ケイケイの映画日記
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2011年04月30日(土) 「まほろ駅前多田便利軒」




これも良かった!私的には直前に観た「イジュージョニスト」と同じ味わいで、こちらは三十路の「若者」の「人生は愛おしい」を、ユーモラスにほろ苦く描いています。監督は大森立嗣。私は相性がいいみたいで、多分この監督はこれから追いかけると思います。お父さんの麿赤兒、弟の大森南朋が応援出演しているのも、とても微笑ましいです。

三十路に入った中学の同級生の多田(瑛太)と行天(松田龍平)。今は多田の営む便利屋を、ふとしたことから行天が手伝っています。仕事に行く先々で奇問難問に出会う二人。それを一見淡々と解決していく二人なのでしたが・・・。

画像をご覧下さいませ。主役二人はいつものイケメンじゃないでしょ?うらぶれた三十路男ですが、しかし荒んでいないのも「イリュージョニスト」のタチシェフ氏といっしょ。タチシェフ氏ほど達観はせずとも、二人とも土俵際で踏ん張っています。

二人が持ち込まれる仕事は、犬の世話→実は夜逃げした家の飼い犬の里親探し、引き戸の滑りをよくする→はずが、娼婦に覚せい剤の運び屋から手を切らす、小学生の塾の送り迎え→のはずが、これがまた大変で、と、こんなはずじゃないのにの連続。しかし乗りかかった船だからと、最後まで面倒みてしまう多田。表面はいやいやながら、実は生真面目で責任感が強く誠実です。一方行天はというと、これが全然手伝いなんかせず、飄々といい加減に見えるのですが、実は彼の言動が、多田の心に勇気を与えています。

実は二人ともが、心に傷を負っているのです。行天のその傷の癒し方というのが、「人を愛する」という行為です。それも押し付けにならず、その人の負担にならず、知られぬように。この若さで愛されることより愛することが自分を強くし、人生に希望をもたらすと、どこで悟ったんだろう?

多田はと言うと、順風満帆のはずの人生が、ふとした事から絶望に。生来の生真面目さが彼を転落させはしないものの、心に不自由さを持ったまま生きています。それが行天と生活し始めて、段々と行天の行動を理解するようになってくると、自分自身が見えてくる。以前の彼の人生に喜びを与えていたのは、やはり「愛する」と言う行為だったと。

特別親しくはなかった、かつての同級生という設定が生きています。町でばったり同級生に会った時、瞬間無垢だった自分に戻るという経験は、誰も持っていますから。

まほろ駅前は雑多で猥雑な町。品があるとは言い難いんですが、バイタリティーと不思議な安らぎを感じさせます。昔は三十路に入ると立派な大人でしたが、今はまだまだ若いです。この町でなら、人生の仕切り直しが出来そうな、大らかさと温かさを感じます。

全部のエピソードが気に入っていますが、特に心に残ったのは、母親に不満を抱えているけど、言い出せず多田や行天に反抗する小学生由良のパートです。この子もお母さんを愛しているのねぇ。母親って愛しているのは、頑張っているのは自分ばかりだと思いがちですが、自分も愛されていることに気付いたら、由良の気持ちも解るのかも知れません。世のお母さんは心に余裕を持ちたいですね。「愛されること」は、救われる事です。

その点、人生の最底辺にいるような娼婦のルル(片岡礼子)とハイシー(鈴木杏)の、他者への分け隔てない溢れる愛は素晴らしい。頭の軽い気のいい娼婦以上の豊かさを感じさせるのは、彼女たちが自分の境遇を受け入れて、人生を愛おしいものとしているからかも知れません。

多田の「なんじゃ〜、こりゃ!」にツッコミ入れる行天=松田龍平のお遊びや、由良「このアニメ(フランダースの犬)の最終回を観たらどうなるのかなと思って」「泣く!」と速攻で答える行天など、クスクス笑えるシーンもいっぱい。一見オフビートな装いですが、中身はしっかり生活感が溢れていて、幅広い世代に楽しめる秀作だと思います。


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