- 2002年07月16日(火) 住んでいるところが住んでいるところなので、 時々「夜の女」に間違えられる。 たとえばコンビニを出て道を渡ろうとするとき、 折悪しく車が通りかかったとする。 私はひかれたくないから足を止める。 すると、運転席の男が頷きかけて来たり、するわけだ。 車は数メートル先で止まるが、 私はそのまま角のCD屋にすうと入る。 出てくればもういない。 不愉快か、と言われれば、別になんのことはない。 そういうこともあるというだけで、特にどうとも思わない。 首ののびたTシャツとジーンズなんだけどねえ、とか思うくらいだ。 もしかして、と、私はふと思うだけである。 もしかして、気が向いて―― 私はその車の窓を叩き、 幾ら?と、聞いてみたくなるかもしれない。 結局のところ、私と夜の女たち(少女さえ、いる)の間に、 決定的ななにか違いがあるわけではない。 彼女らが「売ろう」という意識を持って立ち、 私がそんな気はなく歩いているだけの話だ。 私が歩く同じ街路で、商談は毎夜、幾らでも、成立してる。 私の前で車を止める男は、つまり夜の側の世界の端っこ。 着飾って路上にたたずむ女も、また。 シャッターの下りた店は昼の側の名残。 昼の世界と、夜の世界は、幾らでも接してる。 私の視界は夜と昼を見渡し、そうして世界は立体感を持つ。 私はこの視界を愛する。 でも、そう――時々、夜の側を深くのぞきこんでみたくなって、困る。 -
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