ケイケイの映画日記
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2006年09月22日(金) 「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」

遂に観てまいりました。キング・オブ・カルト、石井輝男の「恐怖奇形人間」です。長いこと観たい観たいと思っていた作品でしたが、内容が内容のため、ビデオ化もDVDも出ておりません。熱狂的なファンが居る模様で、あちこちの特集上映で何度も上映されるも、たまに大阪に来た時はレイトばかり。一昨年もテアトルで上映されたのですが、レイトだったのであきらめました。何気なくネットで検索している時、大阪は高槻の映画館でこの作品を上映すると知りました。それも陽の高いうちに!

しかしここで問題が。主婦というのは子供が大きくなっても、当日どんな用事が出来るかわからんので、こういう特集上映では前売りを買うのはとっても危険。そうするとですよ、映画代1800円、高槻はとっても遠いので電車賃往復1080円で、なんと3000円近くするではないか!

日頃映画代単価千円切るのに必死な私がですよ、そんなお大臣さまのような料金、滅相もございません。それも家族や友人に言えないようなタイトルの作品をですよ、家から小学生の遠足並に遠い所までですよ、また「独りで」(家族に言わすと変人らしい)観に行ったことがわかれば、何を言われるかわかりません。またあきらめるのかぁ・・・

と思った私に救いの手が!ミクシイで私の友人さんたちにはお馴染みの北京波さんから、大阪府下ほとんどの劇場で使えるチケットを5枚もいただきました。お優しい北京波さんは、「ご家族分」と仰っていましたが、そんなもの、私独りで全部使います。くー、(無駄に)精進していて良かったなぁ。

理由がわからぬまま精神病院で監禁されていた医学生の人見広介(吉田輝男)は、彼を殺そうとする坊主頭の男を逆に殺して、病院を脱走します。その途中自分の記憶する子守唄を歌うサーカスの少女初枝(由美てる子)と知り合い、次の日の再会を約束しますが、彼女はその時何者かに殺されてしまいます。殺人の汚名を着せられた広介は、彼女の残した「裏日本」と言う言葉を手がかりに、旅に出ます。途中の電車の中で、自分と瓜二つの菰田源三郎という男が亡くなったのを知る。何か秘密を解く鍵があるはずだと、源三郎が生き返ったとして、菰田家に入り込んだ広介。源三郎の父丈五郎(土方巽)は、生まれつき指に奇形があり、そのため人嫌いになり、無人島にこもってくらしているというのです。その島で丈五郎は、奇形人間の楽園を作ろうとしていました。

先に一言。

遠い・・・遠いぜ高槻セントラル!

私は大阪市内の地の利の良いところに住んでいるので、あんなにたくさん駅を通り過ぎたのは、何年ぶりかなぁ。

大体の筋は知っていたのですが、精神病院の看守役の高英男でまず大受け(これに肯いたら、あなたも立派な好事家)。シャム双生児の片方が近藤正臣なのは知っていましたが(その方が変。画像の左のお人です)。カラーなんですが、なんとなくモノクロムードの精神病院の様子は、おどろおどろしくて、なるほどなかなか観られないような薄気味悪さです。

この作品は1969年度の作品で、1961年生まれの私は、小さい頃夕暮れまで外で遊んでいると、祖母から「子取りにさらわれて、サーカスに売られてしまうで」と言われたもんです。サーカスにはそんな秘密めいたムードがあったため、初代はサーカスの少女という設定だったのでしょう。それに「裏日本」!そうそう、私が子供の頃は、太平洋側を表日本、日本海側を裏日本と、普通に言っていました。いつの頃からかそういう呼称はなくなりましたが、懐かしく思いながらも、やっぱりこの言い方はあかんわなと思う私。

広介が源三郎に成りすます場面で、由利徹、大泉滉のお坊さん、上田吉二郎のお医者さん、看護婦役で桜京美まで出ているではないか!こんなのんびり笑えるシーンがあるのも知らなかったので、なかなか新鮮です。

この後源三郎に化ける吉田輝男に爆笑させられっぱなし。いや監督にはそんなつもりはなかったんでしょうが。だって老乳母さんが、夜中今にも化け猫に変身しそうな怪しさで、行灯のような暗がりの中でですよ、「旦那様のお写真を観ていたんですよ・・・」と薄気味悪く語れば、何か感づいてるぞの伏線だと思うでしょ?それが写真を観て「源三郎は左利きだったのか!ふぅ〜、危ないところだった・・・」と、吉田輝男の独白が入り、たったそのためのシーンなわけ。他にも源三郎の日常を知らない広介は、メガネを使わなかったり、飼い犬に噛み付かれそうになったり、左手で字が書けないので、わざと証書の上のお茶をこぼしたり、もう怪しい怪しい、怪しすぎ!なのに誰も気づきません。

それどころか妻も愛人も「抱いて・・・」と迫るのに、バレたらどうしようと、すんごく葛藤するのに(←とても笑えます)、結局両方ともとベッドイン(布団インか?)。「源三郎になりきるため、ボクは神経をすり減らした・・・」と独白が入る割には、結構お楽しみじゃん。この手のお楽しみシーンは、当時の東映やかつての新東宝では必須アイテムだったみたいです。

それが一転、父親に会いに無人島に渡ると、かなり気持ち悪くタイトル通りの世界観が繰り広げられます。自分が奇形であったため人に蔑まれた丈五郎は、この島で奇形人間の楽園を作るつもりで、健常な人をさらってきては、人工的に奇形にしていました。この奇形の様子が、私の想像を絶しておりまして、身体障害というよりインモラルな雰囲気がプンプン。人間と動物を合体させたり、男女のシャム双生児を作り上げたり、人間を川に放ち、魚のように飼ったり、家畜のように草を食ませたり。グロいというより、精神的にやられる造形です。中には昔懐かしの金粉ショーのような人もいましたが。しかし演じるのは丈五郎を演じる土方巽の率いる舞踊家たちなので、アングラの風味が加味され、観るに耐えない醜悪さ、というのではありません。

土方巽は「暗黒舞踊」という新しい表現方法の舞踊の創始者で、身体障害を持ち心も病んでいる丈五郎を、確かに薄気味悪く演じているのですが、その体をクネクネさせて丈五郎を表現する様は妙な力強さと繊細さがあり、異形の哀しみが溢れています。広介に「あなたは狂っている」と表現される彼の内面は、それは繊細な神経の持ち主だから、狂人になったのではまで思わせます。

実は(予想通り)広介と源三郎は双子で、奇形人間の理想郷を作ろうと思った丈五郎は、広介を養子に出し、外科医にさせ奇形人間を作り出そうとしていたのです。父に脅され渋々承諾する広助ですが、愛し始めていた人工的にシャム双生児にされていた秀子の分離手術を条件にします。三国一の花嫁と謳われた彼らの母は、障害者の丈五郎を嫌い、愛人を作ったのです。怒った丈五郎は二人の出産後、愛人と妻をこの島に監禁、食事も与えず放置します。愛人だけが死に生き延びた妻は、その後丈五郎の手によって、醜いせむし男に犯され、初代と秀子を産みます。二人がそのことを知ったのは結ばれた後なのは、丈五郎の思惑通りでした。

コメディかいと爆笑したり、痛々しかったり、薄気味悪かったり、感情がアップダウンというか、アップしっぱなしの中、どうまとめるのだと思っていたら、下男に化けていた大木実が実は明智小五郎だったということで、10分もかからずに事件の謎を解決(依頼者もいないのに)。執事の小池朝雄と丈五郎の姪静子が黒幕だったのですが、内容はどうでもいいので割愛。ただ小池朝雄が(カッカッカ)。意味無く性倒錯者という設定なので、女装で女王様のごとく振舞ったり、人間椅子になったり、「屋根裏の散歩者」に出てきた殺害の仕方をやっていたりと、この10分が大忙し。最後まで笑いに手を抜きません(えっ???)。

きっとこのまま丈五郎は殺されるか自殺するんだろうなぁと思っていると、明智に追い詰められた彼を、なんと二十数年丈五郎に弄り者にされていた妻が、「この人を許して下さい!この人がこうなったのは私のせいなんです。私が全て悪いんです!」とかばうではありませんか。意表をつかれた私。

妻は自分の一番恥じる不倫を子供たちに聞かれています。その上生きるため、亡くなった愛人の体をエサにして集ったカニを食べて生き延びたことまで知られてしまいます。思うに三国一の美しさで、資産家の丈五郎に買われるように嫁に来たのでしょう。その美しさを武器に丈五郎の孤独も知ろうとせず、傲慢に振る舞い妻らしいことも何もしなかった彼女。自分も人間以下の辱めを受け、人間ではない家畜以下が日常となっても、子を思い恥ずかしながら生き延びたい希望を捨てずに生きた日々が、丈五郎の孤独も辛さも理解させたのではないでしょうか?舌を噛み自殺しようとする丈五郎が、「憎んでも憎んでも、それでもお前を愛していた」の言葉のあと、涙を流して抱き合い和解する二人。愛と憎しみは表裏一体、誰にも愛されたことがない丈五郎は愛し方を知らず、地獄に相手も道連れにしなければ、愛を勝ち取れなかった辛さに胸が痛みます。

と、ちょっとしみじみしていると(こんな作品で・・・)、唐突に例の有名な

ドッカーン!!!「おかーさーん!!!」

が。異父兄妹のため、この世では結ばれない広介と秀子が世をはかなんで、人間花火となって、頭が、足が、胴体が、結ばれた手が(!!!)バラバラになって宙に舞うというシュールなラストシーンに突入。めっちゃ笑いたかったんですが、場内平日のお昼のためか空いていて、誰も咳払いもしないので、笑いを堪えるのに必死の私。百聞は一見にしかずのものすごいシーンでした。

という見所満載の作品。しかし私が意表をつかれたシーンは、当時の観客も同じだったのではないかと思います。この作品を観ようと思ったのは、見世物小屋を観るのと同じ感覚だと思います(もちろん私も)。期待に違わぬシーンに満足していた終盤、あんな真っ当な愛を見せられ、この映画の印象が変わったのでは。語り継がれる理由は、カルトもカルト、大カルト大会のこの作品の、この部分のせいではないかと思います。ドッカーン!は、スパイスということで。


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