ケイケイの映画日記
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2013年01月24日(木) 「愛について ある土曜日の面会室」




23日に観て、ずっとこの作品の事を考えています。三つの事柄が同時に進行して、ある土曜日の面会室で重なり合う内容です。三つのうち一つはとても納得でき、もう一つも居心地は悪いなりに咀嚼出来そう。もう一つは疑問がたくさんで、何だこの人たちは!と、普通は怒りたくなるはずが、追いかけて彼らの気持ちを理解したくなるのです。私なりの解釈ですが、若干28歳のレア・フェネール監督は、かなりの大物だと思います。

アルジェリアに住むゾラの元に、フランスにいる息子が死んだと知らせが入ります。殺した相手は息子の同性愛の恋人。事の真相を知りたいゾラは、犯人の姉に偶然を装って近づきます。ロールはサッカーの部活に忙しい快活な少女。恋人のアレクサンドルが暴行で警察に捕まります。16歳の彼女だけでは面会は無理で、偶然知り合った医師に頼み、面会を続けています。ステファンは、母とも恋人エルザとも上手くいきません。ある日エルザが街で暴行を受け、助けたピエールと知り合います。ピエールはステファンの容姿を観て驚愕。自分の友人が刑務所に入っている。当分遊んで暮らせる金を渡すので、友人と入れ替わって、刑務所に入って欲しいと申し出ます。

三つとも、それぞれ全く違うようで、似通っています。それは皆が皆、とても不注意で無用心なのです。ゾラは簡単に犯人の姉に正体が割れてしまうし、姉は姉で、唐突に現れ優しさを見せるゾラを、簡単に信用してしまいます。ロールは顔面傷だらけの、本名も知らないアレクサンドルとすぐ恋仲になります。そして親に相談せず、行き当たりばっかりの行動に出る。浮草暮らしで定職も持たないステファンは、どう考えても堅気でないピエールの申し出を、お金のために受けてしまう。皆が皆、あまりに短絡で刹那的なのです。

私の職場である精神科のクリニックは、全国から生活保護を求めて、たくさんの人がやってくる地域です。その人たちの過去の出来事を知ると、もしかしたら、私も同じ立場だったかも?と思えてなりません。目の前に現れる人生の選択。そういう機会は、幾度となく来るはず。辛い時に、人には隙が出来る。藁をも縋りたくなる。そして自分から悪い方へ悪い方へとチョイスした結果が現在。悲しみや辛さは、正常な判断が出来なくなるのだと思います。もしかして、この作品の登場人物も同じではないのでしょうか?

ゾラの気持ちはよくわかるし、ロールも両親の離婚を匂わせているセリフがありました。弟のせいでやつれ果てた姉は、事件は加害者の家族をも、壮絶な苦悩に苛ますと感じます。ロールに同行する医師の好意を無にするような無礼なアレクサンドルは、多分移民。底辺で生きる辛さを、医師にぶつけているのでしょう。小心者で甲斐性のないステファンが、ピエールの申し出を受けたのは、仕事で酔客にからかわれるエルザを見たからでした。

私にも誰にも、人生で重大な選択があったはず。登場人物たちをそう解釈すると、この人たちは、私だったかも知れないと感じ出すのです。それはもしかして、塀の外の人たちの苦悩を描くことで、塀の中の人たちも、観ている観客と紙一重、簡単にそうなってしまう。私たちだって彼らと同じだと言いたいのかと思い始めると、あれもこれも疑問が解けていき、一人一人がとても愛しく思え、この善良で弱き人たちを、誰も責められないのです。

刑務所に出入りする人は、中も外も、一般的な私たちが想像するフランス人の容姿とは異なり、様々な人種がいるようです。この辺は、フランスの移民事情を表しているのかと思いました。やはり恵まれてはいないようです。

ロールがラストに医師にキスします。それは愛情ではなく、今までの感謝だったと思います。臭いものには蓋をしながら、自分に都合の良い事だけを優先してきた彼女が、ある事を契機に、辛くても正しい選択を決断しようとしているのだと思いました。一番若い彼女に、三つのお話の将来を託しているのでしょう。

しかし私の娘くらいの若い監督が、よくここまで底辺の人たちの心を受け止め、異国の私にまで、彼らに寄り添わせたなと、本当に感心しました。レア・フェネール、次も大いに期待して待っています。


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