ケイケイの映画日記
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2018年05月16日(水) 「孤狼の血」




広島が舞台の東映のやくざ映画。と言う事で、往年の「仁義なき戦い」や「県警対組織暴力」を懐かしんでか、劇場は男性ファンでいっぱい。暴力場面は凄惨で汚いし血みどろですが、作りはオーソドックス。二時間少し、飽きずに楽しめました。監督は白石和彌。

昭和の終焉が目前の63年の広島の地方都市・呉原。長年地場を取り仕切る暴力団尾谷組と、広島の巨大組織五十子会をバックにする新興勢力の暴力団・加古村組が、丁々発止の睨み合っていました。呉原東署の赴任してきたキャリア組の新人刑事日岡(松阪桃李)は、辣腕だが黒い噂の堪えないベテラン刑事大上(役所広司)と組まされます。折りしも加古村組系列の金融会社の経理担当者上早(駿河学)が行方不明となり、二人は捜査することになります。

のっけから排泄物まみれの豚舎が出てきてびっくり。そこで容赦ない拷問が始まります。同じ映画でも絵空事に近いスプラッタ系は、これ以上に血まみれですが、リアル感に乏しいので、それほど痛みは感じないんですが、やくざ映画は日常散見する事に程々に想像力が働くので、観ていてとっても痛い。そして吐き気を催すくらい、汚い。以降暴力シーンは、山盛りこんな感じです。

尾谷組にから賄賂を取り、一見癒着を思わせる大上。一方正義感の強い正統派刑事日岡も、実は捜査とは別の任務を背負っていました。前半は時代背景も相まってか、回顧ムード満載で、これはこれで楽しめした。後半からは、大上の裏の裏の顔とも言うべき、彼自身が浮かび上がる趣向で、それが進むに連れて、若い日岡の成長物語にもなっています。

「やくざは生かさず殺さず、手なずけるのが大切」的な大上の言葉が、のちのち誰の為に向けられて言葉かと言うのが、解ります。そして、大上に絡む人々たちが言う、「自分たちは大上の駒」と言う台詞。駒にも白い駒黒い駒、グレーの駒、色々あるでしょう。自分たちは駒だと認識している人は白い駒で、極道以上に大上と繋がっていたのでは?そしてやくざはみんな黒い駒。所詮やくざはやくざだと、画面から聞こえる。「堅気を殺ったら、タダでは済まんぞ」と言う台詞は、のちのちの展開には重要だったんだと、後で気が付きます。

しかし駒と言えば、大上だってそう。主任が彼を放し飼いにしていたのは、理解者だったのではなく、その方が自分たちの仕事が、し易かったんじゃないでしょうか?大上だけではなく、現場のノンキャリアの刑事たちは、自分たちはキャリア組の駒だと言う悲哀を、日々たっぷり感じていたはず。それがラストに向けての団結に繋がったのでしょう。

役所広司は、私はこの手の役の彼には正直あまり興味なく、もっと芸術的な演技の時の方が好き。それでも好演だったのは認めます。松阪桃李は、すんごく良かった!正義が何かと問われ、答案用紙の模範解答のような返答しか出来なかった彼が、軽蔑していた大上に惹かれ、敬意を持ち始めるまでの様子を、とても素直に、一生懸命演じています。

他に良かったのは、真木よう子とピエール瀧。真木よう子は、「極道の女」的作品がまた作られたら、主演は彼女がいいな。安っぽい色気を振りまくクラブのママと言う表の顔と、鉄火肌で一途な本当の顔とを、上手に演じ分けていました。恐妻家の右翼を演じたピエール瀧は、強面の顔とは裏腹の、繊細な思考に長けた男の役を好演。もうすっかり性格俳優だなぁ。

その他、チラチラ顔を見た事がある程度の脇役さんたちが、昭和の香りたっぷりにチンピラを演じて、○の演技。竹之内豊、江口洋介のビッグネームたちの初やくざ役は、男前をわざと不潔感たっぷりに変貌させての竹之内豊はぼちぼちです。江口洋介はラスト近くはカッコ良かったですが、全然普段の「江口洋介」で、別段何も感じなかったです。この役、椎名桔平だったらなぁ、とずっと思って観ていましたが、もしかしたら、「アウトレイジ」に出ていたから、外されたかしら?まぁしかし、男優って言うのは、やくざの役をやると、みんな楽しそうね(笑)。

滝藤憲一が日岡の上司役で出てきて、のらくらと日岡に対応する様子にピンと来て、だめじゃん、筋がばればれでと、思いましたが、いやいや解り易く筋をばらしてんだよ、と途中で思い直しました。そうしないと、繋がりが悪いもの。そのためのチキンな役柄の多い、滝藤のキャスティングだったと思います。

ずっとどこかで観たような風景が繰り広げられますが、懐古趣味とかパクリではなく、先達への敬意が感じられ、これがオマージュってもんよねと、一人納得。唯一先達と違うのは、この作品の鑑賞後、肩で風切って歩きたい人はいないと思います。そこは時代を反映した作りなのでしょう。大上の後を、自分なりに継いでいこうと決意した日岡のその後を、観たい気がします。



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