ケイケイの映画日記
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2021年06月09日(水) 「明日の食卓」




もう泣いた泣いた。10歳の石橋ユウを育てる三人の母全てに、自分の昔の子育ての情景が、走馬灯のように蘇り、三人まとめて抱きしめたくなりました。暗いと言う評価が多いですが、子育てに苦悩する母親の有りのままを描いて、私的に100点満点の作品です。監督は瀬々敬久。

神奈川県に住むフリーライターの43歳の石橋留美子(菅野美穂)。やんちゃ坊主の小学生の男子二人と夫の四人家族です。自ら鬼母と称したブログが好評で、出版化も検討されています。夫は子育てと家事には非協力で、育児に疲弊している折り、夫が失業します。静岡に住む36歳の石橋あすみは、夫の実家の敷地に家を建て、専業主婦です。姑(真行寺君枝)の存在が気掛かりですが、息子は学校の成績も行儀も良い自慢の息子です。しかし、その息子が苛めをしていると疑われ、不安が募ります。大阪の30歳のシングルマザーの石橋加奈(高畑充希)。夫を女が出来、離婚。コンビニとクリーニング工場を掛け持ちし、心身共に疲れ果てていますが、息子の笑顔を心の拠り所に頑張っています。しかし、無情にもクリーニング工場からリストラされ、途方に暮れてしまいます。

とにかく細かい演出が上手くて、唸りました。留美子が朝起きると、ズラッとシンクに置かれた食器やコップ。寝る前に洗っておいたのに、また食器が溜まっている様子は、私も朝から激怒でした。言っても言っても直らないのは、本当にどうしてなんだろう?これだけで一から十まで主婦の留美子の肩に、家事が圧し掛かっているのが解る。

家が駅から離れているので、あすみは夫(大東駿介)の駅までの送迎をしています。夫の勤務地は東京。なのに朝から盛りだくさんの食卓。そして遅い帰宅なのでしょう、夫のお茶漬けには副菜もつけて、お茶漬け海苔ではなく、塩鮭を焼いている。主婦と言うのは、決まった時間にあれこれしなくちゃ行けない。それが深夜や早朝にあっては、一日がどれ程長いか、主婦以外の人は考えた事があるかな?専業主婦であるからこそ、完璧に家事や家族の世話しなくてはと呪縛されている彼女が、観ていてとても辛いです。

加奈の家はプロパンガスが並ぶ東大阪市の府営住宅。息子には笑顔だけを見せるのは、疲れた顔を見せると、際限が無くなるから。そして笑顔を見せる事で、息子に引け目を感じさせたくないと思い込んでいる。

留美子はお兄ちゃんのユウにはストレスをぶつけて八つ当たりし過ぎ。そして次男の躾が甘い(これは有り勝ち)。あすみも、実家同士の格差に卑屈になる必要はないし、夫や姑(真行寺君枝)に対して息子がどう見えるかばかり気になり、表の息子の顔しか見抜けない。加奈も、母一人子一人、親として気張るだけではなく、息子の成長を喜び、本音で向かい合うべきです。

でもね、これは私が彼女たちの母親と同世代で、過ぎ去りし日々を噛み締めながら観ているから、彼女たちの未熟さが解る。いっぱいいっぱいなんだよ、このお母さんたちは。自分に何が足らないか、何が過剰なのか、当事者は解らなくて当然なんだよ。

では誰が助言するのか?夫です。しかしこの夫どもが(怒)。妻が家庭を守っている事に胡坐をかいて、問題が起きても家庭と向き合おうともしない。劇中一度も感謝の言葉もない。加奈に至っては、養育費どころか、あれは元夫の借金を肩代わりしていたのではないか?私が現役で子育てをしていた頃と、子育てを取り巻く状況はほぼ変わっていない。この風景が今描かれることに、震撼しました。

しかしこの作品は、一縷の望みも描いています。失業のやるせなさを妻子に八つ当たりする留美子の夫は、果ては暴力まで振るう。息子を庇いながら、「顔も見たくない!出て行って!」と叫ぶ留美子に「今」を感じ、良く言った!と絶叫しそうになりました.
私の頃は、子供には父親が必要、夫が悪くても我慢して,
夫を立ててと言われた時代を生きた、辛い気持ちが溶けていくようでした。

あすみの夫は、妻子より姑優先の人です。これは私の夫もそうです。自分の実家はおろか、何なら妻子より友人知人を優先されました(今でも恨んでるよ)。夫、父と言うだけで、そんなに偉いのか?実家が一番だったあすみの夫は、自分の母親の奇行の原因を見過ごし、涙ながらに「母さん、ごめんな」と謝ります。これは結婚しても、妻子を一番に出来ない男は、どちらにも中途半端だと言う事です。

彼らは会心したと思いたい。夫を支えているのが妻なら、妻を支えるのも夫だから。子育てのパートナーである父親には、しっかり家庭に向き合って欲しいから。

夫のいない加奈が苦境の時助けてくれたのは、実の母(烏丸せつこ)。同じく貧困に喘ぎ、彼女が子供の頃は決して良き母ではなかったでしょう。でもあの通帳は、娘への母のありったけの愛です。

四番目の石橋ユウの母(大島優子)の吐露に、留美子は、あれは私だったかも知れないと思う。私も同じことを思いました。四人とも、身体のどこを切り取っても、子供への愛が迸る、そんな普通のお母さんたち。思春期の入り口に立った、難しい年頃の息子たちへ、あなたを愛している、あなたがいない生活は、お母さんには考えられないとぶつかり合い和解する様子に、また号泣しました。

私が長男を産んで直ぐの時、この子は昨日今日私の元に来たのに、どうして私の人生の最初から居たような感情に包まれるのかが、自分で不思議でした。子供を生き甲斐にするのは駄目ですが、私は子育てを生き甲斐にするのは、良い事だと思っている。子育てなら、何時か終わりが来るから。この作品を観て、子育ての終わった私たち世代が、温かく現役のお母さんたちを見守ってあげなくちゃと、痛感しました。女性たちが、まだまだ悪しき呪縛や洗脳で苦しんでいるのなら、そこから解くのも私たち世代。私も出来る事がいっぱいありそうです。


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