# 徒然なるままにといいますか、まぁつらつらと
2002年07月23日(火)
時々判らなくなります。
私は本当に小説を書きたい人間だったのか、と。
いえね、文を書くことは大好きです。
でも、文を書くことが好きなんであって、物語を考えることが好きなのではないのではないだろうかと考える。その証拠に、私はストーリーというのを考えるのが大変苦手で面倒で嫌いだ。
私が何かの話を書きたいと思うとき、まず始まりは何かというと、あるシチュエーションだったり一つのセリフだったり、意味も前後の繋がりもないある場面や映像のようなイメージだったり…から始まる。
思いついたそれを「文章にしてみたいなぁ」とぼんやり考える。
でも、それだけを文章化しても何も意味を持たないし作品にもならないので、前後の流れやそれ思いついた「モノ」がそこにある意味を考える。
そうやって強引に物語らしき「流れ」を作ってみる。
でもそれは流れにしか過ぎず、曖昧で、骨組みとすら云い得ない。
だから、「書きたいなぁ」とぼんやり思ったその思いついた「モノ」を作品としての形にするのは、はっきりいって容易じゃない。面倒だ。

ようするに私はストーリーってのを考えるのが苦手なわけで。
書きたいストーリーを思いついて、それを書こうとする…というのだったらきっともっとはっきりした形を書いていくことも出来るんだろう。
でも私は書きたいと思ったとき、その作品の「形」が一切見えない。
ニ次元的な気がする。一面しか見えないから広がっていかないのだ、世界が。
そういう能力は欠如しているのかもしれない。

話は元に戻る。
私は小説を書きたかったのか。
それがよく判らない。
だいたい何故私が最初に物語というものを書いたのかといえば、頭の中で想像したもの、頭の中で創造した世界を形にするということに喜びを見出したからだったように思う。
その手段として身近だったのが物語を「書く」ことだった。
他にも表現方法はあったのだろうが、当時私が選んだのは「書く」ことだった。
このときこの手段を選んだから、今も私は書いている、というだけなのかもしれない。

と思う反面、やはり書くことは嫌いではなく。書くことで何かを表現するとが嫌いではなく。
ただ…時々…自分のしたいことと、自分のしていることと、自分の出来ること、のあまりの噛み合わなさに嫌気が差す。
何かを書いて、表面的には満足する。なんとなく上手く書けた気になる。
でも上手く書くって何。
胸の中にはいつも、言葉とか形には出来ない、理想がある。
それは成長すると共に…というか、歳を取るごとに、というか…変化してきていて、あの頃はこんなふうに書きたいと思っていた、あの頃は…と色々歴史があるのだけれど、今、現在私の胸にある理想のようなものは、あまりにも形がない。
言葉にしようがない。むしろ言葉に出来ないという点にポイントがあるのかもしれない。

なのに、私は小説が書けない。
理想ばかりあって、小説を書くことがままならない。


と考えたところで、ふと思う。ストーリーに固執するから書けないのだろう、と。
ストーリー性がなくてはとか読んで面白くなくてはとか、そういうふうに考えると途端に何も書けなくなるのだ。目的を間違えている。
…というか、「読んで面白いと思ってもらいたい」と考えて書いても別に構わないし、文とはそもそも誰かに読まれることを前提として書かれるものなのだから、そういう目的を持って書いたって別に間違えていることもない。
でも昔から私が道を踏み外して狂い始めるのは、いつもそう考え出した瞬間だ。
読み手に重きを置きすぎて自分を見失うのが常だった。
面白くない、と云われてしまうのを恐れて媚び始める。崩壊する。
……というかちょっとトラウマがあったりするだけなのだけど(笑)
読み手の期待を悪い意味で裏切ることを私は恐れる。いや、恐れていた。
今は、それほど動じなくなった。昔は大打撃で小説を一切書けない時期が二年ほど続いた。


昔は身近な友達に直接小説を読んでもらっていましたが、今そういう相手もいなくなったので、こうしてネットで小説を公開する形にしています。
今、こうしてサイトで小説を載せていて、メールなどで感想を時々戴きます。
それはものすごく嬉しい。ありがたい。自分の小説が、感想を送るという自発的な行為を起こす力を少しでも持つことに喜びを感じます。
読み捨てオッケイの世界なだけに。
時折まぁ「あらま」と思う感想を戴く時もあります。
あらま…お気に召さなかったのね…妙な小説に時間割かせてごめんなさいねぇ…とたいへんすまなく思います(笑)
特にドリーム小説は感想の比率が高いのですが、「また書いてください!」という内容のありがたい感想と「こんなもんかいてアホかいなオマエ」という内容の感想の両極端さがまた面白い。
ドリームに関しては私自身がその両極端な感想を抱いているので、前者の感想を戴けば、「おうよ!いつかネタが浮かんだら何か書くぜ!気長に待っておくんな!」と思うし、後者の感想を戴けば、「あっはっは!そうなのよ、アホなんだよ、アホで何が悪いよ、いいじゃんよ」と開き直って笑って終わるてなもんです。
大人になったのかなぁ…それとも単にひねくれただけかなぁ(笑)

書かなきゃいけない、という事態に置かれると書けなくなる。
こんなふうに書かなきゃいけない、と決めると余計書けなくなる。
書きたいと思ったものを書きたいように書けばいいんです。
それが、たとえお世辞にも面白いといえないものでも、ストーリー性なんて微塵もなくてつまらない話でも、ただの言葉の羅列になっても…
書きたいもの、書けるものを書くのが一番健康にいい。


長い。日記、このまま投稿するのやめようかと思ったが投稿してみる。

2001年07月23日(月) 『3千万ベリィの笑顔』制作秘話
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