ケイケイの映画日記
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2014年03月20日(木) 「あなたを抱きしめる日まで」




50年前に別れた息子を探し当てる、王道の母ものだと思って、大判のハンカチを握りしめて劇場に向かいました(多分大泣きするはずだから)。しかし展開は意外な方向へ。人身売買や宗教にも深く言及し、世話物と言うより、母の愛でくるまれた、立派な社会派ドラマでした。監督はスティーブン・フリアーズ。実在の女性フィロミナ・リーの出来事を書いた、ジャーナリストのマーティン・シックススミスの著書が原作です。

50年前、未婚で息子アンソニーを生んだ主婦フィロミナ(ジュディ・デンチ)。50年間隠し続けていた事実を、やっとの思いで娘に打ち明けます。若きフィロミナは修道院に入れられ、そこでアンソニーを出産。修道院には同じ境遇の娘たちがたくさんおり、彼女たちは、ただ働き同然で重労働を課せられていました。アンソニーが3歳の時、修道院はアンソニーを養子に出してしまったのです。母の意を汲んだ娘は、パーティーで知り合ったジャーナリスト、マーティン(スティーブ・クーガン、脚本も)に、アンソニー探しを懇願する。折しもマーティンは、あらぬ疑いをかけられ、BBCをクビになったばかり。このネタを記事にする事に起死回生を賭けて、アンソニー探しを承諾します。

てっきりマグダレン修道院だと思っていたら、別の修道院でした。「マグダレンの祈り」よりはましに見えるものの、実際は50歩100歩だったでしょうね。こんな修道院が他にもたくさんあったのでしょうか?神の名の元、罪を犯したとされた娘たちは、過酷な労働に耐え、一日に一時間だけ子供たちに会えるを生き甲斐にしています。走って我が子に会いに行く若い母たちの様子に、はや私の涙腺は決壊。子供を抱きしめキスする様子、アンソニーが里親に連れ去られるシーンなど、もう大号泣でした。

しかしその後、デンチ登場からはフリアーズの「泣かせ」の演出は抑制的です。今思えば、壮絶な苦しみを受け止め、乗り越えてきた50年のフィロミナの歳月を表していたのでしょう。

フィロミナとマーティンの道行の様子がユーモラス。庶民的で下世話、敬虔なカトリック信者のおばちゃんのフィロミナに対し、マーティンは中産階級のインテリ記者で無神論者。老齢のフィロミナに対して表面的には敬意は表するものの、常に上から目線で、下賎な者と見下しています。しかし嫌味な感じはなく、天真爛漫なフィロミナに対し、手を焼くマーティンと言う図式が楽しいです。

アンソニーはアメリカに養子に出されているのですが、当時赤ちゃんたちが売られていた事。その事実を修道院は伏せていました。「マグダレンの祈り」の時もそうでしたが、神の名を語り蛮行を働く「神の使い」=「人間」に、怒りが湧きます。

マーティンの所在は意外に早くわかるのですが、それ以降がミステリー調に真実に向かって歩みだします。この真実を探る道中でフィロミナとマーティンの間柄は、近づいたりすれ違ったり。彼女に手を焼いてしたはずのマーティンが、やがて自分の母のように彼女を心配し、最後には親しみを込めて敬愛する様子は、ひとえにフィロミナの息子を思う気持ちが、そうさせたのです。この辺はとても素直に納得させてくれる作りです。

お話は当時の共和党政権の問題点、宗教観にも深く言及。一度罪を犯したフィロミナは、永遠に赦されないのか?キリスト教の七つの大罪とは、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。どんな宗教にも教義はありますが、私が個人的に思うには、その幹は一緒なのに、人により枝葉を違って見ているのではないか?という事。人により解釈が異なるように思うのです。シスターヒルデガートは、女として快楽を知り、母となる喜びを知った多くの若い女性たちを指導する時、そこに嫉妬はなかったのか?それを自分に都合よく解釈して、真実の自分の心に向かう事はなかったのでしょう。

対するフィロミナは、赦すと言います。釈然としないマーティンに、「怒るより赦す人生の方が良い」と言い切ります。辛い時苦しい時、彼女はいつも「赦す」と言う選択をしてきのでしょう。何故赦せるのか?それは神を信じていたから。生きるよすがだったのでしょう。自分に与えられたものとして、受け止めてきたのだと思います。知識の薄い、下層階級の老婦人であるフィロミナの強靭な心に、これが宗教の真髄なのかと、感じ入りました。

対するマーティンは「自分は赦せない」と言います。ちなみに私も同意見。それでもフィロミナの意見を尊重するマーティンに成長させたのは、神でも宗教でもなく、彼女の母性だったと思います。

オスカーは逃しましたが、やっぱりデンチはすごい。今回はクセのない本当に善良な普通のおばちゃんです。普通の人ほど、演じるのは難しいはずなのに、本当にチャーミングです。可愛いだけではない、母の子を思う愛情の深さと強さは、何よりも尊い。私もそうでなければと、改めて心に誓いました。クーガンは皮肉屋のインテリからの変遷を、スマートに演じていて素敵でした。小さなマリア像の扱いと、ラストの「その小説の筋を教えて」の車の中の会話のお茶目さが、壮大に流れそうになる感覚を、身近な等身大の物語として引き戻し、観客の人生とリンクさせてくれます。

私が一番感じたのは、息子三人を成人するまで我が手で育てられた、その平凡な事に、心から感謝した事です。社会派の側面や宗教の教義まで上手に折込ながら、でも世の中で最強なのは母の愛だよと、胸を張りたくなる作品です。


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