ケイケイの映画日記
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2011年03月08日(火) 「死にゆく妻との旅路」




もう号泣しました。劇場は私前後の年齢のご夫婦がいっぱでしたが、多分私が一番泣いたと思う。この作品の主人公夫婦は11歳の年の差、夫と私は8歳差。既に大人だった男性と、まだまだ子供で世間知らずだった女の子の結婚だったというのが一緒です。さりげなく交わされる夫婦の会話の一端から、二人がどんな夫婦であったかが一瞬にわかり、とにかく夫婦両方の気持ちが手に取るようでした。実際に10年ほど前に、末期がんの妻をワゴン車に乗せ9か月日本全国を放浪、妻は亡くなり保護責任者遺棄致死の罪状で逮捕された男性の手記が原作です。監督は塙幸成。瑞々しい感受性に溢れていた「初恋」の監督さんです。今回ネタバレですが、是非読んでいただきたいです。

石川県で小さな縫製工場を営んでいた清水久典(三浦友和)。4千万円の借金を返済せねばなりません。22年連れ添った11歳年下の妻ひとみ(石田ゆり子)は、ガンに侵され病院から退院直後。金策に走る久典は、ひとみを一人娘沙織に預けます。戻ってきた久典ですが、金策は出来ず自己破産寸前。相談がてらワゴン車に乗り込んだ夫婦は、有り金50万を持ったまま、そのまま宛てのない旅に出ます。

先行きが真っ暗なのに、「おっさん(夫のこと)、知ってるか?これ結婚以来初めてのデートやねんで。」と、嬉しそうにはしゃぐ妻。出掛けるときは、いつも子供もいっしょだったと語ります。娘の沙織は既に結婚して赤ちゃんに恵まれたばかり。今まで幾らでも夫婦二人だけで出かけるチャンスはあったはずです。四千万の借金は膨大ですが、事業でそれだけ借金出来るということは、羽振りの良い時もあったということ。妻は借金は知らなかったようで、家内工業的な事業のはずなのに、妻には手伝わせていなかったのでしょう。入院中の妻に退院時には戻ると言いながら、金策に出る夫。何か月も帰ってこないばかりか、途中で浮気もしています。

放浪中、手作りの味噌汁を妻に差し出す夫。「おいしいなぁ。料理が出来るとは知らんかったわ。一度も作ってくれたこと、なかったやないの」と嬉しそうな妻。この夫は妻を大事にしていたとは言い難かったと思います。妻には仕事をさせず養い、時々の「妻子」への家族サービス。これで妻も充分だと思い、自分ひとり盛大に遊びもしたことでしょう。置き去りにされた妻の哀しさには頭が回らない、そんな「ありふれた中年の夫」であったと思います。

お金があった時もあるでしょうに、妻はセンスがいいとは言い難い、安物の装いばかりです。しかし垢抜けないその服装はいつも少女っぽく、早くに結婚して少女のまま大人になった妻の心が、映し出されているようです。放浪中に住んでいた町と同じスーパーがあり、懐かしがる妻。一緒に働き口が見つかった時に着るのだと、やはり安いスカートを夫にねだります。お金があるときもない時も、常に質素で地味な人だったのでしょう。

「もう『お母さん』は止めて。名前で呼んで欲しいわ」という妻。「家族」と言う枠で夫に接せられるのではなく、妻として観て欲しいと長年思い続けてきたのでしょう。初めは彼女が「おっさん」と夫を呼ぶ度、違和感があったのですが、これは結婚当初、何をしても太刀打ち出来ない大人であった夫に対して、若さを誇示するしかなかったのだと理解できると、その呼び方にいじらしささえ感じます。

二人は当初、借金から逃れるのではなく、働き口を見つけるための旅でした。二人で住み込みで働いて、基盤を作って故郷に帰ろうとしていました。戻って頭を下げて一から出直すことが、夫には出来なかったのでしょう。当然督促は親戚はおろか、新婚間もない娘にも及びます。普通の母親なら娘を思い、家に帰ろうと言うはずですが、妻はそのままの旅を望みます。

妻は自分が癌であることを知っていました。遠からず自分は死んでしまう、その心がいつもの彼女ではない彼女にしたのだと思います。そこには娘を託せる人が出来たという安心感もあったでしょう。しかしそれ以上に、激痛が襲っても絶対に病院はいやだと言う妻から、いつもいつも夫を待ち続けるのがどんなに寂しかったかが、伺えます。死期を感じた今、一度夫と離れたら、もう二度と一緒になれない気がしたのだと思います。

各地を転々としながらその土地のハローワークに出向くも、50を超えた中年男に、全く職はありません。それは選んでいるからだという人もいるでしょうが、本当にこれが現実です。しかし絶望しないのは、二人がいっしょだからです。

現実感薄く、まるで夫婦で旅をしているようだった二人ですが、ひとみの癌が進行してからは一転、夫の介護が始まります。甲斐甲斐しく妻を看病する夫は、どんなに妻が我がままを言っても、「おっさんと結婚したために、こんなことになったんや!」と罵倒されても、一切怒りません。こんな温厚な夫ではなかったはずです。旅の中、何も無くなった自分に喜んで添ってくれる妻に、今までの自分の人生を反省していたのでしょう。妻をこんな環境に置かなければならない、夫としての不甲斐なさを全身で表す場面が秀逸です。この旅は、夫の妻への贖罪の旅でもあったはずです。

しかしこの夫は、途中で妻を捨てることも、妻だけ娘に預けることも、病院に置き去りにすることもしませんでした。妻の願い通りにしてあげた。それは成り行きではなく、夫の意志です。夫は妻の信頼した通りの人であったのです。この人が一番愛しているのは私だ、そういう確信があったからこそ、妻は長年待つことができたのだと思います。

事実妻が亡くなると、夫は妻の遺体と共に故郷へ帰ります。あんなに逃げ回っていた人が。それは途方にくれたのではなく、妻をきちんと葬りたいからだったと思います。ワゴン車の中のそこかしこの妻の残り香を感じ、娘の前で男泣きに泣く夫。この場面の描き方が本当に辛くて。娘など目に入らないのです。しかし物凄い勢いで父をなだめる娘に、ああこの子がいてくれて良かったと、心底思いました。だって夫はこれからも生きていかねばならないのだから。夫は一人ぼっちではないのです。

夫は警察に捕まりますが、妻が不幸だったとは、私はとても思えません。むしろ結婚以来一番幸福だったのではないでしょうか?人にいっぱい迷惑もかけ恥も晒したはずの二人。夫を演じた三浦友和の「この行いが正しかったのか間違いだったのか、わからない」の言葉通り、私もわかりません。ただ私ならしなかったと思う。でもそれは今の私が働いて世間も知り、自分の自由な時間を持って、夫だけを待つ生活をしてないからだと思います。この妻の気持ちは、10年以上前の私です。本当に痛いほど妻の気持ちがわかりました。

三浦友和が絶品。50才を超えて絶好調な人ですが、本来の誠実な持ち味が生かされ、久典の造形に限りなく説得力を持たせています。石田ゆり子も、私が知る限りベストアクトです。彼女の持つ透明感のある美しさや少女っぽい雰囲気が、ちょっと浮世離れした妻の哀歓を、本当に素敵に演じていました。

しかし彼女はこのため減量もしたというのに、それが生かされていません。やつれ方が中途半端なのです。死ぬまで眉とアイラインが施されていましたが、ここはしない方が絶対良かったな。折角の熱演に水を差していました。

各地の風景が、異邦人である二人を優しく包んでいたようで、その土地土地の優しさや厳しさ、生活の息吹を感じました。特に撮影で美しいと思ったのが夕日の描写。この二人は人生で言えば夕暮れです。本当に美しく、彼らが夕日を観て自分たちを奮い立たせていたのが印象的でした。

私は原作は未読なので、この感想は映画からだけのものです。確かに少し美化して描いていたきらいはあり、実際はもっと喧嘩もあったり壮絶な介護もあったかもしれません。しかしリアリティさえあれば良いというものではなし、ありふれた夫婦の特異な一年間を描くことで、夫婦としての至高の愛情を感じたのですから、私はこれで良かったと思います。

トイレがしたいと言いながら、夫におぶってもらうと、「嘘や。おんぶしてほしかっただけ」と、病んだ身で愛らしい嘘を言う妻。そんな妻を喜んでおんぶして走る夫。このシーンが大好きです。お金ではなく大きな家でもなく、夫と共に人生を歩む、それだけで満足な妻が世の中にはたくさんいるのです。世のご主人様に、それがわかってもらえれば嬉しいな。大好きな作品です。






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