ケイケイの映画日記
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2009年12月12日(土) 「カールじいさんの空飛ぶ家」(2D・吹替え版)



3D・字幕版もあるけれど、我が愛しのラインシネマには3D装置なし。字幕版も夜8時だけ。お金は出来るだけ地元で落とす主義なので、こちらの選択に。さすがは安心印のピクサー、充分堪能致しました。

仲の良い老夫婦のカールとエリー。しかしエリーに先立たれ、カールはすっかり頑固者に。家の立ち退きを巡って小競り合いがあり、とうとうカールは老人ホームに入居するはめに。しかし一計を案じたカールは、家にたくさんの風船をつけ、果たせなかったエリーとの約束を果たすべく、伝説のパラダイス・フォールを目指し、家ごと空に飛ばしてしまいます。しかし近所の少年、ラッセルが玄関に居るのを知らず、彼も道連れの冒険旅行となってしまいます。

前評判通り、冒頭10分間のカールとエリーの出会いから別れまでのパートが素晴らしい。シャイで大人しい男の子と、お転婆でよく喋るキュートな女の子が、「冒険」を通じて知り合い結婚し、家を建てお金を貯めて冒険に出ようとすると、出費が重なり果たせず。颯爽として元気いっぱいの妻は足腰が弱り、病魔に侵される。老いても仲良く暮らしていた夫婦だったのに、最愛の妻に先立たれ、夫には味気ない日々が残される・・・。

本当に本当に極々平凡な夫婦の人生を描いているだけなのに、観ているうちに笑いが微笑みに代わり、いつしか涙に変わります。冒頭でこんなに泣かされるとは思いませんでした。数奇ではない、平凡な暮らしに込められた人生の哀歓だからこそ、万人が自分に置き換えて共感出来るのだと思います。どこかでこんなの観たなあと思いましたが、「クレヨンしんちゃん・大人帝国の野望」でした。ひろしの人生が回想されるシーンです。後者はまだまだ現役の人の回想でしたが、こちらは人生終盤まで描いているので、老いる事の意味も強く感じさせます。

空飛ぶの家の様子は、壮観で胸がわくわくしました。本当に子供の様な気持ちで観られます。ここは3Dだと尚更見所になると思います。不承不承のラッセルの同行でしたが、途中から犬と鳥まで加わり、桃太郎みたいだと何だかクスクス。しかしお伴達にも諸般色々事情ありで、ラッセルの背景など、子供を持つ人なら必ず胸が締め付けられるでしょう。

この子がとってもいいんです。太っちょで愛嬌があり、お喋り。、頭はあんまり良さそうではないけど、とっても素直で優しさと心の強さを持っています。そして命からがらの出来事が続いても、必ず「面白かった!」と、満面の笑みで応えます。これは幼い頃のエリーそっくりです。それを一番感じていたのは、私はカールだったと思います。

冒険中のある出会いから、危機また危機の「インディ・ジョーンズ」並みの大冒険活劇が始まります。この辺もアニメの特性を生かし、あり得ない場面もユーモアを交えながら一大スペクタクルが繰り広げられます。充分手に汗握る展開でした。

何度も空飛ぶ我が家に、「エリー」と語りかけるカール。家や写真、使い慣れた家具など、カールにとっては、全てがエリーなのでしょう。これが追憶というものなんだなぁと思います。

そんな前を観ない、後ろしか観なかったカールが、ラッセルの為全てを捨て去る瞬間はとても感動的です。私くらいの年になると、老人が過去を捨て去るのが如何に困難か、とても理解出来るのです。明日に向かって生きるのはもっと困難。事実もう一人出てくる老人は、過去の栄光にすがり、その栄光を汚すものの挽回にだけ生きています。過去にだけ向いて生きている。 ラッセルは子供。明日そのものです。自分の過去=全てを投げ打ってまでラッセルを助けようとするカールに、堪らず号泣してしまいました。

ラッセルが吐露する「どうでもいい事って、何故だか覚えているんだよね」というセリフ。そのどうでもいい「楽しかった思い出」の積み重ねが、どんなに人生の支えになるか、老人のカールには痛いほどわかっていたでしょう。エリー似のラッセルによって、元の優しく温厚な人柄に戻ったカール。カールがラッセルの「どうでもいい楽しい思いで」を、共に作る様子をフォトしたエンディングが素晴らしい。それはカールの老境を支える事でもあるでしょう。

エリーのアルバムにしたためた、カールへの遺言が忘れられません。私も夫より先に亡くなりそうだったら、絶対書いておかなくちゃ。お仕着せがましさもあざとさもない、そして解り易い、ピクサーが描く人生哲学でした。


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