終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年02月14日(木)

『アリアドネ、私はおまえを愛する――ディオニュソス』
             ニーチェ、コジマ夫人への書簡より

1:
ナタラージャ、
舞踏せよ、夕暮れに燃える山上にて。
ナタラージャ。

御身の舞踏こそが、
ナタラージャ。
ああ、御身の舞踏こそが。

ナタラージャ、
世界の廻り、夜明けと夕暮れ、海の満ち干。
ナタラージャ。


2:
呼吸する、わたしは呼吸する。
この呼吸はあなたの舞踏だ。
あなたの手の結ぶ印は――この呼吸を暗示する。
暗示している――世界のはじまりからこのかた。

思考する、わたしは思考する。
この思考はあなたの舞踏だ。
あなたのうちにわたしは内在し、
そしてあなたはわたしとして世界に顕現する。

それともその逆か?
ああ、どちらでも同じこと。
――ナタラージャ。


3:
ニーチェはキリストとディオニュソスを対比させた。
だがこの二者は、同じものではなかったか?
意思とそれを行う手のごとき関係にあるものではなかったか?

実行される以前の考え――キリスト――と、
実行する手――ディオニュソス――と。

むろん、そこには深くまた越えがたい溝はある。
だが両者は限りなく重なっている。
異なる次元における同一のもの――だ。


4:
ナタラージャ、
御身の手の一振りこそが。
ナタラージャ。

真の生死、真の喜び、真の悲しみ。
ナタラージャ。
御身の手の一振りこそが。

ナタラージャ、
我らのもとにあるのはその写し、その影、その隠喩。
ナタラージャ――……


5:
わたしはあなたのもとにいる。
わたしはあなたのなかにいる。
真のわたしは。

――だがそれをわたしが認めるかどうかはまた別だ――……


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