ケイケイの映画日記
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2007年05月13日(日) 「県警対組織暴力」(レンタルDVD)

名作の誉れ高いこの作品、最近のマイブームのお陰でやっと観ました。タイトルからすると、警察とヤクザ組織の対立の構図を描いているみたいですが、中身は新旧二方に押し寄せる時代の波に乗った者、乗り遅れたのではなく自ら乗るのを拒んだ者、それが描かれていました。「仁義なき戦いシリーズ」同様、監督深作欣ニ、脚本笠原和夫。出演者もほぼ同じですが、同じヤクザ組織を描いても、鑑賞後の感想はかなり趣が異なるものでした。

昭和32年の架空の都市倉島市(多分モデルは広島)。そこで起こるやくざの抗争劇、警察とやくざの癒着、甘い汁を吸おうとする元やくざの市会議員や県会議員、警察内のキャリア組と叩き上げの確執などを描いています。

部長刑事の久能(菅原文太)は、大原組の広谷(松方弘樹)の心意気に触れ、6年前の三宅組組長射殺を黙認します。ここから刑事とやくざとの間にあってはならない、義兄弟のような関係が始まります。表面だけを見れば、情報を渡し接待を受ける久能や吉浦(佐野浅夫)のような刑事は悪徳でしょう。しかし取調べの凄まじい暴行や脅迫まがいの様子を映しても、作り手はそれを紛糾しているように感じません。当時の世相からは、それは必要悪のようなものだったのでしょう。それに叩き上げの刑事たちには、やくざと言ってもピンからキリまで、質を見極める自分の目に自信があったのだと思います。

しかしキャリア組の若い海田(梅宮辰夫・全然若くもキャリア組にも見えない)が班長として赴任し、そのピンキリ関係なく暴力団一掃を掲げると、久能たち叩き上げとの確執が始まり、広谷たちとの亀裂が生まれます。

この辺の描き方は、格差社会の是正がテーマの現代にも通じるものがあり、色々考えさせられます。久能と広谷の関係は、言わば男心に男が惚れたような関係です。しかし表向き一掃を掲げる海田も、実はやくざ上がりの市会議員友安(金子信雄)やよそ者の新興ヤクザ川田(成田三樹夫)と手を組んでいますが、それは私利私欲が絡んでの事だとは明白です。どんなに地道に努力しても、叩き上げの刑事たちは学歴がなく昇進試験に合格しなければ、上の警部補にはなれません。この辺の描き方はヴァイオレンス場面の谷間に挿入しているのが上手く、とても心に染みます。

「仁義なき戦い」シリーズでも唸るような名セリフが満載でしたが、この作品でもセリフの秀逸さが光ります。吉浦の語る「ヤクザも刑事も同じようなもんさ。仁義の代わりに法律があるだけ」というセリフには感嘆。やくざを取り締まるには、彼等と同じ位置まで自分を下げ、毒を喰らわば皿までの刑事たち。しかしその紙一重の違いの重さも、的確に哀しく描けています。

久能が若い海田に、天皇から当時子供だった海田まで戦争責任を取れ、自分もお前も同じ人間ではないかと詰め寄る場面も考えさせられます。終戦時監督の深作は思春期で、戦後180度変わった価値観に愕然とさせられたと読んだことがあります。これは監督だけではなかったでしょう。この時代はまだまだ自分の生き方を模索しながら生きていた方々が多かったのだと感じます。それは底辺のやくざでも、一般人からは格上に感じる刑事もにも格差があり、同じような気持ちを抱いている者もいるのだと描いると感じました。

広谷の叫ぶ「俺はアンタ(久能)の旗じゃねぇ!自分の旗は自分で振る!」の言葉には、描かれた当時の多数の国民の、上から押さえつけられてきた反動と、自我の目覚めのように感じます。ラストの海田と久能の明暗を分ける対比は、まるで今の時代のような閉塞感でいっぱいです。すごいなぁ監督。底辺に生きる不器用な者達への眼差しの哀歓に、監督の言いたかったことが込められたいたと感じました。

魅了されっぱなしの深作&笠原コンビですが、他にもまだあるようなので、これからもボチボチ観ていきたいと思います。遅すぎた東映実録モノのマイブームですが、若い時に観ればここまで理解や感激が出来たかは疑問なので、今がちょうどいい時なのでしょう。年を取るのも悪くないです。


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