ケイケイの映画日記
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2006年07月17日(月) 新作「日本沈没」VS旧作「日本沈没」


日曜日に朝イチに劇場で新作、夜は日本映画専門チャンネルで旧作を観ました。1973年の旧作は、数年後テレビ放映時に観ましたが、藤岡弘といしだあゆみの抱擁シーンしか覚えておらず、はれ???という感じでしたが、再見して納得。国の沈没の危機に奮闘する大人の男達の骨太ドラマは、当時中高生だった私には面白くなかったのだと思います。対する新作は、全年齢OKな感じのわかり易さと盛り上げ方ですが、大作の風格には欠け、若々しいというより、全体に幼い感じの仕上がりになっています。

潜水艦わだつみ号を使って海底を調査していた田所博士(豊川悦史)は、海底プレートの急速な沈降で、日本列島が一年後には沈むと知ります。田所は日本の危機を訴えますが、相手にされません。しかし事態を重く見た山本総理(石坂浩ニ)は、鷹森(大地真央)を危機管理大臣に任命し、国民の脱出に全力を注ぎます。わだつみ号の操縦士の小野寺(草なぎ剛)は、田所博士からこの事実を聞きます。全国で津波や大地震が起きる中、小野寺はレスキュー隊員の阿部玲子(柴咲コウ)に出会います。

前作は国家の危機に、政治家や科学者が全力を尽くし、私的な部分は犠牲にして国を思う心を全面に出し、少しでも国のため国民のために奮闘する姿に感銘を受ける、すごく大人の作品でした。対する新作の方は、山本総理こそ国民のために色々手を打ちますが、とっとと国を捨て海外へ逃げてしまう政治家たちを映し、なんだいこいつらは!という感じ

前作の丹波哲郎の山本総理の役回りを、今の時代感にあった女性で表そうとの大地真央の起用でしょう。役柄自体はそう悪くは無いですが、田所博士とかつて夫婦だったとセリフでわかりますが、それがどうした?というくらい、全然筋に絡まない意味不明の設定です。それにこの大臣、あちこちで大災害が起こり視察も行くのに、何故かいつも化粧ばっちり、パリっとしたスーツ姿が決まっており、これも疑問。モンペはけとは言いませんが、眉の下のハイライトがテカテカ光り、濃いアイメイクを見る度に白けます。今時テレビの女囚もんでも、ノーメイクに見える控えめなメイクをする時代です。だれも不思議に思わなかったのか?個人的には高畑淳子が適役かと思いました。

こういう手抜きはたくさんあり、日本列島あちこち大災害が起きているという報道が出ている時に、何度も津波で大被害のシーンが出てきますが、普通の感覚ではこんな時に海辺の観光地に近寄るか?と思いました。これはCGで見せ場を持って来たかったのでしょうが、なら人のいないところにしてね。そんなに日本の人はバカじゃありません。脚本でどうとでもなると思います。他にも大地震の被災者で、何日も意識不明だった女性が臨終前に奇跡的に目を覚まし、娘と手を握り合う落涙する場面で、母親の爪が今してきたばっかりみたいなネイルアートしてあったり、脱力します。涙もひっこむぞ。どうして誰もチェックしないの?

小野寺と玲子の恋は、前作では玲子は普通の女性で、国の終末観を描くスパイスとして使われていました。お互い本当に愛しているかどうかはわからない、しかし日本が滅んでいく今、生きていくためにお互いが絶対に必要な心の支えだと感じさせました。対する新作は、好感の持てる恋愛模様ですが、好感持てすぎてこれまた幼すぎ。今時高校生でもこんな清らかな恋愛はしません。

この小野寺と玲子の姿が、新作の世界観に反映されているように感じます。前作は私利私欲を抜きにして、本当に国を思う大人の心が描かれていましたが、新作は国を救うという命題より、身近な愛しい人を救うために自分は頑張るのだと、とてもわかりやすいのですが、もっと大局的な描き方があっても良かったかと思います。幼いと書きましたが、新作の致命的な欠陥は、作品の世界観が幼稚な感じがするということです。

玲子が阪神大震災の被災者で、同じような立場の子に愛情を注ぐという設定は生きていました。他にも時代が経ているので、CGも見応えがありました。旧作の特撮も、今から33年前というのを考えれば、これは立派なものだとも思いました。ところどころに、前作へのオマージュをちりばめたところも良かったです。前作で山本総理を演じた丹波先生の特別出演場面には、思わずニヤリとしましたし。その他、「韓国、北朝鮮への入国は不法侵入になります。」とのアナウンス。私みたいな日本に永住権を持ちながらも、未だ韓国籍の者はどうなるのかな?と。韓国は歓迎しないけれど、渋々でも私たち在日を迎えいれてくれるんだろうか?とか、ちょっと考え込んでしまいました。

両作通じて一番感動したのは、前作で渡老人が「このまま何もしないで、国と一緒に静かに終焉を迎えるのが、日本人らしいのではないか」という言葉と、それに対する山本総理の表情と涙でした。日本の人らしい美徳を表した忘れがたいシーンです。この言葉が、新作では山本総理から語られますが、感銘を受ける若い人が多いといいな。



余計なネタバレ










何で前作のラブシーンを覚えていたのかというと、会って初めての男女(
それもお見合い)がいきなり海辺のデートで、水着姿でキスしたからでありました。今回再見して思い出したです。そんでもって、女の方から「抱いて」ですから。びっくりしたんでしょうね、当時乙女でしたから、ワタクシ。だって「はしたない」ではありませんか、皆の衆。新作の玲子の「抱いて」は、とっても気持ちがわかりました。だってお互い好きだというのを確認してたしね。しかし!男なら押し倒せ小野寺!いくら命懸けで地球を救うため、もう2度と会えないから、相手をキズモノ(死後)にしちゃいかんという、紳士的な気持ちはこの際捨て去るべきかと。そのことは、これからの玲子の生きる支えにもなると思いますから。なんかこのシーンもわかってないなぁと思いました。こんな大作に草なぎ君でええんかい?と思っていましたが、うじうじ情けないいい人なら、こんな選択もありかと、説得力はありましたが。今回の小野寺はワイルド感ゼロでした。


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