際「道具に使われる」「捨てられる」「壊される」とやたら悲惨な目にあっているのだ。そして、その行き付く先は「造物主への反乱」である。アトムの『青騎士』における「人間め!!」という涙の絶叫を覚えておられる方も多かろう。例が古いってんなら『エヴァ』の綾波の「私はあなたの人形じゃない」はどうだ。 思うに、日本において「親子」の関係というのは、はるか昔から極めて希薄なものであったのだ。聖書における最初の殺人がカインとアベルの兄弟間の嫉妬が原因であったのに対し、日本神話のそれはイザナギ・イザナミによるわが子ヒルコの遺棄である。自らの血を残すのであれば跡継は一人だけで充分であるし、自分の意に染まぬ子であるなら捨て去ることは親の権利ですらあった。 なんで日本人がそうなっちゃったかってのを分析するのはちょっくら複雑で一言では言えないのだが、閉鎖されたムラ社会が基盤になっていて、貧困との戦いが日常であったかつての日本人にとっては、「オトナになりきれないコドモ」というのは、生活上、やはり厄介者以外のなにものでもなかったからではないかと思う。外敵と戦うためには親子の絆を強める必要があった西洋人と違って、日本人の戦う相手は「自然」だけでよかった。そのため、子への情愛、なんてあやふやなものはたいして顧みられることもなく、ただひたすら自分が生きて行くことだけを優先させて来たのである。 その結果、西洋では「親子の絆」というものが無条件に保証されるようになったが(おそらくは中国・朝鮮などのアジアもそうだ)、日本では、親は親として範を示し、子は子として自らが「役に立つ」存在であることを明確な形で提示せねば簡単に廃嫡の対象となった。日本人の親子間には、そういう冷徹な現実が常に日常的な問題としてあったのである。親による子の「勘当」という概念が、その縁切りの理由を「子としての不行跡」に求められていたのも、その顕著な例であるだろう。 親子が血で血を争う物語は、日本では特に珍しいものではない。 親が子を虐待するニュースが頻繁に流れるようになって、マスコミはさも昔の親子が温かい家庭を築いていたような幻想を撒き散らしているが、そんなのはウソである。昔の親は自分の意に染まなければ簡単に子供を虐待していたし、それが子供の命の危険に至ることも決して少なくはなかった。私だって、酔った親に殴られ蹴られ、鉄板を投げつけられ、殺されかけたことは数えきれないほどある。でもそれが当時の「フツー」であったのだ(そうでないと思ってる4、50代の親は、過去の記憶を忘れているか、その意味を理解していないのである)。これで親子の間に通常の意味での「愛情」が生まれると考えるのは脳天気に過ぎるというものだ。たとえ親が自分を不必要としていても、そこに絆を求めなければならないところに、子の苦しみが常に存在していたのである。 日本のアニメーション作品にはどうしてロボットものが多いのか、しかもそのロボットが心を獲得して行くパターンがなぜ多いのか(巨大ロボットものにすらその特徴が随所に見られる)、さらには心を持ったロボットが自らの存在異議について悩むパターンがいかに多いか、これは日本人の持つ「子殺し」の記憶に対する贖罪の意味が強いのではないか、と思うのだ。 『アトム』しかり、『ジャイアント・ロボ』しかり、『キカイダー』しかり。もしかしたら我々は、たとえそれが本当のわが子であったとしても、作ってはいけない子供を作ってしまった罪悪感から子供を育てているめんがあるのではないか。 リラもまた、アニメ版ではナジカに反逆し、物語を終えるのだが(おお、やっと『ナジカ』の話に戻った♪)、初めリラを拒絶していたナジカが少しずつリラに人間らしさを認めていくのに反比例するように、ナジカを慕っていたリラはやがてナジカに対立するようになる。リラを初め、ヒューマリットが「愛玩用」として開発された側面があることはそれとなく暗示されているが(今巻ではリラがまさしく「アイドル」になる話もあるぞ)、自らが人間の「オモチャ」であったことを自覚したとき、「作られた子供たち」は今度は生みの親である人間たちを殺す物語を自らの道として選択するようになるのである。まあ、マンガの中のリラはまだひたすらボケててかわいいだけだけど。 この血塗られた伝承を断ち切るのには「子をなさない」ことしかありえないようにも思うが、もしかしたら現在の少子化現象は、日本人の遺伝子がこれ以上の殺伐とした親子関係を抑制しようと考えた結果なのかも。……なわけないけど、これ、そのモチーフで小説書いたら結構面白いSFになりそうだな(^^)。 あ、あと今日見た『ヒカルの碁』はまたもや作画レベルが落ちてました。総集編やった意味ないぞ。 2001年10月16日(火) ココロを濡らす雨……詩人だなあ(どこが)/『エンジェル・ハート』1巻(北条司)ほか
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