ケイケイの映画日記
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2016年07月25日(月) 「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」




映画ファンなら名の知れた脚本家のダルトン・トランボ。その名前は、ハリウッドの黒歴史である赤狩りと共に、記憶されているはず。個人的には、ざっくりとしか知らなかった赤狩りの顛末を、この作品でしっかり理解しました。ハリウッドの歴史ものとして、ホームドラマとして、そして反骨心に満ちた生涯を送った男の不屈のお話として、多角的に観る事が出来る作品。重厚な作りながら、洒脱なユーモアにも溢れ、私的には傑作と言っていい作品だと思います。監督はジェイ・ローチ。今回はトランボに敬意を表して、脚本のジョン・マクマナラの名前も記したいと思います。

売れっ子脚本家のダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)。良妻賢母の妻クレオ(ダイアン・レイン)と三人の子にも恵まれ、順風満帆の日々です。トランボは共産主義思想の持ち主でしたが、米ソ冷戦の時代の赤狩りはハリウッドにも矛先を向けられます。公聴会に呼ばれた彼を含む10人の映画人は、公聴会での証言を拒んだために議会侮辱罪で収監。一年の刑に処されます。出所後はブラックリストに名の載った彼に仕事はなく、妻子を養うため、トランボは偽名で脚本を書きまくります。

トランボ及び仲間たちは、共産思想は啓蒙していますが、国の転覆を図ったり、ソ連のスパイなどではありません。有体に言えば「思想犯」。何の罪も冒してはいないのに、侮辱罪でのムショ行きは、お灸をすえる意味と、これ以上共産思想に民が被れないためでしょう。それだけ当時の映画とは、今以上人々に影響を与えるものだったのですね。

屈辱的な身体検査、労役を経ても、どっこいトランボは元気いっぱい。一向にへこたれない。殺人犯の黒人と組まされるも、彼から自分の価値観が間違っていたことも教えて貰います。この黒人は、とある人物が公聴会でトランボたちを裏切り、寝返るのを見て、「ムショなら処刑だと」と、苦々しく言います。彼はアカが大嫌い。でもそれはそれ、これはこれ。「尊重」の意味を、当時のお偉いさんたちより、よっぽど知っているのです。

出所後、完全にハリウッドから干されたトランボは、「ローマの休日」のように、友人の名前で書くのではなく、全くの偽名でB級専門のキングスブラザーズに脚本を売り込みます。書いて書いて書きまくる日々。それも複数。電話を何台も用意し、口述係、清書係、郵便係と、家族一丸となってのファミリー・ビジネス。寝る暇さえなく、浴室にタイプを持ち込み、アンフェタミン(覚醒剤)を飲みながらの執筆です。時間の全てをトランボに捧げる事に、家族は疲弊し怒ります。何故そんなに書くのか?トランボは「家族の奴隷だ」(経済的な意味)と言い、家族はトランボの奴隷だと思っている。私は両方ともトランボの「才能の奴隷」だと思いました。

名乗る事も出来ず、書く脚本は低俗と言われるB級映画専門。それも格安で。しかしそれでも突かれたように書く事で、自分の自意識を保っているように思えました。夫と家族をそこから救ったのは、賢妻のクレオ。話し合いを早々に切り上げようとする夫に、「これは議論じゃないわ。ケンカよ」。往年の和田誠の著作「お楽しみはこれからだ」だったら、絶対取り上げたセリフですよ。セリフとは、どの場面で誰が言ったか、それで言霊が全然違うものです。

長女ニコラ(エル・ファニング)との和解する場面が麗しい。ニコラは子供の中で一番父親似。高校生ながら黒人解放運動に携わっています。「パパを嫌いになりたくない」。妻子はお金のため、不承不承トランボに付き合っていたのではありません。家族もまた、トランボと共に世間を相手に戦っていたのです。それをやっと理解するトランボ。

当時のハリウッドのお歴々が、実名でわんさか登場するのも、興味深いです。タカ派で知られたジョン・ウェインが、戦場に行ったことがないのは、今回初めて知りました。好戦派は何だか納得です。キングス・ブラザーズ社長(ジョン・グッドマン)が、トランボに脚本を書かせるなら、圧力をかけると言う輩に、バッドを振り回し応戦したのが痛快でした。「新聞に書くなら書け!うちの客は字なんか読めねぇ!俺は女と金のために働いてんだ!」には、大笑い。豪快で超俗っぽい社長をグッドマンがやると、とても愛嬌たっぷりです。

カーク・ダグラスがあんなに男気ある人だとは、感激しちゃった。彼のお蔭でトランボは、長年の偽名で書く事に終止符を打ちます。オットー・プレミンジャーも加勢しますが、彼がドイツ人だと言うのも大きかったかも。個人的には、プレミンジャーの描き方がツボで。本当にあんな強引でお茶目なサディストだったのかしら?(笑)。

思想だけで取り締まる赤狩りは、人権蹂躙も甚だしいもの。その終焉を、トランボの書いた「スパルタカス」鑑賞後の、大統領ケネディの「良かったよ。きっとヒットする」で表現するなんて、何て心憎い。常に着飾り、赤狩りの先頭で旗を振っていたコラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)の、老いた素顔との対照が、とても印象深い。新しい時代の幕開けを感じさせました。

それから数年後、SWGで功労賞を受け取るトランボ。妻子への感謝と共に、敵味方の垣根を取り払い、時代の波に翻弄された者同士として、許し合おうと言う。この恩讐を超えた、慈愛深いスピーチに、感銘を受けない人はいないでしょう。自分を名乗れない不自由さと屈辱。映画ではトランボの不屈ぶりを主に描いていましたが、その陰の心労や屈託はいかばかりであったかを、本物のトランボの映像で、末娘への愛として語らせる挿入が、素晴らしい。

クランストンは、最初年齢が行き過ぎではないかと思いましたが、トランボの器の大きさと貫録を表現するには、彼しかいないのではないかと思えるくらいの好演。私の大好きなダイアン・レインも、「影の大黒柱」とも言える良妻賢母ぶりを、温かく好演。この妻なくば、ハリウッドは今のハリウッドじゃなかったかも知れないです。

トランボが生涯たった一度監督した映画は、「ジョニーは戦場に行った」です。公開当時私はまだ子供で、一人では怖くて映画館へは行けなくて、仕方なく小説の方を先に読みました。それが初めてのトランボとの出会いです。何故今トランボの生涯なのか?世界中が少しずつ右翼化しつつある感がある今、万が一自由が奪われ、言われのない罪をかぶせられたら?私はこの作品を思い出し、自分を奮い立たせたいと思います。この作品は過去に学び、現在を生きるための作品です。だから、あの慈愛深いスピーチが大切なのです。メトロの社長は、トランボの作品を評して言いました。「君の作品はラストに希望がある」と。


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