- 2005年05月03日(火) 酒と風邪と仕事で頭痛がするいわゆる連休さなか。 高校野球を、私はそこそこ好きである。 (実例:2003年12月19−23日の日記、 ないし2004年8月の日記、そのほか) 気になっているのは野球留学というものについてだ。 世間一般に言われていることはこういうことだ。 「学校の売名のために野球のできる生徒を金で集めている」 「他県から野球枠で選手を集める学校のせいで、 地元の子どもを集めた高校が甲子園出場できない」 栃木県には野球留学生を集める学校は少なく、 また強豪と呼ばれるのはほとんど県内出身の子どもたちの通う学校だ。 おかげで県内大会の集客は上々だし人気も高い。 だからというべきかしかしというべきか、そのため全国大会で栃木は弱い。 それはひとつの面だ。だがどうだろう。 子どもたちは子どもたちである。 野球をするために設備や教育者のそろった他県の高校に出て不思議はない。 それでもその後ろに動いている金を否定することはできないし、 またどのように言うべきか。子どもにも子どもの打算はある。 それはこの世のほかのすべてと同様に当然でそれ以上のものではない。 しかし同時に彼らは免責されてはならない。 非難する人間の非難はその角度ではまっとうであり抑えられることはない。 意図は必ずしも望んだ結果だけを引き連れてくるとは限らないのだ。 彼らがほんとうはどういうことを行ったのか、 彼らははやがて知るだろう。がらがらのスタンドで。敵方への声援で。 だが同時に、彼らはその情熱でもって世界を変えることもできるのだ。 -
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