終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年09月06日(水)

覚えている、わたしは覚えている。
ひざしの下であなたはグラウンドに膝をついている。
投手はセットポジッション、振りかぶらずにサイド・スロー。
直線に鋭く走るボールはあなたの構えたミットを叩き、
そしてあなたは頷いて立ち上がる。なにか言う。ボールを投げる。
ボールはあなたの手からひゅるりと伸びて、投手に還る。
このすべての風景には、いったいどうして音がないのか。
透き通って重たいガラスに包まれたよう永遠に似ています。
わたしは遠く隔たってなおもいまも窓を見るよう見ています。
ああ、あなた、あの風景はいまもわたしを照らしている。



人の命を金額に換算する公式を作るべきだ。
「社会的に」あるいはこのほうが好きならこうでもいいが「政治的に」、
命や障害についてのものさしを作るべきだ。
こればかり観念的に地球より重がっていたら、
「社会的」「政治的」ほころびが大きくなりすぎる。
裁判員制度なんていう悪しき民意を拾い上げる制度にするならなおさら。
損害賠償という制度は、本当なら作るべきではなかった。
むしろ損害を受けた人間に「必要な援助」ができるように、
十全に福祉を整えることを考えるべきなのだ。
だから私の意見はこうだ、懲罰的損害賠償金は、国庫に入るべきだと。



同情を買うことに対して、人は警戒さえするべきだ。
自分の行為が他人に対して「どういう影響を与えるか」という、
そのことについて懐疑的とさえいえる警戒心を持つべきだ。
結局のところ、弱みを見せることは自分の値段を下げることにつながる。
ヨーロッパの古いことわざを呼び戻そう。
剣を帯びるとは他者に対し自らへの尊敬を強いることだ。
尊敬を得られなければ、待っているのは軽蔑だけだ。
玄関の外に7人の敵が待っているというのは少なすぎる。
世界は敵だ。美しくすがすがしいかもしれないが、敵だ。
この敵の尊敬をこそ、私は勝ち得たい。


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