ケイケイの映画日記
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2012年01月19日(木) 「幕末太陽傳」

面白過ぎてビックリ!日本の映画史に燦然と輝く名作ですが、私は全くの未見。落語の「居残り佐平治」を元に、その他いくつかの落語の話を元に作ってあるとか。いい意味で予想は裏切られ、今の時代にも充分通じるお話でした。監督は川島雄三。

幕末の江戸に隣接する遊郭の相模屋。一文無しのくせに豪遊した佐平治(フランキー堺)は、強引に居残って相模屋で働く事に。あれよあれよと言う間に働き頭になって、相模屋に金をもたらす佐平治の大活躍が描かれます。

予想が裏切られたと言うのは、意外な程感覚がドライだったことです。落語が元なので、もっと町人の哀歓や人情が絡んでいると思ったの。ところがところが、佐平治はあの手この手で小金集めに一心だし、こはる(南田洋子)やおそめ(左幸子)たち女郎は、客の男を騙してしれ〜と平然だし、因業な女将と亭主(山岡久乃と金子信雄)は、最初から最後まで因業なままで、少々の改心も見せない。底辺の町人の、人の世を生きる苦労を、したたかに豪快に吹っ飛ばしています。あぁここは落語っぽいなと、その間合いの絶妙さや、軽妙に繰り出すユーモラスなセリフの応酬やシチュエーションに、クスクス笑いっぱなし。しかし観ている内に、そこかしこに散りばめてある「暗さ」にも気づきます。

佐平治は労咳を患っており、誰彼となく「悪い咳きをしているな」と言われますが、これは彼がある程度死期が迫っている人間だと、観客に知らせるためでしょう。当時は不治の病のはずですが、佐平治は漢方薬を自ら調合して飲み、生への執念を感じます。口八丁手八町、才智に富み機転が利く佐平治が、情の一片も見せず金を貯め込むのは、薬代が必要だからだと思いました。

客を取りまくったため、嘘の契がバレたこはるが、「私は朝寝したいだけなんだよ!」と啖呵を切りますが、この言葉に女郎の辛さが集約されています。郭は夜中でも男衆が時間ごとに拍子木を打ち、時間を知らせに回りますが、それはいつまでも寝てないで、客の部屋を廻って来いと言う女郎への合図です。女郎となった日から、ぐっすり眠る日はなかったでしょう。ありとあらゆる手練手管で客からお金をむしり取る女郎たちですが、それは早く年期明けしたい一心だからなんでしょう。こはるとおそめが、「年期が開けたらアタシと・・・」と、それぞれ佐平治を口説く様子を挿入するのも、年期明けが彼女たちの夢であるのがわかります。一見女郎たちのしたたかさしか映していないようですが、女郎の哀しさも見え隠れさせています。

金には煩い佐平治ですが、下女のおひさ(芦川いずみ)の申し出には、「その言葉、気に入った」と金を貸します。愚痴や恨みを言わず、しかし女郎になるのだけはいやだと、運命に流されず戦いに挑むようなおひさに、生に執念を燃やす自分を重ねたからだと思いました。

高杉晋作役で石原裕次郎や小林旭、二谷英明など、当時の日活の二枚目俳優が武士の役で登場します。でも武士を笠にきて大金をツケにして相模屋にいつく様子は、ヤクザと変わらないです。高杉晋作は幕末のビックネームで、この作品でも別格扱いですが、でも作中では底辺で苦しむ町人の味方になんか、なっちゃくれません。憂国の士のはずが、自分たちの利害関係に、ああだこうだと議論に明け暮れるだけ。この辺いつの時代の映画ですか?と言うくらい、今の世相に似ています。

フランキー堺は、私が子供の頃は、もう既に大物役者でした。こんなに飛んだり跳ねたり、軽快な彼は記憶にありません。若さの中にそこはかとなく死を感じさせる様子も絶妙です。川島監督も当時難病に侵されており、フランキー佐平治に自らの生死感を投影したのでしょう。見事に期待に応えており、充分にこちらに監督の心が届きました。

一つわからなかったのが、体に悪いと佐平治が女性を断っていた事。お酒は浴びるほど飲んでたし、タバコだって吸ってたぞ。私が思うのに、死期が見えている自分に、子供が出来るのが怖かったのかしら?自分の本心は決して見せない佐平治でしたが、眠りこけるおそめとこはるを、男性的な包容力いっぱいの微笑みで観ていた顔が、本当の彼なのでしょう。

有名なラストの「地獄も極楽もあるもんか!俺はまだまだ生きるんでぃ!」には、思わず目頭が熱くなりました。まだ戦後の色濃い50年以上前の映画に、励まされたと言うわけです。

デジタルリマスターの画面はとても綺麗なモノクロで、若かりし頃の南田洋子や左幸子の艶やかさも、ぐっと引き立ってます。日活100周年記念で全国巡回しているそうなので、お近くでご覧になれる際は、是非どうぞ!




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