ケイケイの映画日記
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2008年06月05日(木) 「受験のシンデレラ」




いや〜、泣きました。それも心の垢を流すような、きれいな涙です。精神科医にして、進学ゼミナールも主宰している和田秀樹の初監督作品です。監督、とっても映画が好きな人なんですね。自分が映画で受けた恩恵を、そのまま観客に伝えたい!との思いが、伝わってくる作品でした。出来としたら中の上くらいかと思いますが、異種業界の人が作った初作品ですから、それってすごくない?私は大いに気に入りました。

カリスマ塾講師五十嵐透(豊原功補)は、今年の春も大量に東大合格者を出しています。しかし毎年のことと、通り過ぎていくはずの春でしたが、今年はそうは行きませんでした。彼はガンに侵され余命一年半と、友人の医師小宮(田中実)から、告げられます。自暴自棄になりそうだった五十嵐ですが、数学にきらりと光るセンスを持った、高校中退の少女遠藤真紀(寺島咲)と知り合い、自分の余命を、真紀を東大に合格させるために使おうと決心します。

お話は格差社会、ガン、そして東大受験が並行して描かれます。ガンは緩和ケアが主題となり、最近盛んに言われるQOL(クオリティー・オブ・ライブ)を描いているのですね。受験もプロの講師である監督ですから、自分の熟知しているフィールドをテーマにしたことは、正解だったと思います。

真紀の両親は離婚し、母(浅田美代子)に引き取られていますが、これがとんでもない女で、家事はしない、借金する、働かずに娘に食べさせてもらっている、なのに遊び歩くなど、だらしないことこの上ないです。最近格差の連鎖が言われ、東大合格者の親の年収は平均一千万以上と言われ、貧しく学歴のない親から生まれた子も、同じ道を辿ると言われています。真紀が頑張る姿を描き、同じ境遇の子たちに、エールを送っているようです。

平凡と言えば平凡な作りですが、監督は感動出来て希望の持てる、実のつまった娯楽作が作りたかったのですね。境遇にくじけず、健気で素直な真紀の姿、病を得てから本来の志の高かった自分を思い出す五十嵐など、予定調和なんですが、観ていて二人を応援したくなるのです。監督の映画の定義が、忍ばれるような作品です。

「お前」「おじさん」と呼び合い、名前で呼んで、お前こそ先生と言え、と憎まれ口を叩く2人。私のようなひねた映画ファンは、あぁ「先生」「遠藤」と言うシーンで盛り上げる気だなぁとわかるのですが、いざそのシーンが来ると、もう泣けて泣けて。でも監督の手の内にはまって幸せな心地だというのは、作る側と観る側の相思相愛の関係だと思うのです。

私が感心したのは、とんでもない母は、最後までとんでもない母だったこと。娘がどんなに勉強して頑張っても、ちっとも変わりません。東大なんか無理、女で稼ぐ方が楽と言い放ちます。しかしそんな母を持っても、「それでも私の親なんだよ」と、真紀に言わせたこと。彼女はあきらめと言いますが、私は受け入れているのだと感じました。親のせい、世間のせいにすれば楽でしょう。そうしない向上心に満ちたヒロインを描くことで、観客に限りなく希望を与えるのです。五十嵐もそう。自分の病を受け入れたから、彼の傲慢さが薄れたのだと思いました。受け入れる事の大切さを、学んだ気がします。

主役二人はすごく良かった!咲ちゃんは素直で伸びやかな演技で、時代劇も似合いそうな容姿は、センスの悪い服が何故か似合います。豊原功補は昔から好きな人なのですが、主役は初めて観た気がします。どんな作品でも控えめな存在感を醸し出す演技派で、この作品でも、絶妙のユーモアと愛嬌を滲ませながら、死に行く者の姿をお涙頂戴ではなく、凛々しいものとして演じていました。

ほんというと、五十嵐の家族が全く出てこないのはおかしいし、医師もいくら緩和ケアの第一人者と言えど、抗がん剤などの延命治療を選択余地に持ち出さないなど、ツッコミもあります。真紀も中学は出ているのに、当初分数の計算も出来ない子で、これで一年半で東大合格は甚だ疑わしいです。

でもそんなこと、どうでもいいの。私にくれた元気を思えば、そんなことは小さなことです。超現実を描くのもいいですが、「頑張れば明日がある」、そう肯定してくれる作品は、今の時代貴重だと思うから。

500円玉とマーブルチョコが、気の利いた小道具として活躍します。これも監督が映画をたくさん観て学んだことなのでしょう。描かれる受験のノウハウは、社会に出てからも応用できそうなのが印象的でした。とにかく私はとってもこの作品が好きです。大阪は私のホームグラウンドの布施ラインシネマだけで、一日一回だけ上映で、来週の金曜日までです。地方まで回るか疑問ですが、どうぞお近くで上映されたら、騙されたと思って観てください。私は和田監督の作品、次も絶対観ようと思っています。


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