ケイケイの映画日記
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2008年10月29日(水) 「コドモのコドモ」




画像のように、本当に幼い小学生女子が妊娠出産するお話。あちこちで喧々諤々、論争が巻き起こっている作品なので、平日でも超満員だと思いきや、テアトル梅田の大きい方のスクリーンはガラガラ。私は平日に観る事が多いですが、いつもシルバーの方がいっぱいです。どうも題材から嫌悪感持たれちゃったかな?こういう「あり得ない」お話を上手く作るには、細部の描写のリアリティが重要だと思いますが、その辺が、実際とは少し距離のある固定観念的に思えます。主軸の11歳女子妊娠出産も、出産を経験した私から観るとまるでお花畑で、なんだかなぁ。ただし子供たちが健闘していたので、腹の立つような作品ではありません。今回ネタばれです。

とある地方都市。小学校五年生の春菜(甘利はるな)は元気な女の子。同級生のヒロユキ(川村悠椰)と、「くっつけっこ」なる遊びを、興味本位でしてしまします。東京から来た担任の八木先生(麻生久美子)は、父兄の反対を押し切り性教育の授業をしますが、そのことで春菜は、自分が妊娠してしまったことに気付きます。春菜から事の次第を聞かされた学級委員の美香(伊藤梨沙子)は、子供を産みたい春菜の心に共鳴、クラス一丸となって、春菜の出産に向けて団結します。

子供達は本当に愛らしいのですが、その日常はリアルと大人の想像が半々。性教育の授業に、エロだ何だと囃し立てる男子たちや、あり得ない状況ですが、親や教師に内緒で事を運ぼうとするのも、子供らしい純真な感覚です。赤ちゃんは可愛いですもんね。バレたら出産まで漕ぎつけるのが危ないくらいは、五年生ならわかるはずですから。その気持は私も素直に受け取れます。

仲良しの女子同士が、些細なことで絶交したり、また仲良くなったりはよくある話で、微笑ましく観ていました。しかし女子とは恐ろしい生き物で、これだけじゃないのだね。大概の学年には「女王様」なるものが存在し、権力を振るっているのが現実です。早い時は幼稚園から始まります。なので感傷をくすぐる、イイとこ取りだけしている気が、ちょっとしました。

しかし「くっつけっこ」する前に、ヒロユキが立ちションをするのですが、いくら子供だって、思春期前だぞ。性器まで見せて女子の前でするか?子供の無邪気さを表現して、セックスが何かをよくわからない子がしてしまった、と言いたい演出でしょうが、昨今の五年生、いくら田舎でもそれほど純朴でしょうか?いじめや様々な少年犯罪など、都会に限定されたことではないはずです。

五年生と言えば、女の子は林間や臨海学校前に、生理について保健の先生から話を聞くはずです。その時に生理は妊娠と密接な関係がある、生理があるというのは妊娠できる体になったということで、むやみに男性に体など触らせないように、などなど、私の頃だって教えられました。なのでこの「全く何も知らずにやりました」という描き方には疑問があります。

娘の鼻の穴が膨らんだくらいで嘘のわかるお母さん(宮崎美子)が、我が子の妊娠がわからないということが、あるんでしょうか?生理が始まったばかりの頃は、毎月あったりなかったり安定しません。ホルモンが関係するので、イラついたりニキビが出たり、娘が申告しなくても、母親は毎月チェックしているもんだと思います。それとこの作品でもセリフで語られますが、慣れていないので、そそうして下着やシーツを汚してしまうこともしばしば。それをいくら農家の忙しい時期だからと言って、春菜のお母さんのような行き届いた人に、そういう設定は不自然です。せり出したお腹も、20歳前後の子なら、本当にわからない子もいるそうですが、乳房も膨らむ前の体型の五年生では、わからないはあり得ません。

もう苦笑するしかなかったのは、出産場面。産婦人科医の息子が陣頭指揮で、「ヒッ、ヒッ、フ〜」と呼吸法を教えたりしながら、子供たちだけで出産します。超安産で。ちょっとちょっと!息子よ、それはどこで覚えた?勝手に分娩室覗いたのか?産婦人科医の息子だからお産が誘導できるって、笑うに笑えません。

未成熟な子供の子宮では、あれくらい胎児が成長出来るかどうか、疑問です。高年齢出産のマル高をご存じの方は多いでしょうか、18歳以下の妊婦もまたマル若と母子手帳につけられるはずです。いわば若年で出産するということは、それだけでハイリスク妊婦です。春菜の場合も普通分娩もあり得ません。ちょっと生々しいお話で申し訳ありませんが、会陰が裂けたり、途中で子供が出なくなるなど、とんでもなくハイリスクです。

検診にお金がかかるからと、陣痛が始まって初めて病院に駆け込む妊婦もいると聞きます。これを観て、お産がこんなにお手軽に出来ると若い人が誤った認識を持ってしまうのじゃないかと、私はそこを危惧します。いくらファンタジーとして見ろと言われても、「お産は命がけ」を経験している私としたら、単に子供の団結力や純粋さを表現する手段として、断じてお手軽なお産を使って欲しくはないのです。

あの出産シーン、胎盤は出してなかったですね。私は次男の時胎盤が出てこなくて、医師の手で剥離してもらったのですが、大量出血で死にかけました。どうやっても胎盤が出ないときは、最悪子宮ごと摘出になるなど、大変なことなのです。どうしても小学生に出産させたかったら、警鐘を鳴らすためにも、そういうお産につきものの、諸々の大変な描写も取り入れるべきです。

ラストのハッピームード満開なお誕生日パーティーもなぁ。反省もなければ葛藤もなし。先行きの明るい未来だけを予感させる結末です。これは小5女子の出産は素敵なことよ、という結論ですか?春菜の両親は驚きだけでケンカするでもなく、ヒロユキの両親も逃げるように東京に引っ越ししたのに、誕生日には「お祖父ちゃんと父親」が明るく参加。なんかもぉーバカバカしくて。生命の尊さを描くには、あまりに描写が軽すぎます。

子供の日常生活もある意味イイとこどり、妊娠出産に関してもほわんほわんと描き、私的には何を言いたくて作った作品かは理解しかねました。学級崩壊の様子だけは、非常にリアル。先生が頭でっかちで子供の気持ちを考えず、自分の主義を押し通そうとすると、こうなるんですね。集会での親の非常識さを表しているのも、良かったです。何故なら先生だって、最初から良い先生になるわけではありません。先生を育てるのは親と子供です。親がこういう態度なら、どこまで行っても平行線だなと、つくづく感じました。子供たちに春菜のお産の様子を語らせた八木先生が、「あなたたち、本当に頑張ったね・・・」と、涙した場面が、私には一番印象深い作品でした。八木先生、この事件を糧に、いい先生になりますよ。こっちをメインに作れば良かったのに。


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