ケイケイの映画日記
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2016年10月30日(日) 「手紙は憶えている」

久々のアトム・エゴヤン監督作品。エゴヤンは割と好きな監督さんなのですが、あんまり好きじゃない劇場での公開が続いたせいで、パスが続いていました。この作品のチラシには「ラスト5分云々」と書いてあり、これはもう、映画好きには致命的なキャッチコピーです。内容も現在ヒットメーカーになった監督のデビュー作に、酷似した部分もあります。それでも観て良かったと思えたのは、ナチス・認知症など、社会派を思わす巧みなサスペンスの中に、「記憶」の本質とは何か?と、私に想起させてくれた事です。秀作です。

認知症で老人施設に暮らす、90歳のアウシュビッツからの生還者ゼヴ(クリストファー・プラマー)。一週間前に最愛の妻が亡くなった事も忘れがちです。同じ施設に暮らすマックス(マーティン・ランドー)も同じアウシュビッツからの生還者で、ここで再会しました。まだ記憶に鮮明なマックスは、自分たちの家族を殺した看守オットー・ヴァリシュが、現在ルディ・コマンダーと名を変え、のうのうと暮らしていると言います。自分たちが生きている間に、オットー(ルディ)を殺そうと話がまとまります。マックスは記憶の途切れがちなゼヴのため、手紙に計画と記憶の詳細を書き、渡します。その手紙を持ったゼヴは、一人施設を抜け出し、四人のルディ・コマンダーの中、「本物のルディ・コマンダー」を探す旅に出ます。

ロードムービーの趣もある中、老体で認知症のゼヴは、曖昧な記憶、そして疲労から、常に肩で息をする様子など、いつ倒れるかとハラハラさせます。そして父を必死で探すゼヴの息子の痛ましい姿にも、辛い気持ちになります。

別人である三人のルディ・コマンダー。一人は元軍人、もう一人も属する人でした。二人ともアウシュヴィッツには赴任せず、当時一人は18歳、一人はまだ10歳。この年齢の差が、戦後ナチスに対しての思いに、明暗を分けます。
18歳は、軍人として行動や、当時の誤った愛国心を悔やんでおり、今はひっそりと暮らしています。

まだ社会的に思考が定まらない時に経験した10歳の子供の目に映るナチスの世界。軍服のカッコよさや、お小遣いも貰ったでしょう、派手な羽振りの良さが記憶に焼き付いていてる。その後もアイドル的にヒトラーを信奉する姿は、現在の自分の不遇をナチスを信奉する事で、発散してるのでしょう。現在の所謂ネオナチに通じるものがあると感じます。本当の事実を知らない、観ていないから、信奉出来るのです。

記憶が無くなるのは、辛い事です。でもマックスのように、体の自由が利かないのに、しっかり記憶が残る事は、凄惨な記憶のある人には、もっと辛い事のように思いました。マックスも普段は封印していたはずの、その記憶。しかし残酷な偶然が、その扉を開けてしまう。人は喜怒哀楽の記憶の積み重ねで、感情の豊かさが違ってくると聞いた事があります。記憶とは、人生を左右するものだとも感じます。

今作のプラマーの渾身の演技は、出色でした。銃で「ルディ」を脅すシーンなど、ヨタヨタした様子が普通なら滑稽に映るはずが、彼の迫真の演技は、老いの哀しさが満ちており、残り少ない生を使い切りたい執念を感じます。私はプラマーと同世代の俳優では、マックス・フォン・シドーが大好きなので、シドーだったらもっと嬉しかったかも?と観る前は思っていましたが、プラマーの俳優魂を観て、とても感銘を受けました。

私がプラマーを初めて見たのは、「サウンド・オブ・ミュージック」リバイバル時の、トラップ大佐役。当時中学生で、押し出しのきくハンサムだけど、近寄り難い威厳が少し怖く、そんなに好みの人ではありませんでした。それがマイケル・ファスベンダーを見た時、プラマーにそっくりだと感じて、あれは子供だったから、プラマーの魅力がわからなかったんだと痛感。今なら追いかけるのにね(笑)。




過去の男を追いかけ、過去から来た男に苦しめられるゼヴ。その苦しみは、老若の人に深い感慨を齎すはずの作品です。オチは予想出来るわ、と言う映画好きさんにも、お勧めです。




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