ケイケイの映画日記
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2023年06月06日(火) 「怪物」


 

今年のカンヌ映画祭で、脚本賞(坂元裕二)受賞作。是枝作品は好きなのもあり、ダメなのもあり。一番好きなのはサスペンスタッチだった「三度目の殺人」です。今回も同様のようなので、期待して観てきました。事前にほぼ何も知らずに臨んだので、各々視点を変えての構成の巧みさに、ずっと緊張したままの鑑賞で、堪能させて貰いました。監督は是枝裕和。

郊外の静かな街に暮らす早織(安藤サクラ)と湊(黒川想也)。父は事故で亡くなり二人だけの家族です。学校に行きたがらない湊に異変を感じた早織は、息子に問いただすと、担任の保利(永山瑛太)に暴言を吐かれ、暴力を振るわれていると言います。学校に乗り込み校長(田中裕子)他、保利を含む教師に詰め寄る早織。しかし、この事件には、様々な陰の部分が隠されていました。

母・早織の視点、次に保利の視点、そして最後に子供たちと、段々と当初観ていた状況と異なる、様々なプロットの事実を明かしていきます。今回は考察めいた感想になるので、ネタバレです。



早織と校長(田中裕子)その他の教師たちとの話し合いの場面で、あまりにも精気がなく、心ここに有らずの校長に絶句。保利も奇矯な態度や失言で、不可思議な人だと印象付けますが、この校長の比じゃないです。誤って夫が孫を車で轢いてしまい、孫は死亡。その為だと早織の告げる教頭。これはね、いくら何でも酷過ぎる。事なかれの学校の姿勢は、私も昔の子育て中に幾度か見知っていますが、それでもこの校長は無いです。同情すべき事情ですが、ちゃんと仕事出来ないなら、復帰すべきじゃない。「校長、学校が大好きだもの」の、他の先生のセリフがありましたが、だから早めに復帰したと言いたいのか。いやいや、好きとか嫌いとかではなく、仕事舐めてんのか、あんた?くらい酷い。最後まで観て、これも伏線だったのかもと思います。

案の定、状況は改善せず、また早織は学校へ足を運ぶ。こういう時二回目は父の出る幕です。しかし早織はシングルマザー。でも他の方法は取れるはず。埒が明かない時の手順は、PTA学年代表→PTA会長とか、色々あります。一人で行くのは得策じゃないなとは、思いました。もちろんもう一度独りで学校へ乗り込むも有りですが、早織はママ友もおり、クリーニング店勤務という地域に根を生やした暮しをしているので、母親としての身の施し方は知っているはず。それなのに、モンペとは思いませんが、母としての聡明さには欠ける印象です。しかしのちに語られる湊の言葉で、どうして早織が賢く立ち回れないのか、感情に突き動かされるのか、解かる気がしました。

次は保利の視点。早織の視点からの出来事が明かされ、結論として早織の誤解で、保利は湊を虐待してはいません。しかし、保利の視点では湊は依里(柊木陽太)を虐めており、湊に問題行動ありと思っている。なので保利の中では、言い掛かりをつける早織は、自分の子供を知らないモンペ扱いなのです。それが話し合いの時の態度に出たのでしょう。児童の事は教師として案じており、私は悪い先生ではないと思いました。恋人(高畑充希)もおり、そこそこ順調な人生のよう。しかし雑誌の誤植を見つけては、発行元にクレームするなど、歪な面があります。他にも避妊具なしのセックスを強要したり、自分勝手な面もある。必要もないのに、子供たちのウケを狙って外したり、子供たちを見つめるより、自分がどう子供たちに思われるのかが、優先しているように感じます。そして何より不可解なのは、それなりに良い先生なのに、子供たちに悪意のある嘘を付かれたのか?でした。

うつうつ閉塞的な画面が、子供二人の視点になると、俄然輝き出します。ホント、是枝は子供に演じさせては、魔術師のようだわ。いったいどんな術を使っているのかしら?

依里は確かに虐められていました。湊以外の男子です。小柄で愛らしい容姿。仲良くしているのは女子ばかりの依里。「異物」として、特定の男子から標的にさえていました。それを知りながら、他の子供たちも大人には言えない。自分が次の標的になるかも知れない不安ではないでしょう。女子たちは、依里を庇っていました。依里が女の子になりたい男子、男の子が好きな男の子、ではないかと、感じ取っていたんじゃないか?クラスメートの口からは言えない、繊細な事だと、級友たちは思っていたのではないかな?

依里の父親(中村獅童)は、多分アルコール依存。依里の性癖を知っていて、その事を「あいつは怪物だ」と言う。「普通にしなければ」と、息子を折檻する。母親が出て行った家庭では、依里はなす術もなく、虐待されるだけです。「僕が普通になったら、お母さん帰ってくるんだって」。違うよ、多分違う。依里のお母さんは、アル中で多分DVもあった夫が嫌になったんだよ。自分の家庭を他人事のように話す依里を観て、泣きたくなりました。

苛立ちの矛先が、担任の保利に向かっていたと思います。二人だけではない、他の子供たちの嘘も、何故解ってくれないのか?との想いかと感じます。横文字で読ます作文は、二人の叫びが書いてあったと想像しました。真意を汲み取ったから、保利は「先生が悪かった!」と言ったんじゃないかなぁ。

湊の父親は、浮気相手と旅行中に事故死。早織は湊には一言も憎悪を漏らさず、命日ではなく、亡き夫の誕生日まで祝う。「お父さんのような男の人になってね」。「シークレット・サンシャイン」のチョン・ドヨンみたいだと思いました。本当に愛されていたのは私たち。それを証明するのは、湊を立派に育てる事だと、多分信念のようになっている。保利がビル火災時に、その近所を恋人と歩いていただけで、ビルの中のキャバクラに居たと噂が広がる、口さがない土地柄。同情から早織を見守るだけではなく、面白半分に見る人もいるはずです。早織はそれを知っている。学校での冷静さを欠く態度も、ここからきているのでしょう。

依里と親しくなっても、「他の子がいる時は話しかけないで」と依里に告げる湊。依里に友情以上の感情を抱いている自分に戸惑っている。それが情緒不安定な態度に出ているのです。もちろん、母には見当が付かない。湊も知られてはいけないと思っている。「夢でお父さんが、お母さんに感謝してるって言ってたよ」と、優しい嘘を付ける子です。この感情は、母の期待を裏切ると知っている。

あれこれ騒動の本当の顛末を回収していくと共に描かれる、森の中の廃車した電車の中での、二人きりの遊び。素直で子供らしく、少しセクシャルな様子も瑞々しい。その楽し気な様子こそ、本来のこの子たちの姿なのでしょう。

自分は保利について、嘘を付いたと校長に告白する湊。「そう、先生と同じね」と言う校長。それは孫を轢いたのは夫ではなく、校長だとの噂の真相だと思います。ここからの田中裕子の演技が、本当に気持ち悪い(褒めてます)。
このシーンやプロットを褒めている人が多いのですが、私はずっと怒っていました。極めつけは「普通に手に入らないのなら、幸せじゃない」。意味が解りません。幸せは頑張って手に入れるものです。普通にしていて、向こうから転がってくるもんじゃない。

この人は「学校が好き」なのであって、「児童が好き」なのではない。教育者として失格だと断言したい。保利が濡れ衣だと知りながら、「あなたが学校を守るのよ」と、辞めさせる。守ったのは醜聞からで、子供たちの心ではない。最初の話し合いの時、きちんと保利から事情を聴き、早織の話にもっと心を向けたら、また違った結末だったのにと、残念でなりません。CMにも使われている、「怪物だーれだ?」の言葉。人が誰でも「怪物」になり得るとの解釈が多いようですが、私は怪物はこの校長だと思います。彼女以外、誰一人、この作品に怪物なんかいない。

ラストは、明るい陽光に向かって走る湊と依里の姿で終わります。色んな解釈があると思いますが、私は二人は死んだのだと思う。早織と保利が二人を探し当てたのは、嵐の夜です。何度も出てくる生まれ変わりの話。今の状況が、それほど辛かったのでしょう。「生まれ変わったのかな?」という依里の言葉に対し、「同じだよ」と答える湊。死んで生まれ変わる事はない。だから死を思い止まって欲しいという、作り手の願いのような気がします。

私は女子校育ちで、中学当時は運動部の先輩など、ファンクラブめいたものがありました。フランス人形のように綺麗な子に、恋に似た感情を抱く子もいましたが、高校に上がって、ほぼそういう有様は消滅。女子に限らずローティーンの時は、恋する対象が曖昧な子も、珍しくはないと思います。LGBT教育は、小学校から始まっている学校もあるそうですが、今後は必須科目なのかと感じています。でもまず、大人からアップデートしなくては。

教師としての自分の失態を思い知り、嘘をついて辞職迄追い込んだはずの湊に、「先生が悪かった!」と叫んだ保利先生が、私は眩しかったです。全ての子供たちが、心身ともに健康的な毎日が送れるよう、心から祈りたくなる作品です。


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