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Montgomery Book

第7章 旅路の果て (1) 道
 モードは結婚後、牧師夫人として、家族とともにトロント周辺の牧師館を転々とした。単身赴任などという概念は無く(あったとしても義務感の強いモードは同行しただろう)、異動のたびに一家は引越さねばならなかった。『虹の谷のアン』で、アンの一家の隣人である牧師館の娘フェイスも、根無し草の苦労をかこっている。しかしついに1936年(61歳の夏)、夫の病気と退職を機に、モードは本当の意味での「わが家」を持つことができた。親代わりだった祖父母の家を後にしてから、ずっと願っていたマイホームを。

 プリンス・エドワード島に住んでいた娘時代のモードが、クリフトン村を通りがかるたびに懐かしく愛情をもってながめていた家がある。海に面した、小さな黄色がかった茶色の、誰も住まない家。後に「失望の家」として何度も作品に登場する家の原型がここにあるのかもしれない。また、アンの生まれたという家もどこかこの家に似ている。モードが生まれ、両親と暮らしたわずか2年間のわが家である。

 教会に与えられた牧師館ではなく、本当のわが家を持ちたいというモードの願いは切なるものだった。晩年にして、やっと安住の地を得たことのよろこび。疲れた足を降ろし、根を張ることができるのだ。その家に、モードは「旅路の果て荘」と名付ける。ここに暮らしたのは亡くなるまでの6年間とはいえ、自分の巣を持てた喜びは、日記や手紙にもたびたび記されている。

 この章では、モードの家の名「旅路の果て」を借りて、「道」をはじめ、作品に描かれた象徴的なモチーフに入り込んでみたい。それらの多くは自然のものである。あるいは自然のふところにあり、時の手で朽ちゆくものである。太陽というよりは月光の輝きを放ち、ときにネガティブととらえられなくもない。

 けれど、人生はまっすぐで歩きやすい道ばかりではないのだし、曲がりくねった道を好む者もいる。メインストリートだけでは、人は落ち着けない。曲がりくねった田舎道の静謐な空気を好む瞬間は、モードだけでなく、私たちの誰にでも訪れるだろう。アンのように、道の向こう側が見えないことにも、面白さや救いを期待しながら、モードの歩いた道を想像してみよう。

ここにも美しい道はあります──それに美しい風景も。でも、それらはプリンス・エドワード島の道や風景にしばしば見られる──そして、それがまさにその精髄なのですが──名状しがたい魅力を欠いているのです。

/L・M・モンゴメリ(『モンゴメリ書簡集1』)

 その名状しがたい魅力の幾分かは、あの島の赤い土の色によるのかもしれない。赤土の道が、生まれ育つ者の魂に焼き付けたラインは、生涯を通して消えることのない標となるのだろう。

ではどうしてこの島は、きりりとひきしまって見えるのか。青々とうねるエゾマツやモミの木のせいなのでしょうか。海や川のせいでしょうか。それとも、はりつめた潮風の音が…。

/L・M・モンゴメリ(『険しい道』)

 モードが自叙伝で問いかけている疑問に、かの島を訪れたことのない私がこう答えることは許されるだろうか。島を縦横に結ぶ赤土の道が、土地のコントラストをかたちづくり、緑をきわだたせているのではないだろうか。赤いラインは、私たちの内部の潮流、脈々とした流れにもたとえられ、実際、島の赤い大地は豊かな農地でもある。

 「道」は、モードの作品のあちこちにも敷かれている。「トーリー街道」のような地図に載る名前のある道も、主人公が名付けた道も、「道の曲り角」といった比喩的な意味においても。タイトルそのものに道を冠したものもある。ストーリー・ガールの少女時代を描いた『黄金の道』(The Golden Road)、アンの村を舞台にした短編集 The Road to Yesterday(『続アンの村の日々』)、自叙伝の『険しい道』(The Alpine Path)である。

 読者にとって、アンの歩いたアヴォンリーの「恋人の小径」(lover's lane)はおそらく最も馴染みがある道にちがいない。実在するという点においても。『赤毛のアン』によると、恋人の小径には、楓の木が枝をさしかわしており、アンとダイアナが学校に通う途中、本街道からそれた森の道である。モードの愛した道の多くは、森や野とともにあり、多くの樹木に守られた道でもあった。

昨日、恋人の小径へ散歩に出かけた。そこは私にとって世界じゅうでいちばんたいせつな場所。非常に大きな影響を永遠に私に及ぼすところ。たとえどんなに気分が滅入っていても、どんなに心が重く、魂が悩んでいても、その美しい静寂の中に一時間いると、私自身や世界とうまくやっていけるようになる。当惑と悲しみが薄らぎ、森の芳香が無限の平和の恵みのように私の乱れた心に降ってくる。

/L・M・モンゴメリ(『モンゴメリ日記3』)

 モードの分身であるエミリーは、幼い頃から、道というものを、哲学的な意味付けをもって眺めている。ニュー・ムーン農場の近くの小径を、「昨日の道」、「今日の道」、「明日の道」と名付けているのだ。今日の道は、のっぽのジョンのやぶを抜ける、小川のほとりの美しい小道。昨日の道は、切り株のなかを通っている。そして明日の道は、楓の木を植え付けた道、というふうに。

二人は明日の道のはずれに来ていた。前の方には波打つひな菊で真っ白な池の牧場がひろがっている。農夫はひな菊を有害な雑草として嫌うが、夏のたそがれどき、ひな菊で一色となった牧場は<失われた喜びの国>の光景を思わせる。

/『エミリーはのぼる』

 自叙伝の『険しい道』と同じように、作家への困難な道のりを、アルプスの道に例えたエミリー。
モードが子どもの頃、雑誌から切り抜いて人生の指針としていたのが、「リンドウによせる」という詩だった。はるかな険しい山頂に立ち、そこにささやかな女の名を記すべし、というものである。エミリーの書いた次のような決意も、その指針から生まれている。

わたしが一番願っていることは なにかしら。
アルプスの小径を頂までのぼり、その輝く巻物に
この賤が女の名をしるすことなのだ。

/エミリー・バード・スターの日記より(『エミリーはのぼる』)
参考文献
2003年09月23日(火)


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