無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年04月24日(水) しげ伝/『人生は五十一から』(小林信彦)ほか……“NEW”!

 しげ、という人間の性格を他人に伝えることは、並大抵のことではない。
 ともかくマトモな人間ではないし、これまでも他人との間でトラブルを起こしてくれたことは数限りない。
 一見、フツーに見えなくもないので、初対面の人間は騙されてしまうのだが、本質的には人非人である。「無自覚の悪意」……なのかどうか、自覚しているのかいないのか、夫である私にも計り知れないところがある。

 何のことか事情を知らぬ人にはサッパリだろうが、ここんとこ、私が巻き込まれている、あるトラブル(さて、このことについて詳しく書く日が来るのかどうか)について、しげが腹を立て、そのトラブルを更に拡大してくれるようなことをやらかしてくれたのだ。
 ……と、こう書いてもやっぱり何のことかは分らんね。
 でも、具体的なことは書けないので(保身のためではないことは強調しておく)、このまま書き進める。

 しげは心のコントロールが不得意である。
 原因はいろいろあるんだろうが、それを追及しても仕方がない。
 要はしげが自分で自分の心のバランスを取りたいと思っているかどうか、ってことなんだが、この点が実はよく分らないんである。
 私はしょっちゅう、しげに「今のお前の言動、普通と違うけど、そのことは自覚してるのか?」と聞く。つまり、自己をどの程度、客観視できているかを聞いているのだが、「自分ではこれが普通のつもりなんだから、何がヘンなのか言われても分らない」と答える。
 しかし、いきなりけたたましく笑ったり踊り出したり、道端でへろへろアブナイ歩き方をしていたり、何の脈絡もなく「インド人とアフリカ人とどちらが好き?」と聞いてきたり、それでいてコイツは自分を「フツー」と言い切りやがるのだ。
 これが7、8歳の子供ならば別段おかしい行動でもないのだろうが、なんと言ってもしげはもう28歳になるオトナである。奇矯、と言わざるを得ない。
 「他人からヘンな目で見られること、わかってるのか?」と聞いても、「別に他人だから」で終わる。受け答えが適切でない、というよりは論旨がズレまくり、しかも自分で喋ったことをホントに5秒置きに忘れて行くので、会話自体が成り立たない。
 しげの知り合い連中も、しげのヘンテコな行動を見ながら「しげさんっておかしい」と笑ってるようだが、ただの知り合いならアレもソレも全てギャグですむだろうが、私ゃ四六時中、しかも死ぬまで一緒にいるのである。
 「つらくないのか?」と人から聞かれたこともある。
 しかし、それは例えてみれば難易度の超高いRPGをやってるようなものなので、やり始めたらそりゃつらいの何のと言ってられるものではない。
 だから、「覚悟」はしていた。
 「何かいろいろあるだろう」とはね。
 でも、ホントに何回やらかしてくれたら気がすむのか。
 今回も、やっぱり「また」、あったのだ。
 何度目の「また」かは、もう数えてもいないが。

 しかし、読者の方にはここで誤解してもらいたくない事実がある。
 トラブルの原因は、もともとしげの奇矯さに帰されることではあるのだが、誠に残念なことに、それは「事実」を根拠としたものではなく、ただの「解釈」上のすれ違いに過ぎなかった、ということだ。

 私はこの日記で何度もしげを「ばか」だと書いてきた。
 読者の方々は、「そうは言っても、実はしげさんはステキな人だろう」とか、あるいは逆に「かわいそうな人なのだなあ」とか、しげについていろいろな想像を巡らしているかもしれない。
 しかし、これが「公開日記」だという事実を、まずはご理解いただきたいのである。結婚して十年、しげは私にとって未だに謎だ。しかし謎を謎のままに書いたところで、それは「伝える」ことを目的とした公開日記の文章にはならない。
 だから書く。
 しげは「ばか」ではないのか。
 ××××ではないのか。○○○○ではないのか。
 それは全て、しげの存在を他人に伝えるための言葉を探した結果ではあるが、どんなに言葉を尽くしても、しげをしげのままに見た言葉にはならない。というより、そんな便利な言葉はもともと存在しない。
 私の日記の中のしげは、まさしく私の解釈上のしげでしかないのだ(何よりしげ自身から、私は「しげというヘンな妻が存在している妄想を抱いている男」というレッテルを貼られている)。
 ウソを書いているつもりはない。
 けれど、どんなにリアルにしげの言動を移したところで、そこからぽろぽろと零れ落ちて行くディテールは確実にある。結果、いくら言葉を尽くしても、いや、尽くせば尽くすほど、私の書くしげ像は実態から少しく乖離していく。
 だから、ここに読者の「誤解」が生じるのは必然ではあるのだろう。
 だが、それでも私は語らねばならないのだ。しげという人間が何であるのかを。余りハッキリ書くとこっぱずかしいから書かないでいたけれども、この日記は、以前、別のHP内の日記として書いていたときから、「しげとはナニモノかについて書く」ということがコンセプトとしてあったからだ。
 これは、日記の形を借りた『しげ伝』でもあるのだ。
 ……そうでなきゃ、こんなに更新遅れてるのに、それでも書き続けることなんてしてないよ。

 だから、読者のみなさまにはぜひ、お願いしたい。
 この日記の記述から、しげについて、その人物像をどのように想像して頂いても、それは自由だ。しかし、それが果たしてしげの実態と一致するかどうか、それは保証の限りではない。一致することはまずない、と思っていただいても結構である。
 全ての「伝記」が、その人物の真実を描くものではなく、我々の欲している物語を紡いでいるがごとくに、私の『しげ伝』も、一編の創作であるのだから。
 トラブルの原因は、まさしくそこを勘違いされた点にあったのだ。
 ……具体的な例が出せないんで、なんだかやたら韜晦した文章になってるけど、勘弁ね。

 山道を車で越えながら、しげがふと口にする。
 「考えてみたら、オレ、生まれてからずっと、傷ついたことってないなあ」
 こいつくらい、過去の心的外傷を山ほどしょいこんでるやつもそうそういないと思うが、しげのオソロシイところは、その傷がもとで言動に少しく障碍を持っているのがハッキリしているのにもかかわらず、そのことを全く引け目に感じていない、……というより「忘れている」ということだ。
 これが「バカには勝てん」と言うことなのだろう。


 仕事帰り、マルキョウで買い物。
 もうすぐちょいと旅行するので、余り日持ちのしないものは買えない。
 結局、米を買ったほかは、二、三日分の冷食と、トウフと、イチゴと甘夏を買う。
 しげがどこぞから非合法の食料をくすねてきているが(^_^;)、これも数日中に食わねばならない。だからどうしてそう、賞味期限切れの食料ばかり増やしてくれるのかなあ。


 アニメ『ヒカルの碁』第二十八局「若獅子戦」
 院生編に入って、ヒカルのキャラデザインも随分オトナになった。
 原作の当時の絵柄よりもオトナっぽいくらいで、こうなってくると、ますます川上とも子さんの声とキャラとの絵の乖離が気になる。
 今更、声優を変えるってわけにはいかないだろうから、川上さんにはもちっと演技の幅を広げてほしいもんなんだけど、難しいかなあ。
 若獅子戦、ということで、緒方九段の出番も多くなってくる。
 もちろん、声は『クレしん』の藤原啓治さんなのだが、こちらはいかにもアニメっぽい無理な抑揚をつけず、そうとは気づかせない。う、うまいぞ、藤原さん!
 昨今は新人ばかりのアニメが多いのだけれど、せめてワキにベテラン声優を何人か配置するってこと、してほしいよな。


 DVD『紅の豚』、今日はアメリカ語版で見てみるが、これはもう、英語の不得意な私が聞いても分るヒドイしろもの。ポルコ・ロッソがヤンキーじゃ、カーティスとの差別化がはかれないじゃんかよう。


 マンガ、島本和彦『COMIC BOMBER 吼えろペン』4巻(小学館・560円)。
 サンデーGXの連載の中で、作者ご本人は「浮いてる」と思ってるらしいけれど、でも、一番ページ数もらってる連載(^o^)。もう4巻か。
 『燃えよペン』の時代から炎尾燃(ホノオ・モユル)のファンだった私としては、「うかつ賢司」(笑)にも復活してほしいのだけれど、なんだか異種業種バトルロイヤル編に突入とのことで、まあ、微妙に設定かわっちゃったから無理なんだろうな。
 けど、島本さん、ホントにどこかのクイズ大会に参加したのかな……?


 小林信彦『人生は五十一から』(文春文庫・470円)。
 文庫本で500円を切ってると「安いな」という感覚になりつつある。
 もちろん二十年以上前は文庫本なんて200円、300円がベースだったから、概ね10年で100円、つまり1年で10円ずつ値上げしていった計算になる。なんだかそこにタクラミのようなものを感じるのは邪推だろうか。
 ……というような私の文体、本書の作者の小林信彦の文体に似てるのな。
 いや、もちろん私の文章には他にも筒井康隆だの唐沢俊一だの、いろんなのが混じりあってるんで、どれがルーツだとかは断定できるものじゃないんだが、やっぱり「考え方」が似てると、文体も似るものらしい。
 ……そうなんだよなあ。基本的に似てるんだよ、小林さんと。
 『週間文春』の連載を読んでるときは、何を小言幸兵衛やってるんだ、とか思ってたんだけど、この連載、もともとそれを狙ったものだったんだね。現代じゃ何しろ「小言幸兵衛になれる資格のある人間すらいなくなってる」のだから。
 だとしたら、「何を知った顔して、無意味な説教繰り返してるんだこのジイさん」という以前の印象は、その通りではあるが批判の言葉としては機能しないことがわかった。「横町の説教臭い隠居」ってのがコンセプトなんだから意地悪で愚痴っぽいのは当たり前なのである。
 ……で、私のこの日記もどっちかというとそういうスタンスで書いてるんだよな。愚痴っぽいとこまで似るのは当然かもね(^_^;)。

 ともかく、小林さん、ムダな説明をしない。
 というより、「イチイチ説明なんかしてたまるか」と開き直っているようだ。
 例えば、景山民夫について書いている文章がある。
 「景山さんのエッセイは端正な文章で書かれている。しかしよく読むと(嘘だろう……)という部分がある。恰好が良過ぎる」
 でも、どこがどう、と具体的には示さない。
 これは、「景山さんのエッセイを読め」ということなのだ。……私も何冊か読んではいるけど、「嘘」というのは何をさしてのことかちょっと分らない。もっとも、「ハッタリの利かせ方がうまい」と思った記憶はあるから、そのあたりが「嘘」ということなのかも。
 ともかく、普通のエッセイなら、本文を引用するところだ。でないと、ただの中傷と受け取る読者もいるのではないか。ましてや、小林さんは景山民夫の「家庭の事情」に触れながら、それが何かも書かずにいるのだ。
 ……言えないことなら最初から書かなきゃいいじゃん、ねえ。……と思うのだが、意地悪なことに「何をどう調べればそのあたりの隠しごとがわかるかどうか」は、しっかり本分中に提示しているのだ。
 それも自分で調べろってことなんだな?

 中身について詳述し出したら、枚数がいくらあっても足りない。
 この本についてはいろいろ書きたいことがあるから、これからも日記の中でおいおい触れて行くつもり。今回はここまでナリ。

2001年04月24日(火) ギャグマンガの地平に/『相原コージのなにがオモロイの?』ほか



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