無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月23日(水) できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか

 この日記、CDで音楽をかけながら書くことも多い。
 そのときの気分によってかける音楽は変わるが、もうトシがトシなので、余り若い人の音楽は知らない。
 カラオケで劇団メンバーの諸君が歌うのを聞きながら、「おお、これは面白いな」と思う曲に出会ったりすることもあるが、記憶力がないので、あとでCD買おうと思ってもタイトルもアーチストも分らないのでどうしようもないのである。
 必然、私のかける曲は、なつかしモノか、アニソン、映画音楽などに絞られてしまう。
 三木鶏郎やエノケン、あきれたぼういず、クレージーキャッツ、伊福部昭に佐藤勝、大野雄二や久石譲に川井憲次、ヘンリー・マンシーニやバート・バカラック、山口百恵に林原めぐみ(^^)、実に節操がない。
 もちろん山本正之とブルース・ブラザースは全CDを購入。もっともそれはしげが熱烈なファンになったせいなんだけれども。
 でも見てお分りの通り、音楽に対してのポリシーなんて、カケラもないやつなんだよね、私って。

 トコロガネー、ソンナワタシガネー、コンドノシバイノオンキョウモタントウセネバナランノヨ。

 無謀だ(^_^;)。
 人がいない劇団というものがどれだけ個々のスタッフに苦労をかけるものかということがよく分る。
 演出のよしひとさん、どうかお覚悟を。あ、それと、以前録画しといてビデオの山に埋もれてたイエローモンキーのライブ、やっと見つけました。今度お渡しいたしますね。

 で、今、私はパソコンにシティーボーイズライブのサントラ(小西康陽・金子隆博)だのをかけたりしているのだが、ときどきしげが片付け忘れたエロゲー『淫内感染』なんかがディスクボードに残ってたりして、困っちゃうのである。
 朝っぱらから枕元で「あん♪」とか変な音を立てたりするしさー。おまえ、ホントに女か?


 仕事を早引けして医者で検査に診察。
 どうも眼底出血してたのが頭痛の原因らしい。出血したからって、治療のしようがないんだけれども、失明を先延ばしにする摂生くらいはしなきゃなるまい。
 細かい検査結果は明日また来院した時に聞くことにして、糖尿の薬をもらって帰る。
 ちょっとここの薬局について気になる点が二つ。
 一つは薬局の名前の中に「アガペ」って言葉が入ってること。これ「神の愛」って意味だよねえ? なんだか薬屋の名前にはそぐわない気がしてさ、だって、薬が効かなくても「祈るのです。祈れば必ずあなたの病気は癒されましょう」なんて言ってうまく丸めこまれそうでねえ。
 もう一つは待合室になぜか川原泉の『小人たちが騒ぐので』が置いてあるんだけど、これも「癒しマンガ」だからってことなの?


 待合で読んだ週刊なんたらに、メル友がきっかけで殺人、という今流行の(^_^;)犯罪についての記事。
 テレビなんかでは、またもや「出会い系サイト」を悪者にしようというキャンペーンが張られているが、記事を読むかぎり、女のほうが人妻であることを隠して少年と付き合った結果、殺されちゃったと言う、よくある話である。実際「メル友」っていうフックがなけりゃ、テレビで取り上げられる可能性も低いありふれた犯罪だ。
 携帯やネットを悪者にしたがるってのはそれだけマスコミの価値自体を下落させることになるから、報道が躍起になって否定しようとする気持ち、分らなくはないが、はっきり言ってみっともないだけである。
 要するにこの手の事件が起こっちゃうってのは、マスコミのマインドコントロールに浸るよりも、個人個人の情報ネットを楽しむほうを人々が選択するようになった時に必然的に発生する弊害の一つなんで、もちろんいいこっちゃないんだけども、どうにか回避できるものでもないのである。
 またぞろ現実と空想の区別がつかない、とコメントするキャスターが出て来たが、自分の言質のほうが幻想だってことに気がつかぬやつが顧みられなくなることも必然であろう。
 ネットは広大だ(^^)。

 
 昨日の夕刊では小泉首相、「ハンセン氏病裁判について控訴する方針」、と書かれていたのに、今朝のニュースでは一転して「控訴断念」とか。
 面白い。
 小泉首相の「変人」ぶりは本物だ。
 私も含めて、日本人が政治に無関心になってしまった原因は、結局それが「出来レース」だってことが、マスコミ報道から見えていた事実によるところが大きい。
 「首相は今晩退陣する予定」なんて、なんで事前に判るんだよ、とツッコミ入れたくなるような報道ばっかりだったしな。それが森政権の末期から徐々に変わってきた。「マスコミに予測できない政治」が、戦後始めて誕生したと言ってもいいのではないか。ニュースを見ていても、記者が、「いったいどこに取材に行けばいいか分らない」と右往左往している様子が見えて笑えること。
 マスコミ関係者って、政治家以上にエリートぶった鼻もちならない連中が多かったから、溜飲が下がる下がる。

 しかも、小泉首相の今回の判断は、ご本人が意識してるかどうかは知らないが、ハンセン氏病患者に対する差別意識を封じる意識捜査を大衆に施したという意味で、画期的なものなのである。
 明治の「解放令」以来ね、「差別はしちゃなんねーよ」って法律は何度も出されてるけどさ、「心理的に」大衆に浸透させることはとっても困難だったわけね。人間はどうしたって誰かを差別したがるものだから。昨日まで差別してたのに、今日から差別しません、なんて簡単に変われやしないのよ。
 けど、今回、この控訴断念でハンセン氏病患者たちは「小泉首相」という強力な後ろ盾を手に入れたことになった。なのに今後「ハンセン氏病って、移るんでしょ?」なんて態度をとってたら、これは即「小泉首相」を敵に回すことになる。というか、これからは自分のほうが無知な差別主義者ってことで周囲から差別されることになるのだ。自分が差別されるのはみんなイヤだから、こりゃ、偏見は一気に減るぞ。
 こんなマインドコントロールを大衆にしかけた点で、小泉首相の業績は歴史的快挙であった、と言っていいのではないか。

 ではあるけれども、今や古本屋でも手に入らなくなったハンセン氏病患者への差別表現満載の栗本薫『グイン・サーガ』第一巻、未だに売っぱらわずに取ってあるのである。
 まあ、歴史の証拠の一つとしてご勘弁下さい。 


 トイレに入っていたら、突然の電話。
 当然出られないので、しげが受け取ったのだが、あろうことか、○○真っ最中の私に受話器を受け取れという。
 「誰から?」
 「福岡シンフォニックのUさん」
 「ああ、ビデオカメラの件か。用件聞いといて」
 「……出て」
 「出られないよ。用件聞いといてってば」
 「出て!」
 しげ、突然、トイレのドアをガタガタ揺さぶり、かかっていた鍵をムリヤリこじあけ、私に電話の子機をつきつけた。
 唖然とした。
 しげの眼は完全にイッている。
 「出られないって言ってるだろ!」
 そう言ってドアを閉めたが、さて、しげはいったいどうしてしまったのか。

 何度かこの日記にも書いていることだが、しげは、もともと極度の対人恐怖症で、私と出会ったころはほとんど口を開かないほどであった。
 いったん心を開けば喋れるようになるんだけど、知らない人相手だと、まだ全然対処のしかたがわからぬのである。
 Uさんはしげとも面識があり、別に知らない人ではないのだが、私に用事があって取り次いでもらおうとした時点で、しげにとっては「他人」になってしまうのだ。このあたり、ちょっと理解しにくいかもしれないが、そうなんだと納得してもらう以外にない。
 「私の代わりに」用件を聞くことは、しげにとってはパニックを起こすほどに精神的ストレスを与えることになってしまったのだ。この程度のことでパニくられても困るんだが、今んとこしげ自身、セルフコントロールが出来ないので、それを前提に対処法を考えるしかない。
 申し訳ないが、しげ本人に用事がある人は別に問題はないのだが、私に用事のある人は、できるだけメールか日記の掲示板か携帯のほうに連絡はお願いしたい。
 どうしても電話でないと、という場合、しげが出たらすぐに私に電話を回さず、軽くしげと世間話をして下さい。そのあと、私が電話に出られる状態かどうかを聞いてみて頂けるとベストです。
 間違ってもいきなり「幸次郎さんいますか?」なんて聞いたりしないように。

 でもUさんもまだパソコンにネットつないでないのかなあ。
 引っ越す前はつないでたのに、もしかして電話代節約してるのか?
 でもつないでた時も、私のほうは「掲示板のほうにいつでもお越し下さい」と言ってたのに、全然来てくれなかったしなあ。やっぱり直接声を聞かないと不安になるタイプなのだろうか。
 電話はあまりウチはつながりませんから、ということは言ってあるのに、メールを一切使わないところがよく解らない。


 ディズニーの新作アニメ『アトランティス』が『不思議の海のナディア』のパクリではないかと話題になっているが、もちろんパクリに決まっている。
 ディズニーのアニメーションの歴史をちょっとでも紐解いてみれば、あそこがどれほどあこぎなことをしてきたか、日本人もいい加減気づいてもいいと思うんだがなあ。
 アニメーション制作にあたって、お話よりもなによりもキャラクター至上主義を貫いているのは、他社の映像化を圧殺するためである。「ピノキオ」とか「ダンボ」と言われてあの丸っこいキャラ以外のイメージを思い浮かべられる人がどれくらいいるだろうか? 下手に「ピノキオ」を別のイメージで映像化しようとすると、先の実写版のように惨憺たる結果に終わるのである。
 その証拠に、既に世界的にキャラクターが浸透している我が東映の『長靴をはいた猫』をディズニーは未だにアニメ化していない。勝てるわけがないしな(^o^)。
 ともかくディズニーの権力思考はアニメの内容にも及ぶ。
 昔は露骨に白人がいっちゃん偉いってイメージの映画ばっかり作ってたけど(『ピーター・パン』の主役は東洋人っぽいピーターじゃなく清楚なウェンディーのほうだってことは見りゃ解る)、最近のアラビアやギリシャや中国を舞台にしたアニメでも、結局はアメリカナイズして自分とこの文化に取りこんでて、「相手に学ぶ」って姿勢はカケラもない。
 歴史のない国が、他国を蔑むことで自分とこのステイタスを誇ろうとしてる当たり、戦前の日本を彷彿とさせるね。そんなに自分とこの文化がサイコーだと思わなきゃやってけないのかねえ。
 だから『パール・ハーバー』か。ベトナムは間違ってもディズニーは映像化しないよな。
 才能のない連中がそれでも自分とこの作品を売るためにはどうしたらいいか。
 一つは優秀な連中を自分とこに取りこむ方法。ピクサーやジブリとの提携がそうだね。
 もう一つはあからさまな盗作。どうせ極東の島国のアニメなんだからパクったって、アメリカ人にゃバレないし、日本じゃかえってそのスキャンダルで売れるだろうって腹が見える。
 日本人はバカにされてるのだよ?
 それでもディズニーがいいと言えるのかな?
 百歩譲って、製作者の思想と完成された作品とは別にして考えるとしても、ディズニーの作品で傑作と言えるほどの作品がどれだけある? 大仰なだけで繊細さのカケラもないストーリーのどこに感動できるんだか私にゃまるで解らないがねえ。


 マンガ、桑田乃梨子『真夜中猫王子』2巻(完結)。
 ああ、意外とあっさり終わってしまった。悪の大臣がこっちの世界にやってくる、というところまではいいんだけど、どうも主役の王子が無気力なんで話が転がらないんだよなあって、それが桑田さんの持ち味ではあるんだけど。
 面白いんだけど、キャラクターの人間関係が複雑になろうとした途端、いつも終わっちゃうのは作者本人が「醜いものは見たくない」と頑なになってるんじゃないかって気もする。
 ツライ人生送ってきたのかなあ。
 でもそのせいで、話がこぢんまりとまとまっちゃって、最近の作品は今一つ印象に残らなくなっている。旧作もほとんど絶版になっちゃってるしここらでもう少し広がりのある話というか骨太な作品を描かないとあっという間にこの作品も絶版だぞ。

 マンガ、羅川真里茂『しゃにむにGO』8巻。
 うーむ。コーチが出て来て展開がおもしろくなるかと思ってたけど、なんだかありがちな展開だなあ。原秀典の『やったろうじゃん!』とイメージがダブる。
 コーチが以前は問題児ってパターン、少しくらい工夫してくれないかなあ。


 長部日出雄『天皇はどこから来たか』
 戦前、不敬罪に問われた津田左右吉が、実は新憲法発布以前に「象徴天皇制」を提言していた、というのは初めて知った。

 諏訪大社の御柱祭は、以前テレビ中継をビデオに録ったことがあるが、恐らくは日本で唯一「人死に」が出ることが黙認されている祭である。
 山中で切り倒された大木を下の神社まで曳いていく途中、何10メートルかを一気に坂落としするのだが、上に乗った人間が振り落とされて、毎回何人かは死ぬのである。
 あまりそのことははっきりと本には書けなかったのだろうけど、これってつまり神様への生贄なんだよね。日本には宗教がないようなこと言ってるやつがいるけど、一遍各地の「祭」を見てみればいいんだ。
 福岡の「山笠」だって、その陰で死んでいった者たちの昔話が残ってるんだからな。

 でも、総じて目新しい意見や、長部さんならでは、と言えるような意見は少ない。ちょっと期待ハズレの一冊。


 書き忘れるところだったが、今朝の体重は86.2キロ、昨日と変わりなしであった。なんか全然ダイエット日記になってないぞ、これ(^_^;)。



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