終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年06月22日(水)

「そこでおまえはどうおしだ」

新聞にもずいぶんとのどかな時代があったものだ。
政治家の旦那が暴漢に殺られちまった。けがをした妾が実家に電報を送る。

「だんなはいけない わたしはてきず」

それを知った新聞社が、都都逸にしようと下の句を募集。
集まったうちの一つが上のもの、というわけ。
これ以外には、

「代わりたかった 国のため」
「金のありかは どこである」

…などなど。
今やったら、きっと、不謹慎って言われるだろーなあ。
(参考:『夜明けあと』星新一)


上三川町の小学校で、教諭の運転する車に四年生の児童がはねられた。
児童は三時間後に死亡。教諭は業務上過失致死で聴取を受けている。
人殺しになることは、なんて簡単なんだろう。
なんて簡単で、そして取り返しのつかないことなんだろう。
そして死ぬということは。
野良犬だって、こんなふうには死ぬ。
人間らしい死とは幻想か。それとも死は死か。



キマイラ。
遺伝子が人間の要素を運び、脈絡もなく統合する暗号化された文書なら、
子供というものがその合成された結果なら。

わたしも思想も似たりよったりだ。

小林秀雄やキェルケゴールやニーチェやそのほかいろんなものの切れ端が、
好き勝手にごっちゃになっているのが、見る目には見て取れるだろう。
そして深く掘ればもっといろいろと出てくるだろうが。

さらに掘ればイドがあるのかなにがあるのか。
いずれ、そんなに掘れば個性なんてものはなくなっちまう。
一様な、なにか曖昧で、しかも同じものが見えてくる。

精神もまたキマイラ。わたしの言葉はどこにある。


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