終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年05月01日(日)

引用という手法がある。
私は「ぱくり」という言葉が偽悪的で好きだが。

聖書を引用した書物は多い。
そうした書物は、いわば聖書を「生きて」いるのである。
「失楽園」において、あるいは「神曲」において。
「ハムレット」「マクベス」「リア王」において。
ゲーテにおいて、リルケにおいて、ヘッセにおいて。
エル・グレコにおいて、ラファエロにおいて、ミケランジェロにおいて。
バッハにおいて、ベートベンにおいて。
大きくいえば、西洋世界に属する文物はすべて、
聖書の引用である。聖書の引き写しである。
ある一つの精神において捕えられた聖書である。
それは一つの魂を永遠にするものだ、おそらくは。

それで私は何を書こうとするのだ。
私の筆は何を生きようとするのだ。
二次的であるということは言い訳にはならない。
私は筆をもって生きるものだ。だから言い訳はできない。
聖書において凡百と少数の優れたひとびとがその生命を託した、
そのようなひとつの巨大な永遠に触れようとしているのか。


テキスト吐き出しすぎて頭イテー…頭ワリー…


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