ケイケイの映画日記
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2011年02月23日(水) 「ヒア アフター」

素敵な作品でした。イーストウッドが監督と言うと、傑作や秀作という冠がつきますが、この作品は素敵が一番似合う気がします。

東南アジアの島に恋人とバカンスに来ていたフランス人キャスターのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、津波に襲われ九死に一生を得ます。以降その時に観た臨死体験が頭を離れません。サンフランシスコでは、死者との会話を生業としていた超能力者のジョージ(マット・デイモン)が、その能力に疲れ、今は工員として町工場で働いています。ロンドンに暮らすマーカスとジェイスンの双子(フランキー・マクラレン、ジョージ・マクラレン)。母子家庭で母親のヘロイン中毒に悩まされていますが、二人で手を携え母を支えています。やっと母に立ち直る兆しが見えた時、兄のジェイスンが交通事故で亡くなってしまいます。

この三つのお話が独立して進んで行きます。霊界が題材ですが、イーストウッドが描くのですから、CG満載のあの世は出てくるはずもなく、一瞬死者が観えるだけ。この作品はプロットに霊界を絡ませてはいますが、それはスパイスに過ぎず、本題は孤独を彷徨う現世の人々を描いていると思います。

気鋭のジャーナリストであるマリーは、臨死体験以降、社会情勢より人の生死という永遠のテーマの捉われます。目に見える世界だけを取材し信じ、喝破して生きてきた彼女にとって、180度違う目に見えない世界。九死に一生を得た人は人生観が変わるとは聞きますが、丁寧に彼女の心の移り変わりを描いています。周囲が切れ味鋭かった彼女が変貌していく様子に戸惑う様子も納得でき、上手く描いていると感じました。

ジョージの兄は弟の超能力を「才能」であると言います。しかしジョージにとっては余計もの。知りたくもない他人の人生が見えるなど、どれほど自分の心を消耗することか。好きになった相手にも不都合なこの能力は、彼に人生のパートナーも与えてくれません。人並みの普通の人生が得られない。この辛さを芯から共有できる人はおらず、超能力者は幸せにはなれないと言われますが、その根源的なものが彼から伺えます。

家庭を仕切るジェイソンと、はにかみ屋のマーカス。彼らの母はネグレクトですが、心の底から息子たちを愛しているのがわかります。それは彼らが母を大切に思う様子からも伺えます。ジェイソンにもう一度会いたくて、あらゆる霊能力者を渡り歩くマーカスの姿が切ないです。そして彼の心を満たす霊能力者は現れず、その如何わしさの一端も描いています。

私が本当に感激したのは、全編に溢れる優しさです。それぞれの痛切な孤独を描きながら、心が浄化されるような慈悲深さです。自分の無聊を慰めるため、ディケンズ作品の朗読に癒しを求めるジョージの様子を物哀しく見つめていた私でしたが、彼が初めてその朗読者であるデレク・ジャコビ(本人)の朗読を聞くときの、子供のような純真な笑顔には、涙が止まりませんでした。利己的なものを一切捨て、霊界とは何なのかを追及するマリーに、本来なら現象しか見ないはずの女医(マルト・ケラー)の清々しい後押しもにも心が洗われました。そしてネグレクトを描くのに、母と子供の愛し合っている様子で、これほど痛ましさが描けるのかと、胸打たれたジェイソンとマーカスのエピソード。

どれもこれもが、現世に生きる孤独な彼らを温かく見守っているのです。映画では霊界は描かれませんでしたが、それが霊界の本質なのじゃないか、私はイーストウッドにそう語りかけられている気がしてなりません。その感覚はとても東洋的であり、霊界には人種も国境もないのかも知れませんね。

三つのお話がどう結び付くのか?とても品のある、やはり心温まるお話で紡がれます。癒しと簡単に言いますが、最近これほど心が癒された作品はありません。ジョージが料理教室に通う場面では、とても官能的で印象深いシーンが出てきますので、お見逃しなく。80歳になっても、癒しに官能も盛り込む御大イーストウッド。長生きしていついつまでも、映画を撮って欲しいです。




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