ケイケイの映画日記
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2008年02月29日(金) 「潜水服は蝶の夢を見る」




実は今月の20日に、84歳の姑が入院しました。危険な状態からは脱しましたが、体のために薬の力を借りて、昏々と眠り続ける毎日です。毎日短時間の見舞いには通っていますが、家族は何も出来ず、不安なまま一週間が過ぎて行きましたが、主治医の話によると、長期入院も想定して欲しいとの事。ここは腰を落ち着けて、いつもの日常に見舞いを組み込む方向が良いと判断し、久々に劇場へ向かいました。とても楽しみにしていた作品ですが、今の私には辛いかとも、鑑賞前には考えていました。しかしこれがとんでもなくタイムリーな鑑賞となり、大泣きに泣いた後、清々しい感情が私を包みました。

42歳の「ELLE」誌編集長のジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)。彼が目覚めたそこは、病院のベッドの上でした。脳梗塞を起こし三週間昏睡だったのです。一命は取り留めたものの、体は動かず話しも出来ず。ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)と言われる症状になっていました。リハビリに力を入れる病院は、言語療法士のアンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)と理学療法士のマリー(オラツ・ロペス・ヘレメンディア)を、彼の元に寄こします。アンリエットの提案は、ジャンが唯一動く左の瞼を使い、口述のアルファベットを使い会話すると言う方法です。使いたい文字が来たら、瞬きを一度し、言葉を書きとめるのです。その方法を使って、ジャン・ドゥーは自伝を書こうと思い立ちます。

ファーストシーンは、ジャン・ドゥー(彼の愛称)がベッドの上で唯一動く目から、周りの状況を見ている構図です。そして彼の心の独白が入ります。わずかな視野、医師の語りかけに、皮肉交じりで答えるジャンの独白が、今の彼の状況を端的に表し、観客はすぐにジャンの心を掴めるようになっています。

本来ならこれでもかと涙を振り絞り、美談に仕立てあげるプロットなのに、とても淡々と日々は過ぎて行きます。もちろん彼が重度の障害を負っているというのは、各シーンで印象付けられるのですが、過剰な思い入れがなく、むしろ作り手は客観的ですらあります。しかしあざとさや、似非ヒューマニズムは欠片もないのに、もう泣けて泣けて。これは私だけではなく、劇場はすすり泣きがいっぱいだったので、観る者の心を柔らかく刺激したのでしょう。

撮影は名手ヤヌス・カミンスキー。全然知らなくて、最初のクレジットに名前が出たので、大いに期待しました。スクリーンが映す自然の描写はとても美しく、特に私が感嘆したのは、風にそよぐ様々なシーンです。髪がそよぎ、スカートがめくれ、陽光降り注ぐ窓のカーテンはひらひら、砂浜の砂はさわさわ。生の実感を感じさせます。

お国柄なのか、ジャン・ドゥーの日常は、少し辛辣なユーモアと、官能に満ちているのに驚かされます。何せ別れた子供たちの母セリーヌ(エマニエル・セニエ)を筆頭に、彼の周りは美女ばかり。ジャンとは至近で接するので、彼女たちの豊な胸元、魅惑的な唇、風でスカートがめくれ見える美しい太ももなどが、動けないジャンの煩悩を刺激する様子が、とても印象深いです。体は決して反応しなくても、男盛りの人が欲望に苛まれるのは、当たり前の事だから。

「彼は植物状態になったと聞いたわ」という電話の声に、<俺が植物だって?花か木になったというのか?>と憤慨する彼の独白が入ります。ジャン・ドゥーは動けないだけで、普通の喜怒哀楽の感情を持つ人間で、決して生ける屍ではありません。

それが証拠に、彼の周りの美女たちは、一患者という以上に、ジャン・ドゥーに親近感を持ち、魅了されていきます。口述筆記ならぬ「まばたき筆記」の代筆者クロード(アンヌ・コンシニ)しかり。大変な労力と忍耐力が必要なこの方法であっても、彼と会話したい、次の文章は何だろうか?聞き手の好奇心を駆り立てるような知性やユーモアが、ジャン・ドゥーには備わっていたのでしょう。障害を負う前から変わりなく。病を得る前からの人生の有り方は、その後の人生も左右するように感じました。

ジャン・ドゥーが自暴自棄にならなかったのは、「記憶と想像力」に長けていたからです。スキーをした記憶、恋人と旅行をした記憶、三人の子供たちと遊んだ記憶。口から食べられない彼は、今まで食したあらん限りの贅沢な御馳走を想像し、傍らにいる、今一番のお気に入りの美女クロードと食事をするのです。この様子はかなりエロティックで、食欲と性欲は密接に関係があるのだと、粋に大人っぽく表現していました。

老いた父(マックス・フォン・シドー)との電話越しの「会話」は、シドーの、老いの黄昏を滲ませた抜群の好演もあって、本当に泣かされました。「父の日」に、ジャン・ドゥーの三人の子供たちは、父を訪れます。<昔は鬱陶しかった「父の日」。それがこんなに嬉しいとは>という彼の独白は、何かを失って初めて大切なものに気付くと言う、誰にでもありがちなことを、教えてくれます。

彼の心が荒まなかったのは、何故だろうと考えます。奇跡を否定しながら、自由に歩ける自分を想像するジャン・ドゥー。それは希望と言えるものなんでしょうか?本を書くのも希望だったでしょう。しかし一番に彼の心を支えたのは、物言えぬ赤ちゃん同然の彼を、人として男性として、周囲が接したからではないでしょうか?そこには憐れみはありません。人として生きるのは当たり前だという、強制ではない自然な心が感じられました。

闘病ものというと、医療者側は医師が描かれることが多く、この作品のように、いわゆるコメディカルと呼ばれる医師以外の言語療法士が、医療者側として主に登場するのは、とても斬新な気がしました。地味な分野ではありますが、病状が安定してお世話になるのは、この人たちです。コメディカルさんたちの存在の重要さが、認識されればいいなと思いました。

介護の実態は厳しいものです。18年前実母ががんで病院に入院していても、私には幼い上の子たちもいて、疲労困憊になりました。勝手に離婚し、自分の身内とも縁を切り、私と妹だけしか世話する人がいない状態にした母を、憎いとさえ思いました。だから老々介護の末に、心中という記事を読むにつけ、どんなに辛かっただろうと、私は理解出来るのです。このように病院で手厚い介護を受け、別れた子供たちの母親、子どもたち、友人や新たな友(クロード)がそこかしこにいるジャン・ドゥーは、ある意味理想的だったのでしょう。

しかしこれは実話です。実話ほど勇気づけるものはありません。姑が無事退院出来たとして、年齢からして、その後は辛いリハビリが待ち受けているでしょう。幸い周りに人手はたくさんあります。実母の時は病院で世話した帰り、もうすぐ母は死ぬのだと、泣きながら自転車を走らせた私。息子たちの待っている幼稚園の前で涙をぬぐい、「私もお母さんなんだ」と母親に戻った日々が懐かしく思い起こされます。今はその時は影も形もなかった15歳の三男が、時折姑の行く末に涙ぐむ私の背中をさすってくれます。ありがとう、お婆ちゃん。長生きしてくれたおかげで、みんなでお世話出来るよ。だから必ず退院してね。


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