終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年07月01日(土)

「バイオリンのためのソナタとパルティータ」

不協和音が激情をたたえて口火を切る。
この衝撃は何に例えられるだろう。
悲傷、だが何についての。
別離でなく、喪失でなく、だがそのどちらでもあるような。

私はこれまでバイオリンは避けてきたといっていい。
ごくわずかな例外をのぞいて、できるだけ聞かずにきた。
それはこうなることがわかっていたからだ。

胸を突く悲しみ。
バイオリンは基本的にあまりに感傷的すぎる楽器で、
チゴイネルワイゼンとかまでいくともういっそ滑稽なのだが、
端正さを脱ぎ捨てることのないバッハでは恐ろしい深みに達してしまう。

故郷を思うものも、恋人を思うものも、失った子を思うものも、
ああ、こんなふうに嘆かずにはいられない。こんなふうに。
限りなく純粋な、自堕落さのかけらもない、悲しみ。

ああ悲しみを抱いて、青白い透き通った軌道を、ひとは。



マルチェロは表情を凍り付かせるようにして、音楽を聴いている。
物思いは深く沈んで、旋律の糸に導かれるようにさまよう。
その目はなにも見ず、その口は沈黙して、ただ。
ただ、かなしく。








マルクク茶の産物

真夜中の聖堂はひとつの静謐に包まれている。終夜の明かりを捧げる役目にあたったククールは女神の前に膝をつき頭を垂れた。声もない祈りとともに手の中のロザーリオを数えてゆく。ククールは考えなかった。同じその神の前で、それもほんの昨夜、兄に抱かれたということを考えなかった。そのときどのように体が燃え、思いが切なかったかということを考えなかった。同じ場所に輝く灯火のもとで、兄の手にすがりついて悦びのあまりすすり泣いたかということを考えなかった。夜は静かに過ぎていった。

騎士団長は立っている。天窓から彼の上に真昼の光は落ちて、金襴の衣に映えていた。歌のような祈祷は薄い唇から完璧に流れだし、石の壁に荘厳に反響した。それでいて彼自身はその言葉の何一つ信じてはいないのだ。もうすぐ執り行われる法王即位式にあたってさえ、そのときにさえ。年長の騎士は壁際に立って静かに快哉した。つまりは彼の神、謹言なる騎士団長のために。いざ立って飢えを満たせと。

ククールは黙って横たわり、自らの裸身に手のひらを滑らせた。ひんやりと冷たい手は熱い肌の上にあって、たとえばもっと深い夜からあらわれ出てきたもののようだ。なめらかな胸と息づく腹と、それから―と。自らを手の内に包みとって、ククールは嘆息した。まねているのは兄の手だ。無慈悲で、愛撫というより暴くような。暴き立て、罪を突きつけるような。だがその手をこそ、ククールは恋しかった。

弦を弾く不協和音のように扉は開いて、マルチェロは黙って眉を寄せた。山中の離れ家を尋ねるものがあるとすれば、それが誰かはわかりきっていた。後に続くのがいかなる旋律であれ終わりは常にコーダ、そしてその後には沈黙が来る。ならば何をおそれることもないはずだった。憎しみも悲しみも、絶望も、そしてまた愛も。息を弾ませ、頬を明るくして戸口に立つ銀髪の青年を見ながら、マルチェロはそのように考えた。


ククールはシロとともに川辺を歩いていった。雨上がりの道はところどころ水たまりがあって、ククールはふと立ち止まった。映っているのはざんばらの白髪も薄くなりかかったやせっぽちの老人で、かつて老若男女をブイブイいわせていた放蕩児のおもかげはもうどこにもなかった。「そんなもんじゃいのう」ククールはさみしく呟いて、引き綱を引っ張るシロのためにまた歩き出した。

マルチェロはかつらを手にとって、ためつがめす見てみた。使い始めて、もう何十年になるだろう。最初に手にとるまでは勇気がいった。養毛林でなんとかなると、何年頭皮をたたき続けたことだろう。だがとうとうM字の真ん中までもが後退していると認めざるをえなくなった。その日、マルチェロはかつらを手にとったのだ。「だが夏は蒸れるのう」マルチェロはさみしく呟いて、分厚いポリエステルのそれを頭にかぶった。

藍の香の匂い立つような、夏の涼み姿を、ククールは後ろから見つけた。男ぶりの際だつ所作の美しい長身は確かによく知る兄のもので、歩む向きからいえば、神社に行くのに違いなかった。そうだ、彼との約束のために。声をかけたい気持ちをククールは押さえて、しばらく兄の後をついてゆくことにした。もう金魚すくいや綿飴売りや、そんな出店の呼びこみの声が遠くの方から聞こえてきていた。



どれも2−3分だから荒いなあ。


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