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Montgomery Book

第7章 (3)死を想う
さまざまな場所で暮らしてきたが、これこそ終生の地とするところはどこにもなかった。終生の地、それはあの生まれ故郷の、海に向かった細長い緑の谷間のほかには考えられなかった。

/『マリゴールドの魔法』(上)


 人にも物にも、いつかはこの世界での死が待っている。物語のなかにも。すべての糸を操っていたモードは、死というパズルの一片を、物語のどこに配置すれば最も効果的か、何を、誰を死なせるのかについて、運命そのもののごとく巧みであった。

 私がこれまでの読書体験すべてを通じ、最も強烈な不意打ちをくらい、何時間も泣き続けた原因は、他ならぬ、アンの家族の訃報であった。夏の夜半のことであり、10代の終わりだったという過敏性をさしおいても、何かを永遠に変える一刺しであった。私はものごころついてからというもの、これという理由もないのに、死を想わぬ日はなかったといってよい。生と死は表裏一体、分かちがたい概念であった。まさに私は「メメント・モリ(死を想え)」な呼吸をしてきたのだったが、こうして「あの人物」の死には格別の悲哀が残ったのである。

 『赤毛のアン』では、私たち読者はアンの庇護者であるマシューを突然の発作で失ったし、パットやジュディばあやたちの住む銀の森屋敷は、なすすべもない壮絶な最期を迎えている。

その夜のうちに銀の森は、そのあらゆる思い出、あらゆる所有物とともに、灰となった!

/『パットお嬢さん』


 容赦ない死の手は、年齢を問わずに触れてゆく。アンを友とする誰もが見おぼえている、金髪碧眼の美少女、ルビー・ギリス。心まで美しいとは言えないにしても、彼女は牧歌的なアヴォンリーの住人であり、同類でなくとも、アンの友であることには変わりなかった。パイ家の娘たちのような、どうしようもないたぐいではない、あれほど美しくなければ目立つこともなかったルビーの高慢。モードは若いルビーが病を得て死に至るまでを、村に帰ってきたアンとの交流を通じて繊細に描いたのち、このように締めくくっている。


そして、軽快な足が踊り、輝く目が笑い、楽しげな舌がしゃべりまくっているあいだに、アヴォンリーの一つの魂に、無視することも避けることもできない呼出しが来た。

/『アンの愛情』


 天寿とされる年齢をまっとうしたのであれば、少なくても周囲は納得しただろう。若い魂が召される悲劇は、しかし、モードの周囲で実際に何度となく起こっている。いとこの死も、幼ななじみの死もしかり。インフルエンザやコレラなどの伝染病もあれば、事故も、戦争も、待ってはくれない。死は誰にとっても身近で、そして、人々は住み慣れた家で旅立つのが普通だった。エミリーの師、カーペンター先生は、モードの生涯の願いを代弁するかのように、死の床で静かに侍るエミリーに向けて語った。


「出て行くんだ──暁のむこうへ出ていくんだ。明けの明星を過ぎて。恐ろしいことだと思っていた。恐ろしくはない。おかしなことだね。これからの数分間に──ぼくがどんなにたくさん学ぶかを考えてごらん、エミリー。生きているだれよりも賢くなるんだ。いつでも知りたかったんだ──知りたかったんだ。察してるというだけじゃあ、いやだったんだ。」

/カーペンター先生『エミリーの求めるもの』


 死という体験の後、私たちの身体は、時代と風習によって方法は違えど、墓に入る。モードはトロントで亡くなったが、遺言どおり、故郷のキャヴェンディッシュで眠っている。そのことは、おそらくモード本人よりも、彼女を愛する人々にとって、救いであり安らぎである、と想う。

そこには、一途な魂がいまだに果樹園を、さ迷い続けているらしいエミリーも、眠っていた。しかし詩人にキスしたエディスは、一族と共にいなかった。彼女は遠い外国で亡くなり、異国の潮騒が彼女の墓にこだましている。

/『ストーリー・ガール』


 モードのヒロインたちは、古い墓地やその周囲を散策するという、懐かしい喜びを知っている。『虹の谷のアン』ではブライス家と仲の良いメレディス家の子供たちが墓地を遊び場にしているし、アン自身もシャーロットタウンでの女学生時代は、優雅な時代がかった墓地を好んでいた。マリゴールドの所属するレスリー一族ともなれば、春になると一家で墓地へお参りに行くという、日本のお彼岸を思わせる慣習すらある。

 土地に眠る人たちへの想い。その地に根を降ろしてきた一族の末裔である子どもたちは、まるで今も生きているかのように語られる何世代も前の先祖たちを記憶し、やがて自分もいつかはその列に加わることを知って育つ。そういう記憶の中には、自分に似た境遇の者もいれば、想像もつかない波乱の人生を生きた者もいる。命の連なりの長い輪に、自分という個人も組み込まれていると知っていれば、死も寄る辺ある変化となるだろう。作家の卵であるエミリーもまた、古い一族のひとりであった。
 
年を経た、古い墓がわたしをかこんで、静かな平和な空気がみちみちている−(中略)−わたしの家の男たち女たちがそこに眠っている。勝利者であった男たち女たち──敗北者だった男たち女たち──けれど彼らの勝利も敗北も今は同じである。わたしはそこでは元気も出なければ気も沈まない。刺も歓喜も同じように消えて行く。わたしは古くなった、赤い砂岩の墓標が好きだ。
 
/エミリー・スター『エミリーの求めるもの』


 死を取り巻く人々にも、モードは観察とユーモアの針を刺しておく。死と葬儀は別ものなのだとわかってはいるのだが、何せ、この世界で本当に面白いことは、誕生と結婚と死だけである、と苦言している作家だから、死にまつわる面白さを描いた場面も数多いのである。

しかし、いま、ミッチェル夫人は自分に対して満足しきっていた。フォー・ウィンズでこれ以上立派な喪服を持っている者はだれもいないからである。ミッチェル夫人のかさばった黒い服は膝まで縮緬だった。当時、人は徹底的に喪服を着た。

/『炉辺荘のアン』


 それにつけても、死を想うことと、あの島を想うことは、島を精神的な故郷とする者たちにとって、どこか似通った空気を漂わせてはいないだろうか。

‘あの遠い懐かしい海のほとりの島にいる人々’

/『丘の家のジェーン』

参考文献
2009年01月18日(日)


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Keika