無責任賛歌
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| 2001年07月08日(日) |
夫婦で暑気あたり?/『昔、火星のあった場所』(北野勇作)ほか |
しげが「寝ても寝ても寝ても寝ても疲れが取れないよう」と嘆いている。 でもそんなに最近は寝てないんだよね。 だから夜通し6時間の立ち仕事、ネットサーフィンしたあとは部屋の模様替え、宴会でカルピスチューハイ四、五杯空けて、次の日は朝から劇団の練習なんてアホなスケジュール立ててたら、いくら20代っつーても、カラダが持たんだろう。 ……そういやしげってまだ20代なんだよな。 でも私はじきに40代。 ……トシの差夫婦ってやだなあ。
休日出勤で、まる一日お仕事。 休みがないと、私も疲れが取れない。40の坂を越えると体力がガタッと落ちると言うが、40どころか30越える前から私ゃ睡眠不足がモロに体に来るようになってるぞ。 徹夜なんか全然出来なくなってるものなあ。 睡眠時間が五時間を切ると体に来ること来ること。全身がダルイし意識はしょっちゅう朦朧とする。 だからせめて一週間に一日くらいは休みの日を確保しておきたいんだが、ここ1ヶ月ほど、それがまるでままならない。休めたのは病気でぶっ倒れたときくらいのものじゃないのか(^_^;)。 しかも今日はクーラーのない中でのお仕事である。 暑い。 蒸してる。 茹だってる。 眉間にシワが寄るのが自分で判る。 ああ、意識が飛びそうだ。 ハッと気がついたら、目の前に誰かの死体があって私の手には包丁が、なんて事態になっててもおかしくないかも。って、シャレにならんこと言ってるかもしれない(-_-;)。
なんとか犯罪者にならずに帰宅(おいおい)。 偶然しげと帰りが一緒になって、マンションの上からしげが私に声をかけ、手を振っている。 なんだかなあ、しげのやつ、街中では私に声かけることすら恥ずかしがって、しょっちゅう迷子になりかけてるってのに、どうしてこんなちょっとしたことでも喜んではしゃげるかなあ。 「今日の練習はどうだった?」 「あ、喜びぃよ。台本、よしひと姉様にウケてたから」 「……何が?」 「×××んとこが」 「……なんで?」 「其ノ他くんが×××で兄さんも×××ってとこがあるでしょ? 実際に演じてる時の様子が眼に見えるようだって」 ×××の様子なんて想像して喜ぶもんじゃないと思うが。 台本未定稿の内容に触れる部分ですので、伏字なところがありますがご容赦下さい。あの、別に淫靡な内容だからカットしてるわけじゃありませんので。
疲れ果ててたしげは、そのあとすぐ泥のように眠るのであった。 最後に「『雲霧仁左衛門』録画しといてえ」とだけ言葉を残して(^_^;)。 あれだけ「時代物は難しいからヤだ」とか言ってたのに、しげは古本屋回って池波正太郎の原作を探し出してくるし、ウチにあった梅安シリーズも読み始めるし、急に池波づいているのである。 私は、池波はほかの時代作家ほどにはハマらなかったのだが、別にキライだというわけではない。回りにファンも多いみたいだし、ちょうどいい機会だから、と買い込んだ『鬼平』もまだ『唖の十蔵』しか読んでないので(第一話やんけ)感想もUPできないのだが、夏場の入院の時期使ってなんとか読破してみようかな。 あ、昨日のしげの突発的模様替え症候群発動のせいで、『鬼平』もどこかに沈んでいるのだ(おかげで岡野玲子の『陰陽師』10巻も唐沢なをきの『うらごし劇場』もまだ途中までしか読んでないのに行方不明だ)。読みたいときに本がない。で、仕方なく2冊、3冊目を買う羽目になるのだな(-_-;)。 テレビシリーズの『雲霧』のナレーションが津嘉山正種なものだから、あの低く抑揚のない声で「享保のころ、当時市中を荒らす盗賊たちがいた」なんて語られると、なんだか「オトナ帝国」のケンが歴史の歪みを問い質すようにこちらに語りかけてるようで、ちょっとコワかったりするのである。 ナレーションの「語り」はただの語り部でなくて一種の「批評」である、って言ってたのは誰だったかなあ。 徳川夢声か三國一郎だったっけか。誰か覚えてない?
北野勇作『昔、火星のあった場所』読む。『かめくん』の作者の新作かと思ったら、文庫リニューアルのデビュー作だったのだった。 第4回ファンタジーノベル大賞受賞、って、あの酒見賢一の『後宮小説』の流れなわけだな。あれ、最初は受賞作を毎回アニメ化、とか謳ってたけどニ作くらいで潰れたんじゃなかったのかなあ。後書き見ると「いかに売れなかったか」とか書かれてて、なんだかかわいそうな限りである。 あのシリーズも、たしか「日生劇場」とか銘打ってて、路線的にはスタジオジブリの二番煎じを狙ってるのか、でもそれじゃ売れねえよなあ、と思ってたのだが、多分四回目ともなるとアニメ化もされてないんじゃないかなあ。
でも一読して驚いた。 ネタが去年私が書いた台本『鴉』とまんま被っている。つまり量子論的宇宙における不確定な世界の中でヒトはどう生きられるのか、というような話。 説明し出すと長くなるので、簡単に書いちゃうと、量子物理学では世界とは、観測の上に成り立つものであって、つまり私たちが「何かを見る」ことによって、それはそこにあるのだと。言いかえれば私たちが何かを見ようとしなければ、それがそこにあるのかないのかは確率的な存在でしかあり得ないと。それを「シュレジンガーの猫」と呼ぶんですね。 ……この説明でよくわかんない人は専門書読んでください。あるいはあさりよしとおのマンガ『HAL』でもいいです(^^)。 そんな世界で主体的に生きることはまるで無意味だ、と言うのが私の結論。じゃあどうやって生ききゃいいのかっていう話になるんだけど、もちろん、開き直るか諦めるか笑うしかないんだよね。あるいは、最後の手段として、「どこかに戻ろうとして逃げる」。……という、オチまで似てたよ。おいおい(^_^;)。 その辺の感性が似てるのって、やっぱり作者と私が同世代なせいなのかなあ。 念のため言っとくが、盗作なんかしてないからな。 シュレジンガーの猫を私は「鴉」に置き換えたわけだけれど、北野さんはなんと「タヌキ」に置きかえている。 かつて「門」がこの世界に開いてしまった時から、あの火星は四散し、この世界は人間とタヌキの二つの勢力が争う世界となった。 ……マジメなヒトが読んだら気が狂いそうになるような世界観だ。もちろん、ルーツはフレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』なわけだから、SFファンならこの程度の設定、軽く乗り越えて楽しめることであろう。もとの出版社である新潮社のおエラさんがたにはムリみたいだったらしいけど。 しかし、読みながら鏡を見せられてるような感覚に陥るってのは奇妙な経験だった。面白いんだかつまんないんだか判断つかねえよ。
マンガ、細野不二彦『タケルヒメ』1巻。 時代もので妖怪退治もので、となると設定的にはありきたりなんだけど、何しろ作者が細野さんだから読んだ印象はまんま『バイオハンター』。グロなの私はちょっと苦手なんだけど。 主人公のタケルヒメがちょっと知恵遅れ気味、という設定は諸刃の剣、という気がしないでもない。主人公が悩んだり成長したりってのがない分、物語としてはすっきりしてるんだけど、「知恵遅れ=純粋=破邪の資格」って図式はいくらなんでも短絡的過ぎないかな。 帯に「巨匠・初見参!!!」なんて書いてあるけど、細野不二彦がいつ巨匠になったのかとちょっと首を捻った。いや、好きな作家さんだけどさ、巨匠って祭り上げなきゃ売れなくなったのか、と思っちゃってね(-_-;)。
WOWOWでコロンボの新作、『新刑事コロンボ・奪われた旋律』見る。 新シリーズになって以来、レベルダウンの著しいコロンボだけれど(エド・マクベイン原作のやつなんて最低だった。『87分署』とじゃ世界観が違いすぎる)、今回はまあ原点回帰、といった感じで印象は悪くない。 監督が旧知のパトリック・マッグーハンで、犯人の音楽家がコロンボの前でいきなリ歌い出すような、『プリズナー�癸供抂瞥茲離┘�セントリックな演出はあるものの、適度にユーモアを盛りこんだ適切な演出を行っている。 でも、コロンボのプジョーがガス欠になって、仕方なく犯人の車に乗りこむ、という展開、いかにもコロンボらしくていいんだけど、あとで「あれは犯人と会話するためにわざとやった」とネタバラシするのはどうかなあ。トリックの解明に解説は必要だろうけど、捜査の過程ではコロンボの行動はもっと謎めかしておいたほうが効果的だと思うんだけどね。 アリバイトリックそのものはチャチでなんだけど、体内であっという間に分解されて痕跡が残らないはずの睡眠薬がなぜ死体から検出できたのかってトリックの方はそう悪くない。私はすぐに気づいたけど。 コロンボが、と言うよりピーター・フォークがトシを取ったということを感じさせないように、やたら走りまわさせてるけど、ちょっと痛々しくはある。 もう昔みたいなしつこさ、胡散臭さを前面に出すのは無理だろうから、ミス・マープルみたいな好々爺のイメージてやっていってもいいんじゃないかなあ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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